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2020年12月

戦後日本の経験とこれからの選択(2)

Ⅴ.    安倍政権とアベノミクス

 1. 安倍政権の企図:デフレ脱却とインフレ経済実現

  ー安倍晋三氏は、2000年に持病の潰瘍性大腸炎のために1年だけで政権降板を余儀なく

   され、再起の可能性をうかがっていたが、彼をささえる菅義偉氏とともに、日本を長期

   デフレから救済することを大義に政権奪取をめざした。

  ーまず最初の関門である自民党総裁選で勝利し、ひきつづいて民主党の野田政権と対峙し

   野田首相から2012年12月に政権奪取に成功した。

 

  ー安倍晋三氏は盟友の菅義偉氏とともに、当時、アジア開発銀行の総裁だった黒田東彦氏

   らと、デフレ脱却戦略に関する勉強会をつづけており、政権担当の際には、超金融緩和

   の金融政策を中心に財政政策、成長のための構造改革などの構想を練っていた。

 

 2. 3本の矢:超金融緩和、積極財政、成長戦略

  ー政権を担当することになった安倍晋三氏らは、デフレ克服と成長実現のための戦略を、

   超金融緩和、積極財政、成長戦略からなる”三本の矢”という政策パッケージとした打ち

   出した。

  ーこの政策パッケージは、総合的、体系的で理解しやすく、海外でも注目されることに

   なった。以下、三本の矢のそれぞれについてその狙いと内容そして評価について述べる。

 

 3. 超金融緩和:物価低迷、膨大なベースマネー、見出せぬ出口戦略

  ー第一の矢は金融政策で、とくに超金融緩和である。

  ーデフレを脱却するにはマネーサプライと潤沢にすることが求められる。しかし、不況下で

   貨幣需要が低迷している時には通常のマネーサプライ(貨幣供給)を増やすことができな

   い。そこで、貨幣需要がない中でも貨幣供給を増やせる方策として、日銀が市場の金融資

   産(公債など)を購入する代金の形で市場の貨幣供給(ベースマネー)を増やす方策を

   採択した。

 

  ー黒田日銀総裁は、着任早々、2年間でベースマネーを2倍にし、2%のインフレを目指すと

   宣言した。

  ーこの宣言をうけてベースマネー供給がふえはじめると世界の投資家が貨幣供給増加期待の

   もとに反応し、株価が急騰し、為替レートが低下した。

  ー当初は輸入物価の上昇などもあり、物価指数がいくらか上昇したが、2014年の夏以降、

   原油価格の低落もあって物価はほとんど上昇せず今日に至っている。

 

  ー第一の矢の成果としては、株価の上昇以外、インフレ実現など当初の目的は果たされて

   いない。

  ーまた重大な副作用として、500兆円を上回るGDPを超えるベースマネーが蓄積しており、

   日銀のバランスシートを正常化する”出口戦略”をどう実現するか、その見通しと手がかりが

   見えないことがある。これは中長期に日本経済運営の深刻かつ重大な課題である。

 

 4. 積極財政:財政赤字の累積、財政規律消滅、財政・経済破綻のリスク

 ー第二の矢は財政政策で、とくに積極的な財政運営と財政再建の達成を目的とする。

 ー財政出動は、通常の予算編成でも、災害等特別の事態に対する補正予算でも積極的に

  実行され、それなりの役割を果たしたことは首肯できるが、財政支出額が次第に膨張

  したことは否定できない。

 

  ーその結果、2010年に日本政府が国債公約した2020年には基礎的財政収支(primary

       balance)の均衡達成という財政健全化目標は2017~8年頃には達成不可能となった。

  ーさらに、累積財政赤字の膨張は、国際的にみても歴史的にみても類例のない規模に

   達している。2019年には累積財政赤字のGDP比は240%に達していたが、2020年に執行

   された新型コロナ対策のための大型財政支出を加算すると、2021年には260%となると

   見込まれる(IMF試算)。

 

  ーこのような異様な財政赤字の累積は、財政政策の安定的な運用を困難にするだけでなく、

   多様な経済的、社会的、自然的ショックがトリガーとなり、日本経済を財政破綻されには

   経済破綻に追い込むおそれがある。そのリスクを克服するための政策の検討は現時点では

   なされていない。

 

 5. 成長戦略:わずかな成果と困難な構造改革

  ー第一次成長戦略2013.6. 日本産業再興、国際展開戦略、国際展開戦略:抽象的。

 

     ー第二次成長戦略(2014.6)

  1)企業統治と資本市場の改革

  2)競争力強化法(2013年12月制定)

  3)TPP参加と交渉プロセス

  4)農業改革

  5)働き方の規制改革

  6)女性の活躍支援:

  7)地方創生:

  8)社会保障:

