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「農業改革への取り組み」:安倍政権第二次成長戦略各論 その2.

l. はじめに

このエッセイでは、安倍政権の成長戦略の中でも特に重要な戦略のひとつである農業改革戦略の内容と意味そして意義について解説したいと思う。これは安倍政権の成長戦略の各論について述べる一連のエッセイのうち、前回報告した「企業統治ならびに資本市場の改革」に次ぐ第二弾である。

農業は、安倍晋三首相が「岩盤」と呼ぶ強固な規制と既得権に守られた日本経済の構造的宿痾のひとつであるが、安倍政権は、この岩盤部分を改革するために、戦後のこれまでの政権が試みたことがないほど、問題解決のために正面から正攻法で、しかも理論的にも極めて的確な改革を試みている。

それが果たして意図した成果を挙げるかどうか、あるいはいつ、どれほどの成果を実現することができるかは、まだ、未知の部分が多いが、このエッセイでは、そうした改革の努力の内容とそれが構造改革としてどのような意味と意義をもっているのかを私達国民は正当に理解しておく必要があると私は考えており、この機会にやや詳しく展望しておきたいと思う。


ll. 日本農業の問題

日本の農業は多くの深刻な問題をかかえている。以下、内外の環境条件の中で、農業を評価するとき、どのような問題があるのか、その主要なものを指摘しておくことにしよう。

1. 市場開放への障碍

日本のように国際的な通商関係に深く依存した経済では、できるだけ相互に自由貿易を享受することが経済の発展のために重要だが、そうした自由貿易を関係諸国との間で相互に促進していくときにつねに最大の障碍となるのが、農業である。世界の中でも農業が障碍となる国は少なくないが、日本の場合にはとりわけ農業が自由貿易協定などを進める上で、頑迷な障碍となることが多い。

とりわけ日本人の主食であるコメについては、国際的な競争力がないことを理由に農協など農業団体や関係者が常に、農業自由化にたいして強烈に反対を主張し、相互にメリットのある自由貿易関係を発展させることを阻害してきた戦後の歴史がある。近年ではTPPに対して強力な反対が展開され、TPP交渉を進展させないひとつの大きな原因になっている。国際経済の通商関係に深く依存せざるを得ない日本において、農業はこの意味で重大な問題になっていると言わざるを得ない。

2. 食糧自給率の低さ
 
食糧自給率の低さもいまひとつの大きな問題である。これは主として日本の政府、とりわけ農林水産省がつねに声高に”食糧安全保障を脅かす深刻な問題”と喧伝している問題である。とりわけ最近4年間は連続して、食糧自給率が39%という低い水準のあるとして農林水産省は国民に注意を呼びかけている。ちなみに欧州諸国は食糧自給率は7〜8割の国々が多く、アメリカやカナダのような食糧輸出国はさらに高い。

注意すべきは、しかし、この数字で表される食糧自給率はカロリーベースの自給率であり、価額ベースで表せば自給率は6割を越えるので、食糧安全保障がそれほど問題になる水準かどうかはいちどしっかり検討してみるべきだろう。さらに政府が発表している食糧自給率とは実は穀物の自給率であり、食糧のすべてが網羅されているわけではない。穀物の大宗は、コメやトウモロコシ、麦、大豆などである。そのうち自給食糧のほとんどはコメであり、その比重は約4割である。それ以外の食糧のほとんどは実は家畜の飼料として輸入されている穀類であるから、4割の自給食糧という数字をもって食糧安全保障が危機的水準にあるというべきかどうか総合的に評価する必要がある。また政府は、この食糧自給率を5割にすことを政策目標に掲げているが、そうした目標が適正であるかどうかも吟味してみる必要がある。

3. コメ偏重の農政

日本の農業の大きな構造問題は、農政がコメ偏重になり過ぎていることである。上記の市場開放の障碍も実はコメが伝統的に“一粒も入れない”という“聖域”として扱われてきたことに原因がある。また、食糧自給率の低さも実はコメの自給率が4割ということを示しているに過ぎないのであって、それが自給率の理解として適切かどうか、まして食糧安全保障の指標として適切かどうか大いに疑問のあるところである。

