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躍進するIT産業:インドの可能性と課題(3)

2)ガンディー王朝 I  インディラ・ガンディー

   インディラは妻を亡くした父ネルーのために首相官邸で公式ホステス、またシャーストり

  内閣の情報・放送相。1966、48歳。数年前に夫フィーローズ・ガンディを亡くした未亡人。

  二人の息子の母。

 

   着任早々、重大な危機。大旱魃で食糧不足。ネルーの重工業への重点投資政策を中止。

  あらゆる手段で農業増産をはかった。総合農業計画:新種開発、化学肥料投入、大規模な

  灌漑整備。「緑の革命」と呼ばれた。農業改革は一時的成果。農業生産も工業も増産。

  国民所得も上昇。しかしモンスーン効果だった。いまひとつの問題:新たな社会格差拡大。

   成果は大規模農場中心。貧しい農民は置き去りだったが、なぜか1970年代、インディラは

   これら貧困農民を支持基盤に勢力ふるった。

 

    インディラの首相就任は派閥の妥協の産物だった。インディラは自分の信念を貫く決意。

  それは父親ゆずりの政教分離と社会主義思想。1967、決意をためす選挙を敢行。結果は

  会議派が過半数を20議席上回るだけ。会議派の旧来のボスはインディラに不信感を強め

  インディラをインド大統領候補に指名。インディラは拒否。党から除名。インディラは

  「会議派内インディラ党」と結成。勢力基盤強化に着手。まず国内大銀行を国有化して

  国民の人気取り。タミル系のドラヴィダ進歩同盟と共産党と連合して政権強化。

  ここから15年にわたるインディラ時代はじまる。

 

    インディラは、会議派の組織をつうじて行動するのでなく、直接、民衆に訴えかけ。

   この戦略は1971選挙で見事は勝利。1967選挙で失った議席取り戻す以上に352席という

   圧倒的議席を下院で獲得。社会主義路線継続。1971ソ連と同盟条約。アメリカとの友好

   関係に終止符。外交での最大の勝利は、パキスタンとの戦争に圧勝したこと。

 

    パキスタンの領土は1000マイル及ぶインドの領土によって東西に分断されていた。

   1960年代以降、パキスタンはこの分断による利害関係の調整に苦慮。71頃、西の

   パンジャーブ人に支配される東のベンガル人の不満が暴動として爆発。パキスタン軍が

   武力で弾圧。インドはベンガル人に味方。はじめは地下運動。1971.12.直接インド軍介入。

   パキスタンはインド側に10万人捕虜残して降伏。東ベンガルでのパキスタンの威信は地に

   落ち、バングラデシュという新しい国が誕生。パキスタン領土半減。インド優位が決定的。

 

    パキスタンに圧勝、1971選挙圧勝。インディラ支配体制が確立。インディラポピュリズム

   専制政治。「インディラがつねに正しい」政権は専制者にまといつく追従者の集団。

   農村に利益もたらす計画発表。しかし富農階層と対立する勇気なし。富農、富裕層の

   脱税横行。貧困層は置き去り。食糧不足深刻化。失業者増大。1974世界エネルギー危機が

   事態をさらに悪化させた。インフレ高騰。野党が一斉に反政府運動。

 

    インディラに決定的打撃。1975.6.12. 最高裁判所が1971選挙でのインディラの選挙  

   違反認め、選挙結果無効判決。インディラは辞職せず、相手に先制攻撃。1975.6.26.