  9)医療改革:

    10)国家戦略特区

  11)賃金引き上げ

  12)法人税引き下げ:2018年29%へ(5年間で7 %)

  

   ー第三次成長戦略(2015.6)抽象的、実質進展なし。

 

 6. 新3本の矢:一億総活躍構想(2015.11)とアベノミクスの変質

 

  「一億総活躍」(2015年11月)

  ―第一の矢:”希望生み出す強い経済”⇨2020年までにGDP600兆円

  ―第二の矢:”夢つむぐ子育て支援”⇨2020年代半ばまでに希望出生率1.8 実現

  ―第三の矢:”安心につながる社会保障”:介護離職ゼロ

 

  ・意外に高い海外の関心:先進成熟国はどこも人口高齢化と労働力増加の低減で潜在成長力

   の低下に直面。 安倍政権の「一億総活躍」と「新3本の矢」は先進成熟諸国にとって注目

   すべき実験との評価もある。

 

 7. 安倍首相の”活躍”、願望と挫折

 ー安倍晋三氏は2020年9月、突然、持病の「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に首相の座から

  降板した。安倍首相はそれまで連続在位7年8ヶ月。それは戦後最長記録であるだけでなく

  2021年8月末の自民党総裁の任期を全うすれば、明治以来の日本憲政史上最長記録となる。

 ーその栄光を前にしてなぜ首相を降板したのか、については諸説がある。

 

 ー安倍首相は経済政策としてのアベノミクス、また長期在任中の外交実績にも特筆すべきもの

  があり、さらに日本国憲法の改正やロシアからの北方4島の返還などを歴史的業績(レガシ

  ー)として達成したいとの悲願もあった。

 

 ー安倍首相の業績は一見輝かしいものがあるが、冷静に判断すると、アベノミクスにしても

  上記のように総合的には成功していない、また外交としてアメリカのトランプ大統領と個人

  的信頼関係を築いたとされるが、国益にはなっていない。ロシアとの北方領土問題は前進は

  見られない。中国の習近平政権とは改善の兆しはあるが信頼関係は見られない。憲法改正は

  糸口もついていない。これらを勘案すると、安倍首相は持病を口実に退陣したのではないか

  との見方もある。

 

 

Ⅵ.  菅政権と政策ミックス

 

 1. 自民党の力学と菅政権の誕生

 ー安倍首相の突然の退陣声明をうけて、自民党ではさっそく次の総裁選びに入った。

 ーこれまで次の総裁候補として長らく名乗りをあげていたのは、安倍政権の最初の自民党

  幹事長経験者である石破茂氏。また、安倍政権で外務大臣や政調会長を経験した岸田文雄氏

  も最近は2021年9月の安倍首相任期満了を見越して積極的にアピールしていた。

 

 ー自民党総裁選は当初、石破氏と岸田氏の事実上の一騎討ちと見られたが、選挙直前になって

  長らく安倍政権の官房長官を務めた菅義偉氏がにわかに立候補。そしてたちまち、自民党の

  7派閥のうち石破、岸田閥をのぞく5派閥の全員一致支持(すなわち自民党の8割以上)をと

  りつけて総裁選では圧勝した。

 ー菅氏を支持した5派閥は足掛け8年間に亘る安倍政権で既得権を享受してきたって政治家

  集団。石破氏はその既得権構造に切り込もうとしていたので、5派閥はこれまでの既得権を持

  続するため菅支持、石破降ろしに殺到したと言える。自民党の典型的な利益原理作用の帰

  結。

 

 ー菅氏は、秋田県の寒村でイチゴ栽培を営んでいた農家の長男。高卒、集団就職で横浜に来て

  段ボール工場などアルバイトを転々とし、法政大学に籍を置いて空手部に所属。その後、横浜

  を地盤とし、通産大臣ともなった小此木彦三郎氏の秘書を経験、39歳で横浜市議、48歳で

  衆議院議員初当選。その後、梶原静六氏、などの薫陶を得て、政界で頭角をあらわし、第一

  次安倍政権では総務大臣。安倍氏が失意の退陣後は一貫して安倍氏をささえつづけ、捲土

  重来した安倍政権では官房長官を務め続け、官僚の人事などを一手に引き受けて実力を

  磨いた。

 

 ー官房長官時代、菅氏は首相の座への願望も意思もなしと言い続け、他意のない政治家として

  大方の安心感を確保していたが、それが安倍退陣後は直ちに実力者二階俊博氏の下に駆けつ

  けて総裁選への全面支援をとりつけるなど電光石火の行動は常人の想像を超える面もある。

 ー菅氏は田舎の農家の息子、苦労人、官房長官として新年号「令和」をTVで色紙で見せたこと  

  で茶の間の顔「令和おじさん」となるなど、実直な庶民としてのイメージを巧みに売り込ん

  だとも言える。

 

