« 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(1) | トップページ | 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(3) »

中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(2)

Ⅳ. 通信機器産業をリードした華為技術社


 1. 華為技術有限公司の目覚ましい発展
  ー世界最大・最強の通信機器メーカー
  ーたった30年の歴史で世界のトップへ
  ー次世代通信5G技術では世界をリード
  ーユニークな経営・人材管理戦略で注目


 2. 華為技術有限公司の発展略史
  ー1987創業以来、今日までの32年の歴史を概観
  ー創業者、任正非氏。
   ・ 1944 貴州省安順市に生まれる。貧困地域。両親は学校教師。7人の子供を学校に
     通わせるため、満足に食事もできない貧困生活。
   ・1963 高校卒業後、重慶建築工程学院(現、重慶大学)に進む。
   ・1966 文化大革命の衝撃:両親は教師だったので、教育批判の標的にされ、牛小屋(反革
    命派の牢獄)に投獄、革命支持派だったが理解されず、思想改造追求で三角帽で吊し上げ
    られる10年悲惨な期間。この不条理は任氏の人生観におそらく強烈な影響。
   ・1970 人民解放軍工兵部隊入隊。父親問題で共産党に入党できず。
   ・1983 軍の非戦闘部門の規模縮小で所属部門は解散。退役。
    任氏は電子企業でセールスマネジャー。しかし商売を知らぬ悲しさ。TV売買をめぐる
    詐欺に巻き込まれ、責任を取って退任
  ー創業の苦労
・1987、任氏を中心に6人の共同出資者で資本金2万1000元(約31万円)、従業員14の 
    民間企業として深圳市で「華為技術有限公司」設立。当初は脂肪低減薬や墓石も販売。
   ・1988遼寧省のある農村の電信局長の紹介。香港の交換機メーカー康力公司の輸入代理店
    この香港企業が買収され、HWの代理店権利消失。
   ・1989、代理店からメーカーへの転換を決断。製造当初は部品すべてを他社から入手。
    その内簡単な部品は自主製造。2年後には主要部品は自主開発。
   ・任氏、交換機の技術はデジタルが主流になることを直感。デジタル交換機の製造決意。
  ー局用デジタル交換機自主開発
   ・1993に局用デジタル交換機の自主開発成功。1994から本格販売開始。    
    当時、通信機メーカー200社ほど。しかし局用デジタル交換機を自主開発したのは5社。
    創業期に農村部に派遣され、苦しい経験をした仲間が後のHWの幹部に。後の製販融合
    研究開発体制は、創業期の小さな組織が有していた研究開発・製造・販売の一体性の
    発展とも言える。局用交換機の技術ははるかに複雑。研究開発費は巨額。
   ・1992、任氏は構内用交換機で得た利益の大半を、局用交換機の研究開発に投資する決断。
  ー自主開発支える人材確保
   ・デジタル交換機の基幹技術はソフトウェア。優秀なソフトウェア研究開発技術者が鍵。
   ・自主開発のために任氏は華中科技大学や清華大学等に技術提携を働きかけるとともに
    人材の誘致を進めた。郭平は、華中科技大学の教授がHWを訪問した時に連れてきた
    卒業仕立ての青年。任氏に口説かれてHWの技術者に。彼はその後、華中科技大学の優秀
    な人材の周旋人役割も。
   ・HWの研究部門の責任者になった鄭宝用は、当時、清華大学教授とHWが締結した共同
    開発で派遣されてきた学生。華中科技大を卒業後そこで教師、1989に清華大学で博士
    課程に合格したが、博士を諦めてHWで開発責任者に。
   ・HWはさらに多くの優秀人材を誘致。その手段は破格の給料。元幹部の劉氏「上海交通
    大学教師の給料月給400元、HWは大卒新人1000元、修士1500、博士2000元。
    実績ある技術者には6000元も。
   ・全国の通信関係の教師と人脈。有能な技術者の人脈も徹底活用して人材集め。
  ー製品多角化へ飛躍
   ・2000年代初頭、パケット交換方式が主流になることを見越してルーター製品化。
    ちなみに伝統的通信機器メーカーのルーセントはルーターへの転換が遅れて衰退。
    HWには先見の明。
   ・2003、シスコの知財訴訟、HWがまだリバースエンジニアリングに依存していたこと
    を示す。
   ・2004、展示会で初めて3G端末機を展示。本格的に携帯端末市場に進出開始。
  ー国際展開
  ・国際市場進出は2段階:
    第一段階: 中東、アフリカ、南アメリカ等開発途上国。
    第二段階: 欧州、北米、日本等先進国に。
 ー経営戦略の強化
  ・HWは早くから製販統合型研究体制を進めていたが、IBMとの提携で、その経営
   方式から学んで IPD(Integrated Product Development:統合型製品開発)を
   核とした製販統合型研究開発体制確立。
  ・ サプライチェーン改革「ISC:Integrated Supply Chain:統合型サプライ
   チェーン体制確立
  ーハイエンドの製品開発と人材戦略
  ・1990年代中盤、HWはソフトウェア生産でプログラム作成等の下流業務が外注化。コスト
   削減で生産体制の効率化と高度化を達成。
  ・高度なソフトウェア技術を駆使して、さらにハイエンドなデータ通信用ルーターやアクセス
   サーバーなどの製品開発を推進。携帯端末事業も本格展開。
  ・こうした事業発展を支える人材戦略を強力に推進。例えば2001年理系大学新卒採用は
   5000人。当時200の理工系大卒は28万人(54人に1人はHWに)。
  ・HWの報酬
    大卒月7150元、修士8800元、博士10万元、そのほかに10万から16万元の持株配当。
   