日本の農産物の総生産高あるいは販売高は価額で評価すると年間約10兆円だが、そのうち、コメはたったの2兆円ほどに過ぎない。コメ以外の8兆円に相当する食糧は、野菜、果物、畜産などである。しかも野菜の自給率はほぼ100%、果物は約9割、畜産でも約7割であり、それらを総合的に考えると、日本農業の問題として、また日本農政の重点として、いかにコメだけが特別視され特別に扱われているかが判るだろう。

言い換えれば、価額ベースで評価すれば、日本の食糧自給率は充分に高く、食糧安全保障が問題とされる水準ではないこと、また穀物のたった4割を占めるに過ぎないコメに、農業生産者の7割が従事しており、また政策的に不比例的な重点が置かれていることなど、日本の農政があまりにもコメ偏重、コメ過大評価となっているかが判る。そしてまさにこのことがこれまでの農業の問題を象徴してきたのであり、これからの農業はそうした偏重農政から脱却すべき時にきている。

4. 零細・高齢農家の問題

農家の構成として零細で高齢農家が大きな比重を占めていることも日本農業の大きな問題である。日本の販売農家数は約200万戸弱であるが、そのうち165万戸は米作農家、そしてそのうち専業米作農家は35万戸、兼業米作農家が130万戸ほどである。130万戸にのぼる兼業米作農家はほとんどが耕作地が1〜数a程度の零細農家であり、著しく高齢化している。農水省の統計では、2012年現在で、基幹的農業従業者は205万人で、平均年齢は66.1歳だった。現在ではおそらく67歳に達しているだろう。また別の統計では、65歳以上の高齢農業従事者が農業従事者の6割を超え、専業農家で65歳未満男子が居る農家はたったの7%に過ぎない。

これらの数字が示唆するのは、日本の米作農家の大半は、コメの生産・販売から得る収入はせいぜい年間100万円前後で、家計収入の補足部分に過ぎず、家計の主たる収入は、近隣企業の雇用収入から得ている兼業農家で構成されており、彼らの大半は大変高齢化しており、子供などの後継者も居ないという実情である。子供達ははるか以前に都会に出てサラリーマンなどの道に進んでおり、親の農業とのつながりは農地の相続権を持っていることくらいという現実がある。

またコメ生産は、農薬や機械化などのおかげで高齢化した夫婦でも、いわゆる“週末農業”でもやれる状況になっており、こうした農業が大きな比重を占めていることが日本の米作農業の生産性を著しく低いものとしており、また大規模農家や企業が土地を集約して高い生産性の米作を実現しようとすることに対して構造的社会的障碍ともなっている。これらの零細・高齢農業者はしかし多くの場合、地域の農協の重要な組合員であり、これまでは農業に基盤を置く政党にとって重要な支持基盤となってきた人々である。

彼らが小規模でますます高齢化していくため、日本農業の生産性を引き下げる要因になっており、それは国際的な市場開放にとっての構造障碍であると同時に、高齢化していくこうした農業者や農業家計はやがて社会保障の重い対象になるわけで、彼らをこれからの農政でどう位置づけどのように処遇していくかは、経済的、社会的、政治的に極めて大きな問題とならざるを得ない。

政治が農業改革をめざすときには、その改革は少なくともこれらの問題の改革あるいは解決をもたらすものでなくてはならないだろう。日本の農業にはほかにも多くの問題があるが、以下では、まず、これらの問題が日本の経済社会発展の過程でどのように形成されてきたのか、その歴史的経緯と背景を展望しておくことにしよう。問題の歴史的経緯と意味を知ることが、その解決の方向を考えるうえで重要な手がかりになるからである。


lll. 歴史的展開とその帰結

1. 戦前の日本農業と地主制

日本の農業は第二次大戦直後のいわゆる”戦後改革”で大きな転換点を経験する。日本農業の歴史的背景を理解するためには、すくなくとも、戦前の農業がこの戦後改革でどのように変わったかを確認しておく必要がある。それがその後70年近くにわたる日本農業のあり方を理解するうえでいわば初期値になるからである。