 ー菅氏は、立候補の際、”安倍政策の継承”をうたったが、その後の政策行動は安倍路線とは

  ほとんど無関係。安倍氏がアベノミクスや地球外交などで内外にその構想と行動力をアピール

  していたのと比べると、菅氏にはそうしたアピールはほとんどない。

 ーその菅義偉とはどのような人物なのか、そのリーダー像はまだ未知の部分がほとんどのよう

  だ。

 

 2. 実務家首相の政策案:デジタル庁、官庁改革、CV対策、不妊治療健保適用、

   オリンピック

 ー菅氏は個別具体的な政策を提案して実行する実務化的能力にたけている。以下、

  菅首相が提案し推進しようとしている政策を列記する。

 

 ーデジタル庁:日本がDXの推進に著しく遅れたという認識と反省の下に、2021年

  の春をめざしてデジタル庁を設置し、とりわけ行政のデジタル化を総合的に推進

  しようという構想。平井卓也氏を担当大臣に据えて設置の準備をすすめている。

 

 ー官庁改革:河野太郎氏を担当大臣に任命して、もろもろの行政改革や官庁の縦割りの

  打破をめざしている。河野氏はまず行政手続きにおける印鑑の廃止を提起している。

 

 ーCV対策は最重要としているが、菅政権発足と同時に日本はCV感染第三波が高まって

  いる。菅首相は経済回復の起爆剤として安倍政権の時代から観光・飲食業救済のための

 「Go To キャンペーン」を進めているが、CV対策に目ぼしい取り組みは見られない。

 

 ー菅氏は総裁選の公約として不妊治療を保険適用とすると公約しており、これは技術的

  問題を解決すれば実現はできる。

 

 ーオリンピックは2021に実現することをIOCのバッハ会長と合意したが、世界のCV感染

  が高まっている中で、ワクチン接種の実施も見据えながら、どう実現するか課題は多い。

 

 ー菅氏は以上のような具体政策を進めるとしているが、それらを貫く全体構想が見えない

  という批判が内外から寄せられている。菅氏は「国民の当たり前の生活を守る」「国民の

  食い扶持を確保する」とつねづね提唱しているが、政策構想として魅力がない。

 

 3. 大局戦略:2050年CO2実質ゼロ、RCEP参加

 ー菅氏は施政方針演説で、2050年までにCO2実質ゼロを掲げた。これはEUなどの強い

  方針や中国の2060年目標に同調したともいえる。これを実行するには政府、産業、

  国民が総力をあげて取り組む必要があるが、それを国債公約したことは評価できる。

 

 ー菅政権は2020年11月に、中国がかかわる唯一の大型FTA(自由貿易圏)であるRCEP

 (東アジア地域 包括的経済連携) へ正式に参加すると表明。

 

 ーこれは米中対立が深まるなか、これまで対米従属一辺倒の姿勢が顕著だった日本が中国に

  対して経済的には中国との協調を国際的に見える形で大きく踏み出したという意味で重要な

  一歩と評価できる。

 

 4. 菅政権の展望

 ー菅政権は、退任した安倍晋三首相の残任期間が任期であり、それは2021年9月。

  2021年9月には総裁選で新首相を選び直す必要がある。そこで菅首相が再選されるか

  どうかが日本の政治にとって重要な節目になる。総裁選の前か後には総選挙で国民の信任

  を問う必要がある。

 ー総選挙では、現状では立憲民主党などが代表する野党勢力が自民党に勝つことは困難と思わ

  れるので、総裁選で選ばれる自民党の新政権が国民の信任を得ることは確実と考えられる。

 

 ーそうすると、2021年9月の総裁選で菅義偉氏が選ばれるかどうかが鍵となる。菅政権の事実

  上の生みの親となった二階俊博幹事長は、総裁選は無投票で菅義偉氏選出で良いのではない

  かと発言している。これは2020年9月の総裁選を戦った石破茂氏が選挙母体となる自身の

  派閥の代表を2020年11月に降りたことなども考慮した発言と思われるが、現状では菅義偉

  氏が2021年9月の総裁選で選出され、菅政権は長期政権となる公算が大きいと思われる。

 

  

Ⅶ.   米中対立時代の日本の舵取り

 

 1. 米中対立時代の日本の立場と舵取り

 ー米国と中国の対立が、トランプ政権時代にトランプ大統領による中国輸出品に対する高率

  制裁関税の賦課や、華為技術社などのハイテク企業をEntity listに入れて国際経済から締め

  出すなどのハイテク覇権闘争によって事実上の戦争といえるほどの緊張関係になっている。

 

