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ドイツの指導力への期待と陰り

1.  島田村塾ドイツ研修

 2017年7月、島田村塾では、恒例の海外探訪すなわち研修訪問でドイツを訪ねることにした。ドイツは、英国がEU離脱を決めて以来、とりわけ欧州の大国としてその存在感を増しており、しっかり勉強すべき国として村塾として選択したのである。

 この旅について企画を立て、アレンジをし、研修訪問の半分ほど現地で案内をするなど全面的に協力してくださったFranz Waldenberger博士にこの場を借りて深甚の謝意を表したいと思う。Waldenberger先生は今、ドイツの日本研究所の所長をしておられるが、本来はミュンヘン大学の経営学部の教授で、マクロ経済学、欧州経済、日本経済など幅広い専門を持たれた研究者である。Waldenberger 博士のご好意とご尽力で、普通なら会えない多くの方々に会い、貴重な勉強をすることができた。

 私たちの訪問は、実質、1週間の短い滞在期間だったが、その中で、ミュンヘン、ベルリン、フランクフルトなどの主要都市を訪ね、企業、地域行政府、議会などで、産業人、官僚、政治家、研究者など多様な人々に会って、様々な意見を聞き、知見を得ることができた。

 私は20年以上前に、日独文化交流プログラムの事務局の一端を担って、両国の学者、ジャーナリスト、企業や労働組合の幹部などの日独相互訪問と討論会の準備や運営を手伝っていたことがあり、その関係で、ドイツは数回訪ねたことがあるが、20年以上経って、訪ねたドイツは大きく様変わりしていた。

 ミュンヘンは当時と比べると一段と発展しており、多くのグローバル企業と中堅企業が集中して人々の生活も格段に豊かになっているように見えた。実際、ミュンヘンは近年ではドイツで最も繁栄した地域になっているようである。そのミュンヘン郊外で、休日を利用して、ダッハウの強制収用所跡を訪ねたのは有意義な経験だった。

 私も村塾の諸君も、イスラエルを訪ねるのは必修にしており、エルサレムのホロコースト記念館は何度か訪ね、第二次大戦中のヒットラーによるユダヤ人弾圧については一通り勉強したが、集団殺戮のアウシュウビッツはポーランドにあり、ドイツ本国で、ナチスの偏見によってユダヤ人はじめ多くの民族や人々が残酷な仕打ちを受けた強制収容所の発端となったダッハウ収容所の見学は当時のドイツやナチについて多くを考えさせられた。

 ベルリンはベルリンの壁の崩壊直後から2度ほど訪ねたことがあるが、今回のベルリンの印象は当時とは全く異なっていた。ベルリンは、壁によってソ連の共産主義体制と欧米の資本主義市場体制の東西地区に分断されていたため、壁の崩壊後も、その発展は大きく遅れていた印象があったが、今回訪ねたベルリンの印象は、ベルリン市が今、注力している目標でもある”Start Up City”としての全く新しい顔だった。ベルリンは今や、激しく変化する欧州の若者が参集する”自由都市”になっており、若々しい活力が満ちている様子が感じられた。

 一方、フランクフルトは伝統的な金融中心であり、ドイツ連銀も欧州中央銀行もマイン河を臨むビジネス街に位置し、悠然とした雰囲気を漂わせていた。折しも、英国がEU離脱を決め、かつての欧州の金融中心であったロンドンから世界の金融機関が流出を始める地殻変動を引き受ける年の自信と風格を感じさせた。

 以上、私たちが訪ねた都市の印象に触れたが、そのことを語るのは、本エッセイの本題ではない。村塾のドイツ訪問の詳細な記録はhttp://www.haruoshimada.com/shimadasonjuku/activities/world_travel/2017/germany/report/で閲覧できるので、興味のある方はそれを見て戴ければ幸いである。