日本は明治維新以来、第二次大戦あるいは太平洋戦「地主制」といえるだろう。戦前は、日本の農地と山林のほとんどは地主の所有であり、農地について言えば、農家のほとんどは地主から農地を借りて農業生産を行い、コメ等の農産物あるいはそれを換金した金銭で地代を支払って生活する小作農であった。地主はそうした賃貸収入の中から固定資産税に相当する「地租」を政府に納税する形になっており、農民にはかなり重い負担が課せられていた。またそうした地主には広大な農地を所有して多大な地代収入を徴収し莫大な資産として蓄積できる不在地主であり、かれらの多くはその経済力を背景に政治にも大きな影響力をもつ人々が少なくなかった。

このような構造の中で農業の生産性向上のインセンティブや技術革新を促進することは困難であり、農商務省の官僚の中には、この地主制を改革して規模の大きい自作農を育てることが農業発展にとって最も重要な戦略になると考える開明的ないし先進的な見解を持つものも少なくなかった。明治時代に東大法学部を卒業して農商務省に入省し、農業の現場をくまなく踏破し、後に高名な社会文学者となった柳田國男は、そうした農業改革思想の伝統を彼の後輩のために遺したという意味でも重要な先駆者であった。

太平洋戦争の敗戦はこうした開明的官僚に千歳一隅の機会をあたえた。彼らはそれを奇禍として頑迷姑息な地主制の廃止と生産性向上を追求できる自作農の育成のために、壮大な「農地解放」の構想を描き、マッカーサー司令部に提案した。占領軍司令部は当初、彼らの農地解放構想にさしたる注意をはらわなかったが、東西冷戦の対立構造が次第に明白になって行く中で、自作農を育てることが、共産主義の浸透にたいする防波堤になると判断するにいたった占領軍は一転して熱心に農地解放を推進することになった。

こうして敗戦後2〜3年のうちに農地の約8割を政府がただ同然で地主から買い上げて農民に供与したため、多くの零細な自作農が誕生することになった。この農地解放は世界の多くの国々の経験の中でももっとも迅速にもっとも広範かつ徹底的に実践された農地改革と言われる。この農地解放は戦後改革の一環として占領軍が構想して実行したものとされることがあるが、その構想を提案したのは農林省の開明的な官僚であった。

2. 農地解放・農地法と農家の保護

この農地解放の主眼は農民をそれまでの地主の抑圧と支配から解放することであり、また、かなう限り、農業者がかつてのような地主に支配され、また日本農業が地主制によって壟断されることがないよう、政府は占領軍と調整しながら、周到に「農地法」を起草した。そうした意図のもとに起案された農地法には際立った特徴があった。ひとつは、農地は農業者のみが所有できるという規定であり、また、農業者は一年の大半を農地のあるところで過ごすことが条件とされ、さらに、農地を所有するためには、相当額の費用を負担せねばならず、各地域の農業委員会の厳格な審査を経て認可される必要があった。

これらの規定は、地主のような存在が再び農地を所有することを事実上、不可能にすることを企図していた。これらの規定がその後の日本農業の発展を著しく阻害することになる。こうした規定は、若者などの新規参入者やベンチャーなどの企業が農業に参加することをかなり困難にした。実際、戦後約半世紀にわたって、既存の農業者やその家族でない外部の人材で農業に参入できたのはホンの10人前後であったといわれる。企業の参入は2009年の農地法改正までは極めて困難であった。農地法の改正後、現在まで約1200社の企業が参入しているが、そのほとんど全ては農地所有はできず賃借の形で参入している。

こうした制度的制約が農業人材の新陳代謝を阻害したため、農業者の子弟が農業に従事しない傾向が高度経済成長期に強まるとともに、農業人口の減少と高齢化の進展によりの農業人材が払底することになった。地主の排除と農業者の保護をあくまで追求した戦後改革は、こうしてその後の日本農業の柔軟な変化対応力を損ない、人材力を著しく弱めることになった。