 ー日本は「日米安保条約」によって米国との軍事同盟国となっており、日本の防衛を全面的に

  米国に依存しているため、米中対立の中、日本政府は中国ハイテク企業の排除などの米国

  の要請に従う判断と態度をとっている。

 ーアメリカのがトランプからバイデン政権に代わっても、アメリカの中国批判はつづくと思わ

  れる。バイデン氏は同盟関係を重視するとしているので、米国の中国批判に日本に同調を

  要請してくる可能性はむしろ高いと想像される。

 

 ー一方、日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、日本企業の対中投資も大規模に浸透

  しているので、中国との経済関係の維持・強化は日本の経済活動にとっては不可欠。

 ー中国と良好な関係を維持することは日本の経済的存続にとってきわめて重要であり、バイ

  デン政権がおそらく同調を要請してくる中国の人権問題批判への対応については難しい

  判断を迫られるだろう。

 

 2. 日本独自の価値の認識と戦略の追求

 ーこうした難しい舵取りが必要とされる中で、日本はむしろ独自の価値を主体的に主張し、

  それを基軸に、米国や中国にたいして是々非々で対応することが必要ではないか。

 

 ー自由貿易の確保や推進、あるいは、地球環境の維持と改善は、地球社会全体の安定や発展

  に資する人類共通の価値であり、それを日本が総力をあげて推進することは適切だろう。

 ーその意味で、菅政権が、2050年までに温暖化ガスの実質ゼロを追求するとしたこと、また

  中国が長くかかわってきた自由貿易権RCEPへの参加を表明したことは高く評価できる。

 

 

Ⅷ.   新時代の日本と新しい日本人への期待

 1. 日本経済の展望:人口減少と高齢化、繁栄の後遺症、活力の低下?

  ー日本経済が直面する最大のそして長期的問題は、人口の減少と高齢化である。

   人口減少は日本経済の成長能力を厳しく制約する。また高齢化はその社会的費用を

   負担するため財政赤字の累積を加速しており、日本の近年の累積財政赤字の蓄積は

   なにがしかのショックで、日本の財政破綻そして経済破綻を引き起こす危険を孕んで

   いる。

 

  ー日本経済は太平洋戦争敗戦の焦土の中から奇跡の復興を実現し、1950年代後半から

   1970年代前半にかけて高度成長を達成した。しかし、1980年代後半のバブルの膨張と

   崩壊の過程で、バランスシート不況を経験した日本企業は、負債返済にとらわれた後ろ

   向きの経営となり、かつての繁栄の後遺症で萎縮している。

 

  ー近年、世界はDXという歴史的な技術パラダイムの転換の中で、激しい技術革新によって

   社会も経済も急速に変化し進展している。それを担っているのは多様な世界の切磋琢磨

   を経て登場している異能な才能の人材群である。近年の日本に欠けているのはそうした

   活力ある人材群である。

 

 2. 新世代の成長をいかに支援するか

  ーしかし、そうした人材群の候補生は、新世代の日本人のなかに多く散見する。

   大学生諸君の中には、かつてのように中央官庁のエリートや財閥系大企業の幹部をめざす

   よりは、自分で事業を創業し、世界的視野で異文化交流を深め、ネットネィティブ世代と

   してDXを体現し、地球環境や人類の健康増進に貢献しようと志す人材が少なくない。

 

  ー彼らにとっては、国籍や人種は制約にならない。世界のイノベーションは国別や企業別で

   なく、国境を超え、文化を超えるオープンイノベーションが常態になりつつある。

  ー日本にとって必要なことは、こうした才能ある新世代に、制約なく成長し活躍できる場と

   環境と必要な支援を提供することではないか。

戦後日本の経験とこれからの選択(1)

Ⅰ.  はじめに
  本稿はある中国の大学の依頼で、戦後日本経済の復興、成長、低迷、そしてこれからの展望を概論的に講義をしたエッセイですが、これは戦後日本経済と政治の歴史的経緯を総合的に理解するうえで参考になると思いますので以下に記載します。
 
Ⅱ.   敗戦と占領
 1. なぜ対米開戦をしたか
 ー歴史はどこまでも遡ることができるが、本講義では、太平洋戦争の終末まで。
 ー日本はなぜ対米開戦をしたが、が大きな問題、疑問。
 ー日本の工業生産規模はアメリカの1/10。軍隊の燃料の石油も、軍艦の原料の鉄屑も
  アメリカに依存。それでなぜ戦争?
 ー太平洋戦争に先立つ20~25年間、日本は中国を侵略。蒋介石軍と戦い。
 ー援蒋ルートを断つため、仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐。石油確保も。
 ー仏印進駐がアメリカの虎の尾ふむ。石油と鉄屑禁輸措置。日本軍は米産石油と鉄に依存
 ーこのままでは座して死を待つほかなし。
 ー近衛文麿首相、ルーズベルト大統領に面会申し込み。大統領前向き、ハル長官ら側近の反対
 ーコーデル・ハル国務長官の最後通牒。満洲国、中国、アジアから撤退条件。
 ー近衛内閣総辞職。陸相東條英機組閣。
 ー1941.12.8.未明、連合艦隊真珠湾奇襲攻撃。宣戦布告到着遅れ
 