  「非常事態宣言」市民権利停止、報道管制、反政府政党非合法化。インディラの過去のいか

   なる違反も問えない法制化

 

    次男のサンジャイ主導でスラム街の撤去。人口増抑制のため二人以上の子供もつ父親は

   断種。これらの政策で政権は二大支持基盤、ムスリムと貧困層を敵に。インディラは

   それに気づかず。1977.3.非常事態宣言を正当化するため突然議会を解散、総選挙。

   総選挙で敗退。政権失ったのは当然。国民党(ジャナター党)主導の野党295席。

   会議派154のみ。モラルジー・デサーイが首相。会議派以外ではじめての首相。

 

   しかしデサーイは党派間闘争で1977政権を追われた。後任はチャラン・シン、非バラ

  モンジャート系政治家としてはじめての首相。シンは1ヶ月で崩壊。国民党連立体制崩壊。

  1980.1.総選挙。インディラ奇跡の復活。会議派は下院の2/3議席確保。会議派は国民の間

  に依然、隠然たる浸透力と影響力。権力を握ったインディラは再び政治に私情。次男の

  サンジャイを後継者として教育。自分に忠誠を誓う部下を公認候補に。

 

   サンジャイが1980.6.曲乗飛行中に事故死。悲嘆にくれるインディラは長男のラジーウ

 (1944~91)に政界名門の引き継ぎを命ず。インディラは少数民族や宗派問題を材料に国民の

  気を引く。政教分離という会議派の伝統を放棄したことが彼女の命取りに。

  スィク教徒が自治州を要求していた。伝道者ビーンドラワーレの過激主義。スィク教の総

  本山を占拠してスィク教国家承認を要求。インディラは彼らの運動の壊滅のため軍と突入、

  数千人のスィク教徒殺害。

 

  1984.10.31.インディラが住居を出て執務室に向かう庭園。護衛兵のスィク教徒が彼女を

 銃で暗殺。即死。この暗殺は国民の怒りを買い、全国でスィク教徒への攻撃↑。デリー

 だけでも1000人が犠牲。警察も会議派の政治家も黙認。

 

3) ガンディー王朝 II (ラジーウ・ガンディー)

  ラジーウ・ガンディーはハンサムで愛想が良くミスタークリーンの異名。インド大衆は彼が

 首相になることを期待。母の遺産を生かして首相になるべく1984.12、彼は総選挙要請。

 会議派は圧勝。下院8割415席。全有権者の45%。ラジーウの妻ソニアは1946イタリア北東部

 ルジアーナに生まれ。カトリック教徒として育つ。ケンブリッジ留学時18歳、ラジーウ・ガン 

 ディーと出会い4年後結婚。

 

  ラジーウは、会議派の伝統に反し、インドを世界の資本主義に開放しようとし、そのために

 民間企業重視。彼のもっとも意味ある決断は1980年代にはすでに50年間世界経済から孤立し

 ていたインド経済の解放だった。ラジーウはコンピューターと資本の移動が未来を左右するこ

 とを敏感に察知。近代的な若手経営者と親交。彼らは異口同音に旧来の許認可制がインド経済

 の足かせと主張。ラージうはインド自由化をいくらか前進。

 

  スリランカでは、仏教徒のシンハラ人多数派とヒンドゥー教徒のタミル人少数派が

 対立。ラジーウはこの問題に不用意に介入して双方の不信と怒りを買った。1991.5. 

 タミル・ナードゥ州一帯で選挙活動をしていたラジーウにタミル人テロ集団のメンバーと

 思しき女が近づいて自爆。ラジーウとともの多数の聴衆を爆死。この時、ラジーウはすでに

 政権を去って下野していた。ソニアは夫の不幸でファーストレディーになった。

 

  暗殺後の総選挙は弔い合戦。会議派勝利。だが、党勢は低迷。ラディブ、ソニアにはラフル

 ブリアンカの子供。まだ小さい。1998、ソニア自身が会議派の総裁。だがソニア総裁就任に

 党内の理解得られず。ソニアは総裁でも首相や候補にならない道。青いターバン、経済学者

 のマンモハン・シンが大番頭として首相。シンはシーク教徒。

 

 4.  非同盟主義から対米傾斜

 

