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戦後日本の経験とこれからの選択(1)

Ⅰ.  はじめに
  本稿はある中国の大学の依頼で、戦後日本経済の復興、成長、低迷、そしてこれからの展望を概論的に講義をしたエッセイですが、これは戦後日本経済と政治の歴史的経緯を総合的に理解するうえで参考になると思いますので以下に記載します。
 
Ⅱ.   敗戦と占領
 1. なぜ対米開戦をしたか
 ー歴史はどこまでも遡ることができるが、本講義では、太平洋戦争の終末まで。
 ー日本はなぜ対米開戦をしたが、が大きな問題、疑問。
 ー日本の工業生産規模はアメリカの1/10。軍隊の燃料の石油も、軍艦の原料の鉄屑も
  アメリカに依存。それでなぜ戦争?
 ー太平洋戦争に先立つ20~25年間、日本は中国を侵略。蒋介石軍と戦い。
 ー援蒋ルートを断つため、仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐。石油確保も。
 ー仏印進駐がアメリカの虎の尾ふむ。石油と鉄屑禁輸措置。日本軍は米産石油と鉄に依存
 ーこのままでは座して死を待つほかなし。
 ー近衛文麿首相、ルーズベルト大統領に面会申し込み。大統領前向き、ハル長官ら側近の反対
 ーコーデル・ハル国務長官の最後通牒。満洲国、中国、アジアから撤退条件。
 ー近衛内閣総辞職。陸相東條英機組閣。
 ー1941.12.8.未明、連合艦隊真珠湾奇襲攻撃。宣戦布告到着遅れ
 
 2. 攻撃から惨敗へ
 ー真珠湾大勝に浮かれる国民。
 ー日本航空部隊マレー沖英艦隊撃滅。シンガポール占領
 ー朝鮮、台湾、フィリピン、東南アジア、シンガポール、オーストラリア、大洋州諸島を数ヶ月
  占領。
 ・ABCD(America, Britain,China, Dutch)ラインに対する逆ABCDライン構築
 ー1942.ミッドウェー海戦で惨敗。最新空母4隻と航空攻撃部隊大規模壊滅
 ー航空機設計、通信機能、作戦能力で遅れ。マリワナ沖海戦など惨敗に次ぐ惨敗
 ー米軍:オーストラリア、大洋州諸島、フィリピン、硫黄島、沖縄占領。B29本土直接爆撃
 ー無差別大規模爆撃、本土焦土化、原爆(広島、長崎)
 ー1945.8.ポツダム宣言受諾。ドイツと異なり政府を残して間接占領
 ー占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー将軍着任
 ー日本無条件降伏1945.9.3.(戦争は4年弱:1941.12~1945.8.)
 
 3. 占領の経験
 ーGHQ(総司令部)による占領政策開始
 ー軍と政治の民主化:軍解体、戦犯断罪・処刑(東京裁判)、戦争加担者公職追放、普通選挙
 ー経済・社会の民主化:財閥解体、農地解放、平等教育、労働組合承認
 ー憲法改正:「日本国憲法」GHQ民政局の憲法草案づくり
  マッカーサーのこだわり、天皇制維持のための憲法9条(平和憲法)規定
 ー経済:国民資産吸い上げて財政破綻回避、超インフレで財政膨張、ドッジ財政健全化→不況
  →倒産、失業、貧困、疫病、労働運動、占領軍の抑圧