 2. 攻撃から惨敗へ
 ー真珠湾大勝に浮かれる国民。
 ー日本航空部隊マレー沖英艦隊撃滅。シンガポール占領
 ー朝鮮、台湾、フィリピン、東南アジア、シンガポール、オーストラリア、大洋州諸島を数ヶ月
  占領。
 ・ABCD(America, Britain,China, Dutch)ラインに対する逆ABCDライン構築
 ー1942.ミッドウェー海戦で惨敗。最新空母4隻と航空攻撃部隊大規模壊滅
 ー航空機設計、通信機能、作戦能力で遅れ。マリワナ沖海戦など惨敗に次ぐ惨敗
 ー米軍:オーストラリア、大洋州諸島、フィリピン、硫黄島、沖縄占領。B29本土直接爆撃
 ー無差別大規模爆撃、本土焦土化、原爆(広島、長崎)
 ー1945.8.ポツダム宣言受諾。ドイツと異なり政府を残して間接占領
 ー占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー将軍着任
 ー日本無条件降伏1945.9.3.(戦争は4年弱:1941.12~1945.8.)
 
 3. 占領の経験
 ーGHQ(総司令部)による占領政策開始
 ー軍と政治の民主化:軍解体、戦犯断罪・処刑(東京裁判)、戦争加担者公職追放、普通選挙
 ー経済・社会の民主化:財閥解体、農地解放、平等教育、労働組合承認
 ー憲法改正:「日本国憲法」GHQ民政局の憲法草案づくり
  マッカーサーのこだわり、天皇制維持のための憲法9条(平和憲法)規定
 ー経済:国民資産吸い上げて財政破綻回避、超インフレで財政膨張、ドッジ財政健全化→不況
  →倒産、失業、貧困、疫病、労働運動、占領軍の抑圧


Ⅲ.   復興と経済成長

 1. 冷戦と米国の対日戦略の転換
 ーWWII後の米国の世界戦略、危険な日本から世界をどう守るか、日本弱体化政策
 ー1946.3チャーチル演説(ミズーリ州Westminster大):”鉄のカーテン” 冷戦の兆候
 ースターリン:東欧、中央アジア、東アジアに進出:圧力と脅威、朝鮮半島進駐
 ー米国の対日戦略転換:George Kennan(国務省政策企画室長) レポート、
  日本を共産圏に接する防波堤として利用
 ー1950.6.25. 朝鮮戦争勃発:北朝鮮軍の南下、中国人民解放軍参加、ソ連空軍支援で共産側
  優勢、米主導連合軍仁川上陸1950.9.15、共産軍を分断。休戦協定1953.7.27
 ー1951.サンフランシスコ講和条約:米英勢力による単独講和、中国招かれず、ロシア不参加
 ー1960.日米安全保障条約、吉田茂首相署名、日本占領終了、独立国として国際社会復帰
 ー日本:Pax Americanaの同盟国の一国として米国の冷戦戦略の一翼を担う。
 ー日米安保条約:片務条約:米国は日本の防衛義務、日本は米軍に基地提供。
 ー対日経済支援:円レート:1ドル=360円。安い円で輸出競争力。日本輸出品に米市場開放
 ー教育支援(Fulbright Program), 技術支援(品質管理、生産性運動~Marshall Plan)

 2. 新興産業(トヨタ、松下、SONY, ホンダ)の台頭
 ー敗戦後の日本のめざましい復活と成長を主導したのは、戦前の日本を支配した巨大財閥
  (三菱、三井、住友、安田など)ではなく、ほとんど一代で零細企業からグローバル企業
  に成長した活力あるトヨタ、松下、ソニー、ホンダなどのベンチャー企業だった。

 ートヨタ:
 ・トヨタ自動車は、自動織機製造で豊田式完全自動織機などの開発で日本のトップメーカーと
  なった創設者豊田佐吉の長男である豊田喜一郎が、関東大震災で自動車の時代がくることを
  予感。自動織機会社に自動車部を設け、自力で自家用自動車の開発に全力
 ・戦争中は軍用トラックもつくったが、同時に製造時間を節約するJust in Time方式を考案。
  戦後は自家用車にさらに注力したが、資金難と労働争議で倒産のリスク。朝鮮特需で復活
  を見る前に死去。後継者達が従業員と一丸となって今日のグローバル企業トヨタを発展させ
  た。