   ネルーは中国との関係重視、1954周恩来と「平和五原則」平和共存の蜜月時代あった。

  1955、バンドン会議。第一回アジアアフリカ会議。ネルー、周恩来、スカルノ、ナセル

  が注目浴び、植民地主義の終焉と新時代の到来を予感させた。

 

   しかし、中国のチベット進攻と、インドのダライラマ14世亡命受け入れなど関係悪化

  1962. 中国人民解放軍がインド北部、現アルナチャル・ブラデシュ州とカシミール周辺

  に侵攻。国境めぐる軍事紛争に発展。インドは敗北、両前線で中国は実効支配拡大。

 

   ネルーとインド国民はこれを「裏切り」と受け取り、大きな衝撃。それ以降、中国は

  インドの最大の仮想敵。対中感情はいまも悪い。1964に中国が核実験成功。インドも核武装

  に舵。インドの核武装はもともと対中国戦略。

 

   ネルーの死後も、外交・軍事両面で長く非同盟主義。兵器をおもにソ連から購入して

  いたインドは冷戦終結とソ連の崩壊以降、徐々に軸足をUSとの連携に移す。USも

  インド洋やペルシャ湾の海洋権益保護でインドの協力必要。1992から米印合同の海上演習

  マラバール実施。2006ブッシュ政権が米印原子力協定合意。USはインドを核兵器保有国と

  認め、制裁対象でなく、経済・軍事両面でパートナーとする方針に転換。インドも対米傾斜

  を強めて今日にいたっている。

 

  5. 社会主義・計画経済から開放・自由経済へ

   

    1991経済危機。インドの保有外貨が底とつき、債務不履行寸前。1991.2.予算を通せな

  い事態。国際信用↓。きっかけは湾岸戦争で石油価格上昇がインド経済直撃。中東に出稼ぎ

  に行ったインド人労働者からの本国送金も急激に細り、国内に混乱。この経済危機は外貨を

  稼ぐ力がないという構造的なもの。

 

    財務大臣マンモハン・シンは、大胆な改革実施。産業や貿易の許認可制度を撤廃。

  民間の参入を大幅に拡大する自由化政策で国を開放。社会主義を建前とする国が、市場と

  競争の原理を重視する政策に転換。関税引き下げ、海外からの企業進出しやすくした。

 

   シンは外貨不足を補う資金調達のためIMFと世界銀行から融資取り付け。その条件が

  「新経済政策」と呼ばれた「構造調整プログラム」。条件として閉鎖的経済を開放する

  ことが迫られた。政府は国民を飢えから救うために条件を呑んだ。

 

   それまで植民地支配によるトラウマから欧米の干渉を強く拒否、独立以来、外交でも

  非同盟の看板をかかげてきたインドが、頑なな姿勢から大きく転換、外の力を借りること

  に。自国の産業を守るために続けられてきた輸入制限政策が緩和。貿易や投資が大幅に

  自由化された。そしてIT産業も急成長に。

 

   シンの経済改革は、インドがそれまで国を閉ざしていた期間が長い分だけ、効果は大。

  シンの路線はその後も引き継がれ、自由化政策によって先進諸国からの投資がすすみ、

  経済は順調に発展。1991に0.9%だったGDP成長率は、90年代半ばに年率6~7%の高い

  成長率をつづけるようになる。

 

     

Ⅷ.   大国インドの課題

 1 大国の潜在力と大国の資質

  1)経済規模

         ・インドの人口は現在13億人。GDPは約2兆ドルで中国の約10兆ドルの1/5。しかし人口

    構成が若いので、人口ボーナスが得られれば、15年後には現在の中国と同規模の経済

    になると予測されている。

 

   ・インドの若い人口が経済成長を促進する”人口ボーナス”になるかどうかは、インドが

    これから6億人にもおよぶ低賃金の若い人口(その大半は農業部門での不完全就業者)を

    製造業や付加価値の高いサービス部門に吸収できるかが鍵を握る。

   ・M首相の「Make in India」戦略はそれを実現することを意図しているが、日本が戦後の

    高度成長を”太平洋メガロポリス”構想によって進めたことも参考にしている模様。

 