3. 農業協同組合の形成

農業協同組合(農協)は、1947年に制定された「農業協同組合法」で法的に規定されている。この法律は、第一条で「農業者の共同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進および農業者の経済社会的地位の向上をはかる」と規定している。山下一仁氏によれば、その後の農協の発展は、この規定のうち、「農業者の経済社会的地位の向上をはかる」というくだりは充分すぎるほど実現されたことを示しているが、「農業生産力の増進」は実現されることはなくむしろ農協はそれを阻害してきたという。

実は、この「農協法」で法的地位を与えられた「農協」は、戦前、他の産業部門と同様に地域別に組織された戦時農業統制団体を衣替えして急遽、組織化されたものである。「農協」組織化の目的は、食糧不足の戦後、全国の農村からコメを政府に供出させるためであったという。それが、その後の戦後復興と経済発展の過程で、各地の農村の農家の協同組合としての相互扶助の機能だけでなく、県組織、そして全国組織を構成して、膨大な資金力を持ち、多くの農家の票を背景に大きな政治的影響力を持つ巨大な組織として膨張したのが、今日の農協である。

4. 戦後復興と政治米価

太平洋戦争敗戦直後の日本列島は米軍の爆撃によって都市部はほとんど焦土と化していた。都市住民は家を焼かれ、食糧も欠乏していたため、親戚や縁者をたよって近隣の農村に食糧を買い出しに出かけた。大切な着物と引き換えにわずかなコメや食糧を入手する生活があたかも竹の皮を剥ぐのにたとえて「タケノコ生活」と揶揄された。農村はほとんど爆撃の被害を受けていなかったので、実質生活水準は、戦後数年(1940年代後半)は農村の方が都市部よりもはるかに高かった。

しかし1950年の朝鮮戦争を経て、日本の工業化がはじまるにつれ、状況は一変した。朝鮮戦争の「糸篇景気」「カネ篇景気」ではずみのついた日本の産業界は、傾斜生産など大規模な工業化計画が端緒に着くとともに、大量生産型産業の規模の生産性の効果を享受して、急速な生産性向上を実現していった。生産性の向上は賃金の上昇を引き起こし、都市部の所得水準を急速に引き上げることになった。これにひきかえ、敗戦直後に都市部の疲弊を救済したはずの農村は、生産性の向上がなかったために、所得の向上が都市部に大きく遅れることになった。

農林省の開明的な官僚は、農村部の生産性を向上することが日本経済の発展にとって急務であると考え、そのために農地の統合による大規模ないし適正規模の農業生産体制を整備することが必要とする政策提案を熱心に行ったが、1950年以来、長期政権を担う事になった自民党の政治家はそうした提案を受け入れなかった。なぜなら生産性の向上は、土地当たりの人口の減少を意味し、それは農村あたりの自民党の支持票数を減らすことになるからである。

当時、日本の人口のほぼ半分が農村人口であり、その票数はすくなくとも1500万票はあった。自民党の支持基盤は大企業、中小企業、そして農村であり、農村票は自民党の最大の支持勢力であったから、農村票を減らす政策は、それが生産性向上であろうが何であろうが自民党には受け入れ難かった。

しかし、都市部の所得が生産性向上を背景に急速に上昇するのを、停滞する農村部は看過し難かった。それはほどなく農村部の大きな不満になり、政治的なエネルギーとなって鬱積することになった。多数の農村票をテコにそのエネルギーは巨大な政治的圧力に転化した。その政治的圧力を結集し、農村部の所得引き上げへの政策に凝集させる上で、戦略的役割を果たしたのが農協の全国ネットワークでありそれを指導した中央の組織、すなわち全国農業協同組合中央会(現在のJA全中)である。

毎年、都市部労働者を結集した賃上げ運動”春闘”が闘われるのとほぼ連動して全国農村の要望を背景に米価引き上げ闘争が盛大に闘われた。農村の要求を受け入れることは次の選挙ために必要であり、多くの政治家がこれに呼応して、毎年、都市部賃金引き上げと連動して同様あるいはそれ以上に米価が政治的配慮で引き上げられた。これは生産性に関係なくコメの価格を引き上げるので、「政治米価決定」と呼ばれた。「政治米価決定」は1960年からはじまり食糧管理法による食糧管理体制が廃止になるまで30年以上にわたってくり返された。生産性が上がらないのに価格を引き上げつづけたのであるから、日本のコメが国際競争力を失ったのは当然である。