Ⅲ.   復興と経済成長

 1. 冷戦と米国の対日戦略の転換
 ーWWII後の米国の世界戦略、危険な日本から世界をどう守るか、日本弱体化政策
 ー1946.3チャーチル演説(ミズーリ州Westminster大):”鉄のカーテン” 冷戦の兆候
 ースターリン:東欧、中央アジア、東アジアに進出:圧力と脅威、朝鮮半島進駐
 ー米国の対日戦略転換:George Kennan(国務省政策企画室長) レポート、
  日本を共産圏に接する防波堤として利用
 ー1950.6.25. 朝鮮戦争勃発:北朝鮮軍の南下、中国人民解放軍参加、ソ連空軍支援で共産側
  優勢、米主導連合軍仁川上陸1950.9.15、共産軍を分断。休戦協定1953.7.27
 ー1951.サンフランシスコ講和条約:米英勢力による単独講和、中国招かれず、ロシア不参加
 ー1960.日米安全保障条約、吉田茂首相署名、日本占領終了、独立国として国際社会復帰
 ー日本:Pax Americanaの同盟国の一国として米国の冷戦戦略の一翼を担う。
 ー日米安保条約:片務条約:米国は日本の防衛義務、日本は米軍に基地提供。
 ー対日経済支援:円レート:1ドル=360円。安い円で輸出競争力。日本輸出品に米市場開放
 ー教育支援(Fulbright Program), 技術支援(品質管理、生産性運動~Marshall Plan)

 2. 新興産業(トヨタ、松下、SONY, ホンダ)の台頭
 ー敗戦後の日本のめざましい復活と成長を主導したのは、戦前の日本を支配した巨大財閥
  (三菱、三井、住友、安田など)ではなく、ほとんど一代で零細企業からグローバル企業
  に成長した活力あるトヨタ、松下、ソニー、ホンダなどのベンチャー企業だった。

 ートヨタ:
 ・トヨタ自動車は、自動織機製造で豊田式完全自動織機などの開発で日本のトップメーカーと
  なった創設者豊田佐吉の長男である豊田喜一郎が、関東大震災で自動車の時代がくることを
  予感。自動織機会社に自動車部を設け、自力で自家用自動車の開発に全力
 ・戦争中は軍用トラックもつくったが、同時に製造時間を節約するJust in Time方式を考案。
  戦後は自家用車にさらに注力したが、資金難と労働争議で倒産のリスク。朝鮮特需で復活
  を見る前に死去。後継者達が従業員と一丸となって今日のグローバル企業トヨタを発展させ
  た。

 ー松下:
  和歌山県の寒村、10人家族の三男。父が先物取引で失敗して極貧生活。大阪に出て丁稚奉公
  電気の時代を予感して電気配線工。自立して妻とソケット生産。徐々に業容拡大してランプ
  で成功。ラジオでは日本最大メーカーに。戦争中に軍需生産に加担したことで、占領軍に
  財閥指定を受け、資産凍結、会社解体の危機。一時は自殺も考えたが、朝鮮特需で存続。
  占領統制解除後、急速に回復・発展。日本を代表するグローバル企業に。
 
 ーSONY:
  電波好きの天才少年あがりの井深大と、名古屋醸造名家の長男で海軍の短期現役制度生だっ
  た盛田昭夫が、戦争中軍関連の科学技術研究会で意気投合。敗戦後、東京で再会して、東京
  通信研究所設立。テープレコーダーの国産化に成功。やがてトランジスタラジオで一世を風靡
  グローバル電子メーカーSONYに発展

 ーホンダ:
  浜松生まれ、機械好き少年本田宗一郎。自動車修理工からベンチャー企業を創立。戦争中は
  ピストンリング製造でトヨタの下請け。戦後、小型エンジン開発からオートバイ製作。藤沢
  武夫と意気投合。製造の本田と経営の藤沢。幾多の困難を乗り越えて、マン島レースで優勝。
  世界のバイクメーカー本田。自動車のグローバルメーカーに。
 
 ー敗戦と占領によって旧体制日本の権力構造が徹底的に破壊されたことが、日本民族の
  潜在的活力を引き出した可能性
  ・軍隊消滅、財閥解体、官僚機構の分解、戦前エリート教育の否定など。