   ・現在の中国はPPPで測ればアメリカより5割も大きい。インドが将来、現在の中国に匹敵

    する経済大国になれば、世界的な影響力は今よりはるかに大きく、世界をリードする大

    国としての役割が期待されることになるだろう。

    

  2)国内問題・民族問題

   ・インドは巨大な国土と膨大な人口を持つが、国内の地域、民族、宗教、言語など

    は多様で、多くの複雑な問題をかかえている。

   ・これらは簡単に解決できる問題ではなく、インドはこれからもこれらの複雑な問題

     に直面しつづけるだろう。

 

  3)国際信頼とリーダーシップ

   ・インドが世界の大国にふさわしいリーダーシップを発揮できるかは、国際的

    な信頼をどれだけ得られるかにかかっている。 

   ・将来、世界の大国としてそれなりの役割を果たすためには、いまから信頼される国

    となるための努力を重ねる必要があるだろう。

 

 2. Secularismとヒンドゥー至上主義

  ー国際社会とりわけ西欧のインドについての懸念のひとつは宗教対立問題ではないか。

   インドには十以上の主要な宗教があり、数千もの宗派がある。多様な宗教のなかで、

   ヒンドゥー教とイスラム教の対立は歴史的にも現在でも深刻な問題。

 

  ー英国の植民地支配からインドの独立を果たしたネルー首相らの国民会議派はこの宗教

   対立を政治にもちこまない知恵としてSecularism(世俗主義)を建国の理念にかかげ  

   憲法にも明記した。

 

  ーところが、M首相は、ヒンドゥー至上主義を掲げるRSS(民族奉仕団)出身という背景

   もあり、首相になってからもますますヒンドゥー至上主義を強調している。

  ・最近の国籍法改正問題でも、近隣諸国からインドに移住したイスラム教徒への差別を

   より明確にしようとしてモズレム社会の反発を招いている。

  

 3. インドーパキスタン対立の内外への影響

 1)インドーパキスタン対立の重大さ

  ・ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教上の対立は、インドと隣国パキスタンの対立の  

   根源だが、両国はそれぞれ核保有国であり、たびたび武力紛争をしてきているだけに

   対立は地域問題にとどまらず世界平和に影響する。

 

 2)根深いインドーパキスタンの対立

  ・対立の根源、インド、パキスタンの建国の歴史。1947独立の際、インドとパキスタン

   が分離独立したため、インド地域のイスラム教徒とパキスタン地域のヒンドゥー教徒が

   相互に大量移動。その過程で大量な殺戮。

 

  ・国境付近では対立の根が集積。インドは内部に1.8億人のイスラム教徒、しかも増大。

   政治にそうした宗教対立を持ち込まない知恵としてネルー首相は憲法にSecularism(世俗

   主義)を明記し政教分離を国是とした。

  ・しかしモディ首相はヒンドゥー至上主義をかざしてはばからない。

 

  3)インドーパキスタン対立に核の影

  ・1998インド、パキスタンが核実験。両国の核実験は国際社会に衝撃。最初に核実験したの

   は「強いインド」を標榜していたパジバイ首相。単なる宗教戦争は核戦争の脅威という

   世界の問題につながりかねない。

 

  ・2002、印ぱ戦争勃発の瀬戸際。パキスタンからの越境武装集団が2001暮、ニューデリー

   の国会議事堂を襲撃。核兵器の局地使用の危険ありうる。

 

 4)カシミール問題

  ・印パ対立の緊張焦点にあるのはカシミール。インド独立の際に最後まで所属が明確でなか

   った地域。1998印ぱ核実験の後、カシミール地方にインド軍30万に増強。偶発戦争の可

   能性もあった。現在でも両軍実効支配で睨み合い。

 