 ー次世代通信技術5Gで世界通信機器産業をリード
  ・HWは次世代通信技術5Gで世界通信機器産業をリードしている。基地局設備など
   での競争力はその品質、価格、サービスなど総合的に突出しており、世界では
   スエーデンのエリクソン、フィンランドのノキアがそれにつづくが、技術的には
   HWは1~2年開発が先行しているとされる。
  ・アメリカは5G開発ではまだHWに匹敵する企業はないが、一方、HWの存在が
   安全保障上問題があると批判している。HWはこうした批判に対してはソース
   コードを開示するなど透明な説明に注力している。


 3. 1990年代以降の中国産業政策の転換:HW発展の背景
  ー鄧小平、改革開放戦略の推進
・1979、鄧小平は文革の後遺症を払拭すべく改革開放を打ち出した。ところが、1989の
   天安門事件で、学生の民主化運動を武力で鎮圧、国際社会から孤立。共産党内の改革派
   は後退。守旧派が主導権を握って改革開放路線は停滞。
  ・1992、鄧小平は上海や深圳、武漢など巡り、改革開放路線を説いた。”南巡講話”
  ー1980s末まで中国の通信事業は郵電部による中央集権管理
  ・経済改革前は、通信事業は郵電部(巨大な中央政府組織)によって運営。
 
  ー1990sに中央集権型旧体制を改革、競争的市場の形成
   1978以降、中央に集中していた権限を地方に移す地方分権が進められた。
  ・1988→1991、電気通信産業に関する権限が全国2500箇所の電信局に移転。
  ・1985. 高等教育制度改革で自主的職業選択制度導入。それまでは統一分配制度で就職指定
  ・これらの改革で、民間新興企業にも通信機器産業に参入の余地。
  ・1994~1998に進められた「政企分離」政策の下でも、通信機器の購入は実質的に
   地方政府が決定する状態が続いたので、通信機器メーカーは各地方政府に働きかけ。
   HWは受注確保のため、地方電信局とで合資企業を設立するなど努力。
  ー通信機器国産化の5企業
  ・1990s、通信自由化で通信需要が急増。通信産業に多くの企業が参入したが、それら200
   ほどの企業のうち、デジタル交換機自主開発に成功し存続したのは5企業。
     1. 巨龍通信設備有限公司(国有)
     2. 金鵬電子有限公司(国有)
     3. 大唐電信科技股有限公司(国有)
     4. HW技術有限公司(民間企業)
     5. 中興通訊(ZTE:半国有半民間)
  ー華為技術がなぜ突出したか
  ・その後巨龍は消滅、金鵬は主要5社から脱落、大唐は低迷。ZTEは存続したがHWの後塵
  ・企業連合型大組織は責任体制が不明確、政府資金受けると自立心が低下のリスク。
   その点、HWやZTEは自己責任で自律経営。
  ・特にHWは独特な経営理念と人材管理で傑出。単位制度の伝統の残る国有企業は、ヒト、
   モノ、カネの資源は優位だが、ソフトウェア技術者の管理に適した「戦略的人的資源
   管理」のようなあ革新的労務管理の導入は困難。