5. 経済発展と減反政策

日本経済は1950年代後半から1970年代前半にかけて約20年間にわたり年率10%にのぼる経済成長を経験した。これは世界的にも刮目された「高度経済成長時代」である。所得の急速かつ持続的上昇にともない、国民の食生活も大きく変化した。それまでコメ中心の食生活が、パンや肉や乳製品など多様な食材を享受する欧米型食生活に急速に変化したのである。その過程で、一人当たりのコメの消費量は半分以下になった。これはコメ需要が大きく減退することを意味する。

コメの価格決定も、戦後の食糧管理体制下の統制価格から市場競争による自由な価格決定に次第に移行しつつあったので、コメへの需要の減退はそのままコメの価格低下を引き起こし、それは農家所得の減退につながるおそれがあった。政府・農林省は、コメの価格を高く維持しつづけるために、それまでの増産志向のコメ政策を一変して、コメの作付けを制限することで、コメの生産を抑制する政策に転換した。それが「減反政策」と通称される生産調整政策である。減反政策は1970年に導入されることになった。

減反に応じた農業者には、生産調整による減収分に相当する減反手当が支給される。それは毎年、数千億円におよぶ膨大な政府支出となるが、それは結局、国民が負担するので、国民は消費者として、減反によって本来の市場価格より高額となるコメの代金のほかに減反手当分の負担もするので、合わせて、毎年、少なくとも1兆円は過大な負担を余儀なくされることになる。減反政策は国民にこのような過大な負担を課すだけでなく、農家は高い米価を政治的に維持してもらうので市場競争から遮断され、その結果、生産性向上の努力をしないで済むことになる。減反政策は、したがって、消費者に過大な負担をかけ、生産者に生産性向上のインセンティブを与え難くするという意味で、日本経済にとっても、また日本農業の進歩にとっても極めて阻害的な効果をもつ政策であると言える。

6. 農業保護と市場の閉鎖性

政治米価決定や減反政策など高度に政治的な政策によって市場競争から遮断され、保護されてきたコメ生産の産業は、その結果、国際的な市場競争力を失い、それがこの産業の保護をさらに強化せざるを得ない状況をつくりだした。日本のコメ生産者ならびに農協などの支援団体は国際貿易の自由化に対してはヒステリックなまでの反対運動を展開し、“コメは一粒たりとも輸入させない”とのスローガンをかかげて政党や政治家への圧力を強めた。

1990年代初頭に推進されたGATTウルグアイラウンドでは日本のこうした農業が俎上に上げられ、自由化をあくまで拒絶するのあれば、ミニマムアクセスとして、平常の消費量の8%に相当する海外のコメを政府が買い上げることを義務づけられたが、日本はそれを受容した。その結果、日本は毎年、400億円にものぼる国民負担をミニマムアクセスとして被ることになっている。これらのコメは食用として国内市場に出されることはなく、海外援助や飼料などに使われている。

7. 現代の日本農業の問題

これまで日本農業の歴史的経緯を展望してきたが、そうした経緯を背景として、現代の日本 農業の特徴的問題をいくつか指摘しておこう

第一に、コメ生産の生産性の低さである。これはこれまでにも詳しく見て来たとおり、コメ生産はさまざまな政治的制約を受けて、米価の政治決定や減反政策をはじめ強固な保護政策の下で生産性を向上させるインセンティブも育たず、耕地の大規模化などの環境条件も整備されないできたために国際競争力のほとんどない産業となっている。いうなれば政治の犠牲となった産業と言える。

第二に、コメだけでなく、麦や牛肉、豚肉なども高い関税によって国際競争が保護されている。これらの産品もコメと同様の条件に置かれてきた。これに対して、野菜、果物、乳製品など一部の畜産加工品は、自由競争の下で鍛えられて、国際競争力をもつものが少なくない。