  ・カシミール地方で、2019.2. 両国の軍事行動がエスカレート。インドが実効支配する

   ジャム・カシミール州、インド兵治安部隊のバスに車がつっこんで40人死亡。車には

   350Kgの爆発物。カシミールのパキスタン領有を求める過激派組織「ジャイシュ=エ=

   ムハマド(ムハンマドの軍隊)」が犯行声明。この組織は2001インド国会議事堂襲撃事件

   の関与も疑われている。

  ・インド軍、Pakistan領内の武装組織の拠点爆撃。両軍空中戦にまで発展。核兵器保有国の

   危険な報復連鎖に米中など懸念表明。

 

  ・2019.5総選挙を受けて、インド政府は2019.8.イスラム教徒が多数を占めるジャム・カシ

   ミール州に特別な自治権を保証してきた憲法370条の規定を廃止。それは他のインドの州

   と同様な扱いになる。多数派のイスラム教徒には衝撃(パレスチナと同様に)。

   パキスタン政府は対抗措置。

 

  5)改正国籍法問題

  ・2019年12月、インド上院で可決された改正国籍法は、パキスタンなど3つの隣国

   出身でインド在住のイスラム教徒を国籍認定で差別する法律で、M政権の差別主義と

   して西欧など国際社会から批判されている。

 

 4. 超大国の役割と自覚をもてるか

  ー経済的に超大国になりうるインドが、世界政治の面でも世界を主導する国として信頼され 

   認知されるかは、将来のインドに問われる最大の課題だろう。

 

  ー第二次世界大戦後、世界を主導したのはアメリカ。大戦前の世界は2世紀にわたって帝国

   主義の時代であり、英仏などが植民地帝国として利権を欲しいままにしたが、1928年パリ

   で締結された「不戦条約」以降、世界は新たな時代に入った。

  ・大戦後、単独で世界GDPの過半を占めたアメリカは、戦災で疲弊した国々と地域の復興が

   アメリカ自身の発展のためにも不可欠と考え、経済と安全保障に関する国際協力の枠組み

   (Pax Americana)を構築し推進した。アメリカは冷戦時代、この体制下で多くの国々と

   同盟関係を結んで、世界のリーダー国としてそれなりの国際信頼を獲得した。

  ・そのアメリカの大統領に選ばれたトランプ氏がそうしたアメリカの国際的遺産を破壊して

   いるのは誠に残念。トランプ政権下で国際社会のアメリカへの信頼が低下するおそれ。

 

  ー中国は大戦後、毛沢東の指導下で低迷したが、鄧小平時代の改革開放政策で飛躍的に

   発展。鄧小平氏は「韜光養晦(才能を隠して内に力を蓄える)」で国際的には控えめな

   姿勢に徹したが、習近平主席は「中国夢」を唱えて国民を鼓舞し、大国主義を志向。

  ・国内的には民主主義を否定。情報統制の管理社会。コロナウィルス問題では国家権力に

   よる隠蔽的な体制が国民からも批判。

  ・1980年代以降の急速な経済発展、2000年以降の目覚ましい情報化などの成果は評価

   称賛されるが、事実上の独裁体制は国際社会の共感と信頼を得られていない。

 

  ーインドは近年、若い人口と優秀な人材群、欧米諸国の積極投資を生かして急速な発展を

   遂げているが、将来、現在の中国にならぶ世界の経済大国になる時、世界の信頼をいかに

   確保するかが大きな課題。

 

  ーインドは自他ともに認める世界最大の民主主義国。それは信頼醸成の重要要素。宗教

   対立による民族差別はこれから克服すべき大きな課題。

   

 

Ⅸ.   日印協力の可能性

 1. 戦後の日印関係

 ー日本とインドの正式な国交は、日本に対する寛大な内容の日印平和条約が結ばれた1952。

 