 ーこれらベンチャー企業は敗戦の破壊と疲弊の中で生産活動を停止(トヨタ、松下)、もしく
  はその廃墟のなかから事業を創出(SONY、ホンダ)した。

 3. 所得倍増計画
   ー池田勇人政権(1960.7~1964.11)の所得倍増計画(1960.11)発表
  ・10年で国民所得倍増。そのためには年7.2%必要。1950s後半成長率、年9%の実績
    1960sの10年間で倍増を主張。結果はそれを上回った。   
 ー池田首相の知恵袋、下村治、1960年代(1961~71)年10.4%維持を主張。
   結果は10.9%。
  ・下敷きに 下村理論:投資は算出係数(△ Y/△K)媒介に供給力↑:ハロッドモデル。
 ー産業構造の大転換:農業部門の縮小と工業部門の拡大
 ー大規模人口移動:地方から大都市へ、期待所得格差による急速の人口移動、
 ーピラミッド型の人口構造(人口ボーナス)→新卒者の集団就職
 ー低賃金・若年労働力プールからの無制限労働供給(Lewis型モデル)による経済急成長

 4. 経済成長と「日本株式会社」論
 ー日本型経営:年功賃金、終身雇用、企業別組合、愛社精神・忠誠心
  ・年功賃金:企業内訓練と習熟、勤続による技能・生産性向上→勤続に比例する賃金
  ・終身雇用:契約でなく経済成長の帰結。生産持続拡大による結果としての長期雇用
  ・企業別組合:急速な工業化、労働市場形成→産別、職業別労組でなく職工一体の組合
  ・愛社精神・生活防衛のため企業一丸となる忠誠心育まれる→企業一家主義

 ー輸出志向型金融システム:国民の資金吸収→戦略的輸出部門に集中
  ・発展途上の資金不足経済:全国農村の貯蓄を農協が吸い上げ→協同組合→信用金庫→
   地方銀行→都市銀行→政策銀行(興業銀行)→戦略的輸出産業(鉄鋼、造船、機械
   など)。

 ー政府主導の産業政策:アメリカから技術導入→産業構造の逐次戦略的高度化を実現
  ・傾斜生産方式(石炭、鉄鋼、造船、機械)から戦略的輸出産業育成(自動車、電機、
   電子、半導体、コンピューター)。傾斜生産方式で敗戦の廃墟のなかから基礎産業 
   を構築し、その基盤のうえで最先端産業を戦略的に育成した。
  ・アメリカは日本の政府主導のこうした産業育成策を異質な資本主義モデル「日本株式
    会社」として批判し警戒した。


Ⅳ.    戦後経済成長モデルの挫折と失われた20年

 1. 高度経済成長と土砂降り輸出
  ー日本型経営と日本型資本主義は国際競争力を加速的に高め、日本産業は世界市場における
   シェアを急速に拡大した。
  ー1980年代中盤には、日本の自動車や電機産業は世界市場を席巻し、金融でも銀行の資産規
   模では日本の銀行が世界のトップクラスの銀行の11行を占め、さらに最先端の電子産業の
   基幹部品である半導体では日本の主要メーカーを合わせると世界市場の7割のシェアを占め
   アメリカの半導体生産基地であるシリコンバレーを凌駕した。

  ー自動車や電気製品がアメリカ市場に大量に輸出され、そのシェアを急激に増やしていった
   ので「土砂降り輸出」として非難の対象となった。ワシントンでは議会の議員達が議事堂
   前の広場で日本製の新車をハンマーで打ち壊し、またデトロイトでは日本人と間違われた
   中国人が殺害される痛ましい事件も起きた。

 2. アメリカのJapan Bashingとプラザ合意
  ーその当時、アメリカは貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に悩まされており、特にアメ
   リカは日本に対し最大の貿易赤字を抱え、対日批判(Japan Bashing)が高まっていた。
  ーしかも、1985年には日本は一時的であるとはいえ、1人当たりGDPがアメリカを上回っ
   た。こうした現象は、何事も世界一でなくては気のすまないアメリカ人の激しい日本批判
   を掻き立てた。

  ー1985.9 ベイカー財務長官は、NYのプラザホテルに日欧5ヵ国の財務大臣を呼び集め、
   アメリカの対日赤字が異常に膨張しているので、為替相場を適正に調整する必要がある
   との合意を取り付けた。日本からは竹下登蔵相出席。これが有名な「プラザ合意」。
  ー政治が為替相場について介入することは金融政策ではタブーだが、ベイカー長官は
   おかまいなしにこの合意をニュースとして流したために、世界の為替レートは激変した。
  ーそれはベイカー長官の思惑どおり、円の為替レートの急騰を引き起こした。それまで1ドル
   360円だった円レートは1週間後には220円となり、さらに数週間後には150円前後まで
   急騰した。