第三に、多くの零細・高齢農家の存在は大きな問題である。彼らは販売農家だけでも130万戸ほど存在するが、農業所得はわずかなのでほとんどは他の職業から主たる所得を得ている兼業農家である。子供達は早くから零細農業に見切りをつけて都市労働者などになっているので、農業の後継者はいない。彼らの大半はすでに60歳代後半以上の年齢になっている。しかし、彼らの多くは地域農協の組合員であり、彼らはその狭い農地の所有に強いこだわりを持っているので、大規模農家や企業が、生産性を上げるために散在農地を集約する際の大きな妨げになっている。また、彼らの存在は日本農業の生産性を全体として実態以上に低くする構造的要因である。

彼らは年々高齢化していくので、社会保障政策の重要な対象であり、彼らの生活を守りながらどのようにソフトランディングさせるかは重要な国家的課題である。彼らがこのような状態になるまで放置したのも、またそもそも彼らのような小農、零細農家を多数固定化してきたのも、その根因は自民党などが票田として利用してきたからであり、彼らは全体として日本の政治の被害者と言える。

8. 農協の実態と問題

農協は、現在は、JA全中(全国農業協同組合中央会)JA全農(全国農業協同組合連合会)、全共連(全国農協共済組合連合会)、農林中金(農林中央金庫)という国レベルの機能別組織、そしてそれぞれの傘下には都道府県レベルの組織があり、末端の単位農協である地域農協を、統括している。

農協は本来、地域の農家の協同組合組織であるから、地域レベルの組織と活動が基本であり、地域レベルの農協の意思が上部組織でまとめられて発信されることが本来の在り方である。そうした組織は欧米の農業には広く認められるが、日本の農協組織は、国際的にみても極めて独特である。それは巨大な全国組織が大きな権限を握り、たとえばJA全中は地域農協に対して、強力な指導と監査の権能があり、上意・下達の逆の流れを確立している。

しかも全国に約700存在する地域農協から毎年80億円もの負担金を徴収して資金源のひとつとしている。農業活動のすべてを統括するJA全中は事実上、巨大な農業独占体として強力な政治的影響力を行使する等、協同組合の範疇を著しく逸脱しているが、協同組合であるという建前から、独占禁止法の適用除外という特別の地位を享受している。

JA全農は農業に必要な資材の供給やコメの流通など経済活動を担うが、独占体で競争にさらされることもなく画一的なサービスに安住しているため、農家にとっては高い資材を買わされ、サービスの質も低く、農業商社や民間の販売店に流れる農家が多い。いいかえれば農協は農家の生産活動を助けるのではなくむしろ生産性の向上を妨げる存在になっていると言える。

現在、生産性向上をめざす専業農家や企業が土地を集約する努力を阻害しているのが、130万軒を超える零細農家の存在であることを指摘したが、彼らを組合員として政治目的のために確保しつづけている農協は、事実上、日本農業の土地生産性の向上を阻んでいるとも言える。

いまひとつの奇妙な問題は、地域農協は正規の組合員のほかに農業者ではない準組合員を抱えており、いまや、多くの農協では準組合員が正組合員を上回る実態が現出していることである。彼らは農協の金融サービスなどの顧客であり、農業に従事しない農地の保有者も多い。彼らの多くは農地を相続しても農作業をしないため、年々、いわゆる耕作放棄地が増大する要因ともなっている。

農協が農家を助けずむしろ農業の生産性向上の阻害要因となっている一方で、農協そのものは経済的にも政治的にも巨大な存在として大きな経済力、政治的影響力を駆使している。たとえば、農家の預金を吸い上げた農林中金は、事実上、日本第二のメガバンクとして国際金融市場で資金運用に血道をあげている。また全共連の共済保険は、日本最大の日本生命に次ぐ規模になっている。農協はTPPへの参加には反対の立場をとっており、JA全中がTPP反対のキャンペーンを政治のあらゆるレベルで強力に展開してきたことは記憶に新しい。