 ー独立したばかりの戦勝国インドは、SF講和会議で主権を回復した日本にアメリカ軍が駐留

   することに反対して会議を欠席。日本への請求権を放棄する友好的な姿勢をしめした。

 

  ・大戦中の主要な戦争犯罪人を裁いた東京裁判ではパル判事が日本人被告の無罪を主張。

  ・1949年、ネルー首相は友好の証に娘インディラの名をつけた象を上野動物園に送った。

  

  ー1958、日本はODAの第一号となる円借款を供与。インドの電力設備、船舶建造支援。

  ・1957、岸信介が首相としてはじめてインド訪問。つづいて池田首相。

   しかし1960sにはいってベトナム戦争が激化。アメリカは共産主義の拡大をふせぐため

   東南アジアを重視するようになり、日本も影響をうける。

 

  ー冷戦の時代、日本は日米同盟を基軸とする自由主義経済を進め、インドは非同盟外交の

   方針を貫き、閉鎖的な経済体制をとっていたため、日本との接点がなくなる。

 

  ・日印が再接近するきっかけは、1991のインドの経済危機。

   外貨準備が底をつきデフォルト直前まで追い込まれたインドに手を差し伸べたのが日本。

   2億ドルの緊急借款、アジア開発銀行からの1.5億ドルの協調融資でインドは危機を

   しのいだ。当時のシン首相は日本の支援に深く感謝。

 

  ー1998.3に政権に就いたBJPのパジバイ首相は、経済解放をさらに進める政策をとったが、

   1998.5.にパキスタンとの軍拡競争に触発される形で核実験。パキスタンも核実験で対抗。

   日本はインドに即座に抗議。駐インド大使を帰国させ、新規の円借款を中断。関係は

   冷却。

 

 2. 新たな日印パートナーシップ

  ー日印関係の雪解けは、2000の森喜朗首相の訪印。クリントンの訪問で米印関係が改善

   すると8月に訪問。パジバイと会談。核実験凍結、日本は経済措置を緩和。日印関係を

   「21世紀におけるglobal partnership」と位置づけ。森氏もそのあとに訪印した

   小泉首相も同時にパキスタン、バングラデシュなど訪問。当時の日本は印パのバランスを

   重視。

 

  ーそれが変わったのは2007の安倍訪印。パキスタンを訪ねず、インド重視の姿勢。

   インドはBRICSの一角として存在感。安倍は台頭する中国とのカウンターバランス

   のパートナーとしてインドを重視。シーレーン防衛など。安倍は「戦略的」を加えて

   戦略的グローバルパートナーシップとして歓迎された。

 

  ーインドも日本を必要としていた。M氏は宗教問題でアメリカから入国拒否された時、

   日本の支援と呼びかけ頼りとした。Mが2007来日、第一次政権の安倍と会談。

   2012に来日時、下野していた安倍と面会して関係を維持。Mが2014来日の際、

   安倍はTwitterの公式アカウントでフォローしていた3人の一人。個人的信頼関係

   強く。2014以降、日印関係ははるかに緊密。

 

 3. 安倍ーModi首相の緊密な関係

  ー2014.9. 新しい首相となったMが日本を訪れ、安倍首相と首脳会談。M首相はこれまで

  (2019.7)5回日本訪問。グジャラート州首相だった2007と2012にも訪日。

   共同宣言「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」

   2000年にはじまった日印連携に特別と戦略を付加。

 

  ・Mが最初に訪れたのは古都、京都。わざわざ安倍首相が京都まで出迎えるのは珍しい。

   これにはおもてなしの工夫。京都の東寺には、大日如来はじめインドに起源をもつ

   仏像多数祀られている。なかでも梵天はヒンドゥー教では三大神の一人で宇宙を創造

   したとされるブラフマー神。Mをヒンドゥー教神々が形をかえて祀られている東寺に

   案内。

 