 3. 日本のown goal: バブルの膨張と破裂
  ー日本政府は、輸出立国の日本がこの円高で、輸出が大打撃を受けとくに中小企業の雇用が
   被害を被るのでは無いかとおそれ、金利の引き下げと大規模な財政支出で需要を創出し、
   円高による経済への打撃を緩和しようとした。

  ーしかし結果的にはこれは戦略ミスだった。この莫大な需要創出策は、大規模なバブルを産
   んだが、中小企業の雇用は減らなかった。それどころか、日本の産業は円高に対して生産
   性向上に努め、輸出競争力は減退せず、輸出は結果的にさらに増加した。
  ー日本政府のとった需要創出策は、日本国内に大規模なバブルを発生させるという意味で、
   いうなればown goalの自滅効果をもった。

  ー政府が創出した大規模な需要は、日本経済にそれを吸収する能力が不足していたために
   ”過剰流動性”となり、それは金融資産と土地に向かい、株価と地価を異常に押し上げた。
  ー株価と地価の上昇は、株式と土地への投資もしくは投機需要を急増させ、バブル
   が膨張した。地価が高騰したため、当時、東京23区の土地総額でアメリカを買えるとか、
   日本列島を売るとアメリカが4つ買えるとか言われた。
  ーこのバブルは生産的な投資に結びつかず、いたずらにバブルを膨張させた。
 
  ー銀行など金融機関は、一般企業や資産家に土地を担保に叶うかぎり融資を行い、土地投機
   を勧めたため、日本経済の価格構造は資産価格の高騰によって大きく歪んだ。
  ー日本政府は、こうした事態を早く抑制すべきだったが、それが需要創出を求めるアメリカ
   の不興を買うことを恐れたので、時間が経過し、バブルの弊害が深刻化した。
  ーそして数年後(1991.3.→1993.10)に、日銀の三重野総裁がバブル圧縮のために、金利
   を大幅に引き上げ、大蔵省は、この機に乗じてバブル創出の元凶と睨んだ不動産業界への
   融資枠を半減するという過激な抑制策をとった。その結果、不動産業界は倒産が相次ぎ、
   地価と株価は急減した。それは日本経済を急速に萎縮させる劇薬となった。

 4. バランスシート不況と低成長
  ーバブル膨張の過程で多くの企業は銀行から土地を担保に多額の融資を受けていたが、バブル
   が崩壊すると、担保の土地価額が急減したので、企業は担保価値をはるかに上回る純債務
   をかかえることになった。
  ーバランスシート上に多額の純債務をかかえた企業は、純債務を減らすために、事業を縮小
   し、雇用を削減しそして投資を控えるようになった。これは企業活動そのものを収縮させ
   るので、経済が収縮し不況に陥った。これがいわゆるバランスシート不況である。

  ー一方、銀行など金融産業は、貸付先の企業から債務の返済が遅れ、もしくは不能になった
   ため、回収のできない”不良債権”をかかえることになった。その結果、中小金融機関だけで
   なく、いくつかの大手銀行も破綻し、金融恐慌一歩手前の深刻な事態となった。
  ーこうしたバランスシート不況の結果、経済成長は著しく鈍化し、低成長がつづくことに
   なった。

 5. 高齢化と財政赤字の累積
  ー1990年代から2000年代にかけて、日本経済は人口の縮小と高齢化という構造変化に
   制約されることになった。出生率の大幅な縮小によって日本の人口は1990年代の中盤
   以降、ゆるやかな縮小過程に入った。労働力人口はそれより10年ほど早く縮小段階に
   はいっていた。