 4. ソフトウェア技術と研究開発人材戦略
  ーデジタル通信時代の中核技術はソフトウェア
  ・デジタル化は、通信機器製造の主要技術をハードからソフトに変えた。ソフトを生産する
   ソフトウェア技術者が最重要資源。ハードウェア基盤上に確立された先進国の国際分業
   システムに縛られずHWのような後発企業が対抗できる余地。
  ーソフトウェア技術を担う研究開発人材の戦略的活用
  ・ ソフトはすべて人間が生産。 ソフトは顧客=使用者の各種の要望を叶えやすい。
    顧客ニーズ重視はHWの核心。
   ・そのソフトウェアに経営資源を集中したHWの戦略は創業者任正非氏と若手技術者の密接
    なアライアンスから発展。
   ・HWの自主技術形成は若手技術者の高い専門性と社会経験豊かな壮年の創業者の経営能力
    から生まれた。
   ー研究開発人材の能力と意欲をいかに最大に発揮してもらうか
   ・HWは以下の戦略的人事管理システムで若手技術者の動機付けを最大化した。
     1. 能力主義的職能給制度
     2. 従業員持株制度、
     3. 裁量労働制
     4. 開放的内部昇進制。
   ・1990年代においても多くの研究開発人材が国有セクターに取り込まれていたので、
    新興民間企業HWが通常の方法で、優秀な研究開発人材を確保することは至難。
    この人事制度は、研究開発人材確保に役立っただけでなく、民間弱小なHWが同一産業
    の有力国有企業を押しのけて競争上の優位を確保する最大の要因ともなった。
   ー大量辞職事件:2007. 10月、6000人以上の集団辞職事件がニュースに。集団辞職者は
    辞職後それまでの終身雇用型のジョブナンバーから能力主義型の雇用者ナンバー制に
    移行するということで深圳市労働局が調査に入ったが辞職者に不満がないことが判明。
    その後、辞職者の大部分は再雇用。華為技術の関係者に聞き取りしたところ、
    売り上げの伸びない販売部門の職員が自主退職を申し出たことから発展した事件
    とのこと。華為技術では、成長過程でも従業員が中国の他企業と同様の終身雇用的
    期待感で勤務するのでなく”奮闘者”として活躍する人だけが勤務を続ける雇用管理
    を実現しようと努めており、この事件はそうした試行錯誤の一環?
   ー高度開発研究の環境整備:
   ・華為技術は深圳市近郊に、松山と坂田というテーマパークのように美しく整備された
    キャンパスを持つ。松山はまだ整備中だが、欧州12都市の景観を再現。松山には
    特に研究開発機能が集中。坂田は経営中枢、研究開発、検査施設が設置。美しい景観
    は精神ストレスが高まりがちな開発研究者の癒しを意図している。キャンパスの食堂
    は内容が良く、シリコンバレーで有名なGoogleの食事よりはるかに美味しい。日本贔屓
    の任氏の趣向で江戸時代の京都の街並みを再現した迎賓館もある。
   
 5. 華為技術の経営理念と実践
  ー誰もが参加するが、求められるのは奮闘者
・任正非氏は創業期から今まで企業経営、技術革新、人事労務管理などにつき、主に従業員
   を対象に毎年10~40回に及ぶ社内講話で多くを語ってきた。困難を知る者こそが経営を
   担うことができると繰り返し説いている。
  ー華為技術基本法
  ・ HWの経営理念は基本法に明記。基本法は1995年から検討開始、何度も全社的議論を経て
   制定1998年に全従業員に公表。基本法は6章103条にわたって詳細に規定されているが、
   それはHW諸規則の上位法ではなく、任正非の経営思想を体現。公表後、改正なし。
  ー従業員持株制度
  ・HWは従業員所有企業の形。従業員持株制はそれを象徴。
   ・給与と持株制で2元報酬制。持株制制定当初は、新興民間企業で政府からの資金支援も
   なく資本の自己調達の意味もあった。
  ・その後、会社法の制約もあり、従業員持株制度に使用されていた「株式」を「ファントム・
   ストック虚似受限股)と呼ぶ「擬似株式」に変更。多くの従業員は持ち株が重要な所得と
   資産形成の一環になっており、それが会社への帰属意識を高める要素に。
  ー任正非氏のいましめ
  ・任氏は日本を深く研究しており、高度成長後の日本企業の低迷を鋭く分析している。その
   一方で、華為技術は通信産業発展の世界と中国の流れに乗って成長してきており、深刻な
   困難を経験していない。日本人からすると美化しすぎに思えるが、長期低迷を克服しようと
   している松下電工などの日本企業の強さに学ぶべき、といましめている。
 

« 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(1) | トップページ | 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(3) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(1) | トップページ | 中国、驚異の情報革命はいかに実現したか(3) »