  ー東京の各界代表者招いたセミナーは超満員。

   Mは「これまではLook Eastだったが、これからはLook at Indiaだ」と巧みなキャッチ

   コピー。「皆さんが成長のために探し求めてきた場所はインド。日本が10年で起こした奇

   跡はインドでなら2年で実現できる。民主主義、人材、需要のすべてが揃っているのはイン

   ドだけ」

 

  ーインド経済が人口増を吸収できる7%を超える成長を達成するには、製造業とサービス業

   で9%以上成長必要。それを土台に農業ば3~4%の成長を達成せねばならない。

   外国の投資家から見ると、インドの最大の弱点は基本となるインフラ。道路、鉄道、

   エネルギー、流通などの遅れ挽回が課題。それこそ日本が手を差し伸べられる分野。 

  

 4. メトロが象徴する日本の対印支援

  ーインドの首都デリーとその近郊を走る地下鉄「デリーメトロ」の総延長はすでに東京の

   地下鉄に迫る300km近い規模。メトロは、首都圏のほか、商業中心のムンバイ、南部の

   チェンマイなど各地で新規開業や延伸が相次ぐ。

 

  ・デリーメトロは2002、日本から円借款や技術協力で導入。その後、路線を急速に拡大。

   今、9路線で総延長278km。駅の数も300近い。通勤通学300万人の足。

   アーメダバード、ベンガルール、コルカタのメトロ建設もJICAが支援。

 

  ーインド政府は新幹線方式の高速鉄道について2023の開業めざす。

   日本政府は1.8兆円の事業費のうち、最大で1.46兆円の円借款を段階的に供与する予定。

 

   新幹線の導入は、2014モディ首相初訪日の際に話し合われた。首脳会談で、向こう5年間

   で3.5兆円規模の投融資がインドに向けられることに。インドに進出する日本企業を当時の

   1000社から2000社に。年間2000億円だった直接投資も2倍にする目標。その目玉が

   新幹線。

 

   新幹線は、ムンバイとモディ首相の地元のグジャラート州アーメダバードと結ぶ500km

   の区間を走る予定。所用時間は現在の8時間から2時間あまりに短縮の予定。

 

 2. 日印の接近と対照的な日本企業の乏しいインド投資

 

  1)相互補完で接近する日印両国

  ー上記したように、日本とインドは近年、相互補完の利益を追求して急速に接近。

  ・日本は人口減少で経済の潜在成長力は減退一方。インドは平均年齢25歳という若い人口

   構成で、経済の構造改革を実行できれば莫大な成長が可能。

  ・人口減少の日本にとっては夢の潜在市場。

  ・製造業やインフラ基盤強化が必要なインドにとっては日本は強力なパートナーの可能性

  ー中国への対抗力としてインドも日本も相互で協力できる地政学的関係。

  ・日本はアメリカの後ろ盾もふまえ、インドー太平洋協力構想を推進。

 

  2)乏しい日本企業のインド投資

  ー政府間の協力関係の進展にくらべ、日本企業のインド投資は極めて乏しい 

  ・日系インド進出企業数は中国の20分の1

   

  ー日本企業のインド進出、中国との比較

                 インド        中国

   GDP(10億ドル)      1871         9455

   人口(10万人)       1243         1368

   進出企業数(千社)       1.1         23.1

   在留邦人数(万人)       0.7                           15.0

  

・なぜ中国とくらべてこれほど少ないか。

・インドは遠い?飛行機で10時間以内。物理的には遠くない。

・異文化、商習慣の違い?

・スズキ自動車の活躍は見事。

  息子のサンジャイを飛行機事故で失って悲嘆にくれるインディラ・ガンディー首相にサン

  ジャイの忘形見「マルチモーターズ」の事業を受け継ぐとして果敢に飛び込んだスズキ社長

  の着眼、気迫と実行力。いまではマルチスズキはインド乗用車市場の半分。例外か?