2.  選挙の下馬評はメルケル陣営の圧勝

  私達がドイツを訪ねたのは、2017年7月下旬だったので、ドイツ総選挙の2ヶ月弱前だったが、ドイツではどこに行っても総選挙の最終段階であることを感じさせられた。この選挙戦は中盤でSPDが一時、勢いを増して、メルケル首相が率いるCDU・CSU連合を追い上げて話題を提供したが、それ以降は、やはりメルケル陣営が優勢となり、私達が訪ねた頃には、いつものメルケル神話、すなわち、選挙になると必ずメルケルが勝つ、という信仰がひろまっているように見えた。

 今回の総選挙でも、これまでのようにメルケル率いるCDU+CSUが圧勝し、第二党であるSPDが加わって与党大連合を組み、安定したドイツが再出発する、との印象を持って私達は帰国した。

3.   総選挙の結果

 そして9月23日に総選挙が行われたが、その結果の報道を見て、私は目を疑った。なんと、CDUは大きく後退し、SPDに至っては統一ドイツ発足後、最悪の結果になった。そして注目すべきは、最近、急速に伸びてはきたが、これまで連邦議会に進出する最低限の得票を確保できなかった極右政党のAfGが、大きく得票を伸ばし、なんと連邦議会に第3党としての議席を占めたことである。

以下、選挙結果を各党の得票率ならびに括弧内に前回選挙からの変化を記そう。
     1.  CDU+CSU    32.9 %(―8.6%)     246議席(ー65議席)
     2.  社会民主党(SPD) 20.5%(―5.2%)  153議席(ー40議席)
     3.  AfD 12.6%(+7.9%)   94議席(+94議席)
     4.  自由民主党(FDP) 10.7%(+5.9%)  80議席(+80議席) 
     5.  左翼党(Die Linke)  9.2%(+0.6%)  69議席(+5議席)
     6.  同盟(Bundnis) 90+緑の党(Die Grunen)8.9%(+0.5%)  67議席(+4議席)

 ここで、ドイツの議会の制度と政権成立の条件について少々説明しておきたい。ドイツ連邦は16州から構成されている。投票者は小選挙区の候補者と政党に記名して投票する。比例代表による法定定員は588議席、連邦総投票数で5%未満の党は連邦議会には議席を持てない。また小選挙区選出議席と比例代表議席は同数となっている。

 上記のような条件があるので、これまでAfGは連邦議会には進出できなかった。この最低得票率の足切り制度は、戦前のドイツでミュンヘンから出発し、バイエルン州で急激に伸びたヒットラー率いるナチスの政党がたちまちのうちに、連邦議会で第一党になり、ヒットラーの独裁を許す結果になったようなことを避けるいわば安全弁として上記のような条件を課したと言われる。

4.  政権組成の難題

 この選挙結果は、メルケル氏が率いるCDU+CSU与党連合だけでは、議席の過半数を確保できず、単独では安定政権を構成できないことを意味した。したがって、他の主要政党と大連を組むことが不可欠になった。当然の選択は、これまでも大連立を組んでいたSPDとの連立である。ところが、シュルツ党首が率いるSPDは頑なにこれを拒否した。

 SPDはこれまで3期12年という長期にわたってCDU+CSUと大連立を組んでいたが、その間、持続的に地盤沈下が進んでいた。とりわけ今回の選挙では、東西ドイツ統一以後、最悪の得票結果となり、SPDの党員や関係者の間で深刻な危機感が募った。彼らは、メルケル氏と連立を組んだ結果、メリットは全てメルケル氏に帰属してしまい、SPDは大連立に埋没し、独自のアピールができなかった。これ以上、連立を続けるとSPDは埋没どころか消滅しか寝ないという存亡の危機感を抱いた。

 SPDが連立に応じないので、メルケル氏は、FDP(自由民主党)とDie Grunnen(緑の党)と連立のための交渉を開始した。しかし、両党とも、CDUとは政策が大きく異なるので、連立交渉は不調に終わった。連立が組めないとなると、政権組成のために残される選択肢は二つになる。一つは少数政権を樹立すること。いまひとつは、再選挙である。少数政権では政策の採択と執行の能力が著しく低下して、ドイツの国家運営に多くの支障が生ずることが予想される。再選挙の選択肢はメルケル氏は否定しない、としたが、今回の選挙でこれまでの与党大政党が大きく後退し、極右のAfDが躍進したことなどを考えると、選挙結果はさらにドイツの政治を不安定化させることになる恐れが大きく、リスクが高い。