 ー松下:
  和歌山県の寒村、10人家族の三男。父が先物取引で失敗して極貧生活。大阪に出て丁稚奉公
  電気の時代を予感して電気配線工。自立して妻とソケット生産。徐々に業容拡大してランプ
  で成功。ラジオでは日本最大メーカーに。戦争中に軍需生産に加担したことで、占領軍に
  財閥指定を受け、資産凍結、会社解体の危機。一時は自殺も考えたが、朝鮮特需で存続。
  占領統制解除後、急速に回復・発展。日本を代表するグローバル企業に。
 
 ーSONY:
  電波好きの天才少年あがりの井深大と、名古屋醸造名家の長男で海軍の短期現役制度生だっ
  た盛田昭夫が、戦争中軍関連の科学技術研究会で意気投合。敗戦後、東京で再会して、東京
  通信研究所設立。テープレコーダーの国産化に成功。やがてトランジスタラジオで一世を風靡
  グローバル電子メーカーSONYに発展

 ーホンダ:
  浜松生まれ、機械好き少年本田宗一郎。自動車修理工からベンチャー企業を創立。戦争中は
  ピストンリング製造でトヨタの下請け。戦後、小型エンジン開発からオートバイ製作。藤沢
  武夫と意気投合。製造の本田と経営の藤沢。幾多の困難を乗り越えて、マン島レースで優勝。
  世界のバイクメーカー本田。自動車のグローバルメーカーに。
 
 ー敗戦と占領によって旧体制日本の権力構造が徹底的に破壊されたことが、日本民族の
  潜在的活力を引き出した可能性
  ・軍隊消滅、財閥解体、官僚機構の分解、戦前エリート教育の否定など。

 ーこれらベンチャー企業は敗戦の破壊と疲弊の中で生産活動を停止(トヨタ、松下)、もしく
  はその廃墟のなかから事業を創出(SONY、ホンダ)した。

 3. 所得倍増計画
   ー池田勇人政権(1960.7~1964.11)の所得倍増計画(1960.11)発表
  ・10年で国民所得倍増。そのためには年7.2%必要。1950s後半成長率、年9%の実績
    1960sの10年間で倍増を主張。結果はそれを上回った。   
 ー池田首相の知恵袋、下村治、1960年代(1961~71)年10.4%維持を主張。
   結果は10.9%。
  ・下敷きに 下村理論:投資は算出係数(△ Y/△K)媒介に供給力↑:ハロッドモデル。
 ー産業構造の大転換:農業部門の縮小と工業部門の拡大
 ー大規模人口移動:地方から大都市へ、期待所得格差による急速の人口移動、
 ーピラミッド型の人口構造(人口ボーナス)→新卒者の集団就職
 ー低賃金・若年労働力プールからの無制限労働供給(Lewis型モデル)による経済急成長

 4. 経済成長と「日本株式会社」論
 ー日本型経営:年功賃金、終身雇用、企業別組合、愛社精神・忠誠心
  ・年功賃金:企業内訓練と習熟、勤続による技能・生産性向上→勤続に比例する賃金
  ・終身雇用:契約でなく経済成長の帰結。生産持続拡大による結果としての長期雇用
  ・企業別組合:急速な工業化、労働市場形成→産別、職業別労組でなく職工一体の組合
  ・愛社精神・生活防衛のため企業一丸となる忠誠心育まれる→企業一家主義

 ー輸出志向型金融システム:国民の資金吸収→戦略的輸出部門に集中
  ・発展途上の資金不足経済:全国農村の貯蓄を農協が吸い上げ→協同組合→信用金庫→
   地方銀行→都市銀行→政策銀行(興業銀行)→戦略的輸出産業(鉄鋼、造船、機械
   など)。

 ー政府主導の産業政策:アメリカから技術導入→産業構造の逐次戦略的高度化を実現
  ・傾斜生産方式(石炭、鉄鋼、造船、機械)から戦略的輸出産業育成(自動車、電機、
   電子、半導体、コンピューター)。傾斜生産方式で敗戦の廃墟のなかから基礎産業 
   を構築し、その基盤のうえで最先端産業を戦略的に育成した。
  ・アメリカは日本の政府主導のこうした産業育成策を異質な資本主義モデル「日本株式
    会社」として批判し警戒した。


Ⅳ.    戦後経済成長モデルの挫折と失われた20年

 1. 高度経済成長と土砂降り輸出
  ー日本型経営と日本型資本主義は国際競争力を加速的に高め、日本産業は世界市場における
   シェアを急速に拡大した。
  ー1980年代中盤には、日本の自動車や電機産業は世界市場を席巻し、金融でも銀行の資産規
   模では日本の銀行が世界のトップクラスの銀行の11行を占め、さらに最先端の電子産業の
   基幹部品である半導体では日本の主要メーカーを合わせると世界市場の7割のシェアを占め
   アメリカの半導体生産基地であるシリコンバレーを凌駕した。