  ー人口が縮小すると同時に、人口構造は急速に高齢化した。人口減少は労働力人口の減少を
   つうじて経済成長をささえる最大の要素である労働供給を減退させるので、日本経済の
   成長力は著しく減退した。
  ー成熟段階にはいった日本経済では、技術革新や資本形成による生産性向上は年率1%程度
   ほど期待されるが、労働力人口が年率0.7%程度縮小するので、経済の成長力の指標である
   自然成長率は中期的に0.3%程度しか期待できない。

  ー一方、社会保障支出は人口の高齢化によって持続的に増大する。増大しつづける社会保障
   支出は財政支出を増加させるが、それを賄う国民所得は労働力人口縮小によって漸減する
   ので、社会保障財政は支出超過で赤字になる。この財政赤字は低成長下の国民の担税力で
   はまかない切れないので、その補填は赤字国債発行により次世代の国民の負債の形で膨張
   する。
  ー日本経済はこうして1990年代以降、膨大な累積財政赤字をかかえることになった。
  ーちなみに1990年の累積財政赤字はGDP比60%だったが、2000年には140%となり、
   近年では240%に達している。新型コロナウィルス対策で多額の財政支出をすることに
   なった結果、2021年には累積財政赤字のGDP比は260%という世界最悪、歴史上でも
   空前の赤字になるとIMFは予測している。

 6. 失われた20年
  ーバブル崩壊後のバランスシート不況、借金返済に追われて投資意欲をうしなった企業の
   活力喪失、人口縮小による日本経済の成長能力の低下、高齢化による社会保障支出の急増
   とそれを賄うために膨張した未曾有の累積財政赤字などの制約で、1990年代以降、日本
   経済は年平均せいぜい1%前後という極端な低成長時代を経験している。
  ーこの低成長時代はすくなくとも1990~2010年前後の20年間以上つづき、”失われた20年”
   といわれる。

  ーこの期間、アメリカは2~3%の成長率、中国は10%前後の成長率を維持した。プーチン
   時代のロシアやモディ政権下のインドは5~7%成長を達成し、日本の低迷は世界でも特異
   である。
  ー日本が年率10~5%の成長率で拡大をつづけた1980年代頃、アメリカは日本を批判・攻撃
   し、Japan Bashingを言われた。1990年代に入るとアメリカは高度成長をつづける中国
   に注目し、日本は立ち寄るだけの国になったので、Japan passingといわれ、21世紀に
   はいると活力をうしなった日本は注目されなくなり、Japan nothingと揶揄された。

  ー日本の持続的低成長は、バブル崩壊や労働力人口の減少だけでなく、その他多くの構造的
   制度的原因があるのではないか、との考えから歴代の政権がさまざまな構造改革を試み
   てきた。
  ー中曽根康弘政権(1982~87)は国鉄民営化に象徴される日本の制度的構造の改革に
   挑んだ。橋本龍太郎政権(1996~98)は省庁の構造を抜本的に編成しなおした。
   小泉純一郎政権(2001~2005)は郵政改革をつうじて日本の公的部門の改革を敢行
   した。

  ーしかし、小泉政権を受け継いだ安倍晋三政権は彼の持病のため1年しか続かず、それを
         引き継いだ福田康夫政権もまた麻生太郎政権も短命で終わり、2009年にはそれまで半世紀
   間、日本の政治を事実上独占していた自民党政権に代わり、民主党政権が誕生した。
   しかし政権担当の経験のない民主党政権は迷走し、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦政権
   と矢継ぎ早に交代し、日本は6年間に6人の首相が目まぐるしく替わるという異常
   な時代を経験した。

  ーこのような極端な政治の不安定がつづく中で、経済ではデフレが進行していた。デフレは
   長期化すると経済をむしばむ深刻な病となる。デフレ下の物価低下は消費者からは短期的
   に歓迎されるが、長期につづくと消費者は買い控えをするようになり消費が減退する。ま
   た企業家は、物価低下期待の下では、投資収益が期待できないから投資と手控える。経済
   を構成する消費と投資が長期的に減退しつづけると経済は縮小しやがて衰退する。失われ
   た20年間に日本経済は長期デフレという深刻な体質病に侵蝕されはじめていたのである

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