 総選挙が済んで、3ヶ月近くが経とうというのに、連邦政権が組成できないという事態は歴史的にも空前の異常事態である。内外から決められないドイツの政治に対する批判は当然高まった。そうした中で、12月に入ると、シュルツ党首が、連立は必ずしも拒否はしないという姿勢に変化した。12月8日には、メルケル氏と協議しても良いと言明したが、それでも、閣外協力という選択肢もあり、とにかく大連立の呑みこまれて埋没することは避けたい、という態度。

 SPDは2013~17年の大連立では成果は皆メルケル氏に帰属してしまい、その結果、2017の選挙は歴史的惨敗になった。したがって、何としても独自色を出したい。シュルツ氏は、仮に連立するにしても、フランスのマクロン大統領の主張に共鳴するような例えば、United States of Europeと言った思い切った構想をSPDの主張として公約に盛り込めないかなどの主張を展開した。12月16日には、シュルツ氏は、政権無きドイツは放置できない、しかし過去の大連立の延長は忌避する、との態度を再度強調した。

  18.1.13:MerkelーShultz 5日間のマラソン討議が行われ、党首合意が達成された。そこではドイツの経済と政治力挙げて欧州統合深化のためマクロン氏らと協力する、欧州予算に協力することにも、前向きな方向で一致したとされる。

  18.1.21のSPD党大会で大連立可否を決定する予定だったが、1.15. SPDのいくつかの地区代表と一般メンバー(特に左派と青年層)が、健保、住宅、移民、短時間労働者対応の政策が不充分として大連合に反対。SPDは2017.9.の選挙で史上最悪の結果になったのは、CDUとの大連立に埋没したためとして大連立忌避の傾向が強い。1.21の大会で承認される可能性が予断を許さなくなった。SPDが承諾しない場合は、残された手立ては総選挙のやり直ししかない。
 
5.   メルケル政権の指導力の低下と回復の可能性    

 メルケル氏主導の長期政権がつづいたドイツは、経済的に大きく躍進したと同時に政治的にも欧州の主軸としての存在感を高めてきた。今回の政権組成の未曾有の遅れに象徴されるメルケル氏の政治的凝集力の低下は、これからの欧州そしてより広い世界に向けてどのような意味を持つのだろうか。

 メルケル氏は、2005年、シュレーダー首相の後を受けて、ドイツで初めての女性首相としと登場した。それから2005→2017年の12年間、メルケル首相は長期政権を維持し、内外に絶妙のバランス感覚で指導力を発揮してきた。

 内外の際立った政策として、例えば、2008年のリーマンショックにつづく大不況に直面し、メルケル氏は金融安定化のために大胆な政策を敢行し、経済を回復に導いた。2010~2014年のギリシャ問題によるユーロ危機に際しては、EUの首脳をリードして解決に大きく貢献。また、2015年、東ウクライナ問題で、シャトル外交を展開し、ミンスク合意を取り付けた、など輝かしい成果を残している。

 2015年から急増した中東からの難民の受け入れに関しては、メルケル氏は、人道的観点からドイツとして大量の難民受け入れを宣言するとともに、EU各国にも受け入れ割り当てを提案したが、メルケル首相のこの難民受け入れ政策は内外から強い反発を招き、今回の総選挙における排他的な極右のAfDの急進に象徴される大きな社会政治変動にもつながったと言える。

 今回の総選挙でのCDUの敗北と政権組成の遅れに象徴されるメルケル氏の求心力と指導力の低下は、欧州そして世界におけるドイツの存在感を低下させたと言わざるを得ない。一方、2017年5月の総選挙で予想外の大勝を果たしたフランスのマクロン大統領は大胆で根本的なユーロ圏の改革を唱えているが、ドイツがフランスと協力して、このところ後退しつつあるように見えるEUの統合化と深化をどこまで推進できるかが問われている。