  ー自動車や電気製品がアメリカ市場に大量に輸出され、そのシェアを急激に増やしていった
   ので「土砂降り輸出」として非難の対象となった。ワシントンでは議会の議員達が議事堂
   前の広場で日本製の新車をハンマーで打ち壊し、またデトロイトでは日本人と間違われた
   中国人が殺害される痛ましい事件も起きた。

 2. アメリカのJapan Bashingとプラザ合意
  ーその当時、アメリカは貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に悩まされており、特にアメ
   リカは日本に対し最大の貿易赤字を抱え、対日批判(Japan Bashing)が高まっていた。
  ーしかも、1985年には日本は一時的であるとはいえ、1人当たりGDPがアメリカを上回っ
   た。こうした現象は、何事も世界一でなくては気のすまないアメリカ人の激しい日本批判
   を掻き立てた。

  ー1985.9 ベイカー財務長官は、NYのプラザホテルに日欧5ヵ国の財務大臣を呼び集め、
   アメリカの対日赤字が異常に膨張しているので、為替相場を適正に調整する必要がある
   との合意を取り付けた。日本からは竹下登蔵相出席。これが有名な「プラザ合意」。
  ー政治が為替相場について介入することは金融政策ではタブーだが、ベイカー長官は
   おかまいなしにこの合意をニュースとして流したために、世界の為替レートは激変した。
  ーそれはベイカー長官の思惑どおり、円の為替レートの急騰を引き起こした。それまで1ドル
   360円だった円レートは1週間後には220円となり、さらに数週間後には150円前後まで
   急騰した。

 3. 日本のown goal: バブルの膨張と破裂
  ー日本政府は、輸出立国の日本がこの円高で、輸出が大打撃を受けとくに中小企業の雇用が
   被害を被るのでは無いかとおそれ、金利の引き下げと大規模な財政支出で需要を創出し、
   円高による経済への打撃を緩和しようとした。

  ーしかし結果的にはこれは戦略ミスだった。この莫大な需要創出策は、大規模なバブルを産
   んだが、中小企業の雇用は減らなかった。それどころか、日本の産業は円高に対して生産
   性向上に努め、輸出競争力は減退せず、輸出は結果的にさらに増加した。
  ー日本政府のとった需要創出策は、日本国内に大規模なバブルを発生させるという意味で、
   いうなればown goalの自滅効果をもった。

  ー政府が創出した大規模な需要は、日本経済にそれを吸収する能力が不足していたために
   ”過剰流動性”となり、それは金融資産と土地に向かい、株価と地価を異常に押し上げた。
  ー株価と地価の上昇は、株式と土地への投資もしくは投機需要を急増させ、バブル
   が膨張した。地価が高騰したため、当時、東京23区の土地総額でアメリカを買えるとか、
   日本列島を売るとアメリカが4つ買えるとか言われた。
  ーこのバブルは生産的な投資に結びつかず、いたずらにバブルを膨張させた。
 
  ー銀行など金融機関は、一般企業や資産家に土地を担保に叶うかぎり融資を行い、土地投機
   を勧めたため、日本経済の価格構造は資産価格の高騰によって大きく歪んだ。
  ー日本政府は、こうした事態を早く抑制すべきだったが、それが需要創出を求めるアメリカ
   の不興を買うことを恐れたので、時間が経過し、バブルの弊害が深刻化した。
  ーそして数年後(1991.3.→1993.10)に、日銀の三重野総裁がバブル圧縮のために、金利
   を大幅に引き上げ、大蔵省は、この機に乗じてバブル創出の元凶と睨んだ不動産業界への
   融資枠を半減するという過激な抑制策をとった。その結果、不動産業界は倒産が相次ぎ、
   地価と株価は急減した。それは日本経済を急速に萎縮させる劇薬となった。

 4. バランスシート不況と低成長
  ーバブル膨張の過程で多くの企業は銀行から土地を担保に多額の融資を受けていたが、バブル
   が崩壊すると、担保の土地価額が急減したので、企業は担保価値をはるかに上回る純債務
   をかかえることになった。
  ーバランスシート上に多額の純債務をかかえた企業は、純債務を減らすために、事業を縮小
   し、雇用を削減しそして投資を控えるようになった。これは企業活動そのものを収縮させ
   るので、経済が収縮し不況に陥った。これがいわゆるバランスシート不況である。

  ー一方、銀行など金融産業は、貸付先の企業から債務の返済が遅れ、もしくは不能になった
   ため、回収のできない”不良債権”をかかえることになった。その結果、中小金融機関だけで
   なく、いくつかの大手銀行も破綻し、金融恐慌一歩手前の深刻な事態となった。
  ーこうしたバランスシート不況の結果、経済成長は著しく鈍化し、低成長がつづくことに
   なった。