・最近はインドへの関心も高まり企業進出も増加。

  この10年で企業進出も増加。事業拠点数は10倍。約5000ヶ所。

・それにしても中国にくらべまだ桁違いに少ない

 

 3. 不十分なインド理解

  1)インドは巨大、多様で複雑。

   ・地域、民族、宗教、言語

 

  2)対日感情の良さ

   ・仏教の伝統:2014のM首相訪問時の京都東寺のエピソード、

   ・インド独立運動の活動家スパス・チャンドラ・ボース、インド国民軍を率いてインパール

    作戦で日本帝国陸軍ととも対英戦闘

   ・SF講和会議に欠席、対日請求権放棄

   ・東京裁判でパル判事が日本被告の無罪主張

 

  3)必要なインド近現代史の理解

   ・世界最古の文明史:長い歴史。近代史だけでもムガール帝国、東インド会社支配の時代

    英国による植民地時代、ながく厳しい独立への闘争の時代

   ・独立時のパキスタンとの分割と大殺戮の悲劇

   ・分割統治の後遺症:宗教対立

 

 4. 次の超大国インド理解と協力のすすめ

  1)インドの膨大な可能性

   ・13億人の若い人口が生む限りない可能性

   ・欧米主要国や中国・韓国はインドの可能性を理解し進出。それに比べ日本企業の進出は

    少ない。

   ・インド経済のこれからの巨大な成長の可能性は、人口減少で潜在生聴力が伸び難い日本

    にとって貴重な大きな可能性を示唆する。

   

  2)インドの重要性

   ・インドと日本は相互補完生が高く、両国産業界の密接な協力によって、互いに大きな

    利益を得る可能性がある。

   ・現在のインド経済の最大の難点の一つはインフラの未整備。日本は交通をはじめとする

    インフラ基盤の整備ははるかに進んでおり、それを実現した技術や運営ノウハウがある

   ・他方、インドは進んだIT産業が象徴する、極めて能力の高い人材が膨大に存在する。

    彼らの人的能力が活用できれば、日本経済の成長可能性は大きく高まる可能性がある。

 

   ・日本企業のインドへの進出が中国にくらべて大きく遅れた理由のひとつは商慣習の

    違い、もっと具体的には彼らのビジネス交渉力に日本人が太刀打ちできないことが

    指摘されている。インド人ビジネスマンの交渉力やサバイバル能力は、インドという

    多様で厳しく容赦のない社会で鍛えられた特質といえる。

   ・日本のベンチャーや企業がインド社会の激しい競争の中で鍛えられることは、存続の

    ためにグローバルなビジネス展開が不可避なこれからの日本にとって貴重な修業の

    機会になるはず。

 

<<参考文献>>

 

江藤宗彦(株式会社ドリームインキュベータ DIインド社長)『インドのスタートアップについて』2019.10.3 島田村塾報告資料

Mishra Manish(株式会社Bridge&Sun 代表取締役)『The India-You Don’t Know』2020.島田村塾報告資料2019.12.2.

伊藤太(Market Drive Inc.社長)Musubi Management Pvt Ltd『ShareKart 事業計画書』2020

在インド日本大使館での懇談:安藤俊英公使、熊谷直樹公使、早川瑞穂参事官、青島参事官

L.K.Advani 『My Country My Life』2008 Rupa and Co.

Jawaharlal Nehru『Glimpses of World History』2004 Penguin Books

広瀬公巳『インドが変える世界地図:モディの衝撃』2019 文藝春秋社

貫道欣寛 『沸騰インド:超大国をめざす虚像と日本』2019 白水社

武鑓行雄 『インドシフト』2019 PHP

バーバラ・D・メットカーフ、トーマス・R・メットカーフ『インドの歴史』2006 創土社

平林博『最後の超大国インド』2017 日系BP社

笹井亮平『モディが変えるインド』2017 白水社

島田晴雄『インド研修訪問報告2020.1.26~2.3』

 

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