6.  大連立への険しい道とその成立

  2017.1.21のSPD党大会は、メルケル大連立体制に参加することに対する反論、Martin Schultz氏など党執行部への批判、またSPDの改革要求:難民問題(受け入れ制限 月1000人まで)、医療改革(公的保険と民間保険の格差解消)、雇用(有期雇用契約の大幅な制限)などを巡って紛糾したが、ギリギリ大連立に向けての協議に入ることについては了承された。ただ、シュルツ党首の指導力についての党内評価が大きく低下した。シュルツ氏の発言が責任回避的との印象を与えたことが響いたようである。

  SPD党大会でのギリギりの了承を受けてメルケル氏とシュルツ氏の間で、連立実現のための協議が行われ、大連合の閣僚指名も議題になった。シュルツ氏はドイツ国内政治にはこれまで参加しなかったが、EU議会の議長を務めるなど、国際派として自他共に許す地位にあった。しかし、大連立に対しSPD内で多くの反対論や批判論がある中で、シュルツ氏は大連立内閣が組成されれば当然と思われていた外相には就任しないことを早々と宣言せざるを得なかった。

  こうした動きの中で、メルケル氏は大連立内閣の主要閣僚に、SPDの若手人材やメルケル 批判派を多数、登用せざるを得なくなった。Jens Spahn、Daniel Gunter, バオル・ツィーミヤク氏などメルケル批判派が声を挙げ、世代交代を主張してくる中で、メルケル氏は そうした批判を受け止める姿勢を示すために、党の要である幹事長に、かねてミニ・メルケルと評された中堅の女性政治家、Kramp Karrenbauer氏を登用した。

  2月25日に発表された大連立内閣の閣僚名簿には、メルケル批判派であるSPDのSpahn氏が保健相、財務相にSPDのOlaf Scholz氏が登用された。現メルケル内閣からは官房長官のAltmeier氏が経済相に、また国防相にはVon de Alaien氏が留任した。SPD党内にも人事 抗争があり、大連立内閣で当初外相に予定されていたSigmar Gabriel氏がこの段階で突如引き下ろされ、法相候補だったが外交については全く未経験で未知数のHeiko Maas氏が指名されるというドンデン返しがあった。

  大連立への参加を公式に認めるかどうかのSPDの意思決定は最終的には党員投票にかけられれることになった。党員投票の結果は2018.3.4. 公表された。結果は、賛成66%、反対34%だった。この投票結果によって、2017年9月23日の総選挙から、半年近くを空費してようやく第4次メルケル大連合政権がスタートすることになった。

  しかし、大連合編成の過程で、上記のような混迷を続けた結果、誕生した内閣はメルケル氏への不満が凝縮された構成になっており、メルケル氏がこれまでのように欧州を代表する偉大なリーダーとしての采配を振るえる状況にはとてもなっていない。とりわけ財務相や外相という主要閣僚をSPDに譲らざるを得ず、しかも外相は外交は全く未経験という構成に対してCDU党内からは不満と批判が募っており、メルケル首相は困難な舵取りを迫られそうだ。

  実際、2018.4.15.にはCDU-CSUは議会会派の公式見解として、フランスのマクロン大統領が提案するEuropean Monetary Fund構想について明確な否定見解の報告書を提出した。これはマクロン大統領がユーロ圏改革の協議のためにベルリンを訪問する2日前というタイミングである。CDUのユーロ改革に対する否定的もしくは消極的態度はSPDからも批判されている。

  メルケル氏率いるCDUーCSUは、マクロン大統領の唱えるユーロ圏改革(EMF, Euro圏共同予算、Euro圏経済相設置など)は費用がかかり過ぎるとして批判を強めており、またNATOへの分担金負担支払いを引き上げることに対しても消極的である。

  マクロン大統領が登場し、欧州を代表する政治家のメルケル氏が力を合わせて、Euro圏の構造改革やEU統合進化のために画期的な注力をすることが、半年前までは、期待されただけに、メルケル氏の求心力低下、そして予想される指導力の当面の低下は誠に残念である。

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