 5. 高齢化と財政赤字の累積
  ー1990年代から2000年代にかけて、日本経済は人口の縮小と高齢化という構造変化に
   制約されることになった。出生率の大幅な縮小によって日本の人口は1990年代の中盤
   以降、ゆるやかな縮小過程に入った。労働力人口はそれより10年ほど早く縮小段階に
   はいっていた。

  ー人口が縮小すると同時に、人口構造は急速に高齢化した。人口減少は労働力人口の減少を
   つうじて経済成長をささえる最大の要素である労働供給を減退させるので、日本経済の
   成長力は著しく減退した。
  ー成熟段階にはいった日本経済では、技術革新や資本形成による生産性向上は年率1%程度
   ほど期待されるが、労働力人口が年率0.7%程度縮小するので、経済の成長力の指標である
   自然成長率は中期的に0.3%程度しか期待できない。

  ー一方、社会保障支出は人口の高齢化によって持続的に増大する。増大しつづける社会保障
   支出は財政支出を増加させるが、それを賄う国民所得は労働力人口縮小によって漸減する
   ので、社会保障財政は支出超過で赤字になる。この財政赤字は低成長下の国民の担税力で
   はまかない切れないので、その補填は赤字国債発行により次世代の国民の負債の形で膨張
   する。
  ー日本経済はこうして1990年代以降、膨大な累積財政赤字をかかえることになった。
  ーちなみに1990年の累積財政赤字はGDP比60%だったが、2000年には140%となり、
   近年では240%に達している。新型コロナウィルス対策で多額の財政支出をすることに
   なった結果、2021年には累積財政赤字のGDP比は260%という世界最悪、歴史上でも
   空前の赤字になるとIMFは予測している。

 6. 失われた20年
  ーバブル崩壊後のバランスシート不況、借金返済に追われて投資意欲をうしなった企業の
   活力喪失、人口縮小による日本経済の成長能力の低下、高齢化による社会保障支出の急増
   とそれを賄うために膨張した未曾有の累積財政赤字などの制約で、1990年代以降、日本
   経済は年平均せいぜい1%前後という極端な低成長時代を経験している。
  ーこの低成長時代はすくなくとも1990~2010年前後の20年間以上つづき、”失われた20年”
   といわれる。

  ーこの期間、アメリカは2~3%の成長率、中国は10%前後の成長率を維持した。プーチン
   時代のロシアやモディ政権下のインドは5~7%成長を達成し、日本の低迷は世界でも特異
   である。
  ー日本が年率10~5%の成長率で拡大をつづけた1980年代頃、アメリカは日本を批判・攻撃
   し、Japan Bashingを言われた。1990年代に入るとアメリカは高度成長をつづける中国
   に注目し、日本は立ち寄るだけの国になったので、Japan passingといわれ、21世紀に
   はいると活力をうしなった日本は注目されなくなり、Japan nothingと揶揄された。

  ー日本の持続的低成長は、バブル崩壊や労働力人口の減少だけでなく、その他多くの構造的
   制度的原因があるのではないか、との考えから歴代の政権がさまざまな構造改革を試み
   てきた。
  ー中曽根康弘政権(1982~87)は国鉄民営化に象徴される日本の制度的構造の改革に
   挑んだ。橋本龍太郎政権(1996~98)は省庁の構造を抜本的に編成しなおした。
   小泉純一郎政権(2001~2005)は郵政改革をつうじて日本の公的部門の改革を敢行
   した。

  ーしかし、小泉政権を受け継いだ安倍晋三政権は彼の持病のため1年しか続かず、それを
         引き継いだ福田康夫政権もまた麻生太郎政権も短命で終わり、2009年にはそれまで半世紀
   間、日本の政治を事実上独占していた自民党政権に代わり、民主党政権が誕生した。
   しかし政権担当の経験のない民主党政権は迷走し、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦政権
   と矢継ぎ早に交代し、日本は6年間に6人の首相が目まぐるしく替わるという異常
   な時代を経験した。

  ーこのような極端な政治の不安定がつづく中で、経済ではデフレが進行していた。デフレは
   長期化すると経済をむしばむ深刻な病となる。デフレ下の物価低下は消費者からは短期的
   に歓迎されるが、長期につづくと消費者は買い控えをするようになり消費が減退する。ま
   た企業家は、物価低下期待の下では、投資収益が期待できないから投資と手控える。経済
   を構成する消費と投資が長期的に減退しつづけると経済は縮小しやがて衰退する。失われ
   た20年間に日本経済は長期デフレという深刻な体質病に侵蝕されはじめていたのである

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