安倍政権の農協改革のねらいは、肥大した日本の農協の組織構造の弊害を出来るだけ除去ないし抑制し、現場で農業生産にあたっている農家の地域協同組合である「地域農協」がのびのびと地域に即した創意工夫で生産性向上をはかる努力をしやすい環境条件を整備しようという点にある。


lV. 安倍政権の農業改革

1. 成長戦略の目玉

安倍政権は農業をその成長戦略、とりわけ2014年6月にまとめられた第二次成長戦略の目玉に位置づけている。農業は、上述のように、その歴史的経緯からも、規制と既得権が凝集して凝固したような存在であり、安倍政権ではこれを、“岩盤規制分野”とも評している。安倍晋三首相はしばしば、自ら“岩盤に切り込むドリルの刃になって頑張る”と発言しているが、たしかに、不用な規制や既得権構造を払拭し、活力ある農業者や企業が自由に農業活動をすることができるならば、農業は重要な成長産業になる可能性を充分持っていると言える。

2. 自民党の既得権構造と民主党政権の所得保障政策

日本の農業を成長産業にしていくうえで、いまひとつの大きな問題は、日本農業の既得権構造をつくり出し定着させてきたのが、農村票を最大限囲い込み確保しようという自民党の歴史的政略であったということである。この既得権構造はやがて自民党だけでなく農協や農水省の官僚にも共有され、自民党、農協、農水省というマフィアもしくは利権トライアングルによって肥大化し強化された。敗戦後、半世紀以上にわたってそうした政治的理由から既得権構造を累積させ固定化してきた元凶が自民党であるとすれば、安倍自民党がそのしがらみを越えて、岩盤既得権構造に切り込むのは想像以上の困難があるだろう。

民主党政権が2010年に導入した戸別保障政策は自民党の政策展開にとって重要な意味をもった。民主党政権はすべての米作農家に対して減反目標達成者が失う所得を直接保障する政策を打ち出し、それが政権交代のひとつの引き金になったと自己評価したが、自民党はこの戸別補償制度の見直しを重要な政策課題とし、自民党が掲げた減反政策廃止にともない減反にともなう所得保障を漸減させることにした。一方、飼料用、米粉用のコメについての補助金を従来の10aあたり8万円から10.5万円にひきあげたので、多くの米作農家が食用米を減反するかわりに飼料用・米粉用のコメ生産増産に走っている。民主党がかかげた所得保障政策は自民党にこのような回り道を余儀なくさせた面がある。

3. 農業の生産性と国際競争力向上への戦略

安倍政権の農業改革は基本的に農業の生産性を向上させ、農業の国際競争力を強化することを主眼としている。国際的競争力を高めることで輸出もできる農業に成長させることが、農業を安部政権の成長戦略の柱とすることができるからである。

そのために、安倍政権では、農産品の供給と需要の両面を発展させ、さらに需要と供給をつなぐより付加価値の高いvalue chainを構築することを大きな戦略として描いている。

日本の農業は経済成長にともなって所得水準が上昇し、かつてのコメ中心の食生活から欧米型の畜産品などより多様な食品を摂取する食生活への変化を経験してきたが、さらに人口が次第に減少に向かうにつれて、コメを中心とする日本の農産品に対する需要そのものが逓減する傾向がある。安倍政権の農業成長戦略では、これまで政策的に注力してこなかった新たな需要創出戦略を日本国内のみならず海外でも開拓・推進すると同時に、需要と供給をつなぐvalue chainをたとえば6次産業化することでより付加価値を高める戦略を掲げている。(林芳正前農林水産大臣、現農林水産戦略調査会長『日本の農と食』島田塾講演 2014年10月1日)

ちなみに、産業競争力会議は2014年5月に官民ファンドを使って酪農など輸出農業の振興を提言している。2030年には輸出額5兆円をめざす。また生産→流通→販売をシームレスにつなげたvalue chainは6次産業と呼ばれるが、官民ファンドなどを活用して付加価値拡大をはかり、現在、1兆円ていどの市場規模を2020年には10兆円規模市場に拡大することをめざす。

このような需要の開拓やより付加価値の高いvalue chainの構築は農業成長戦略の重要な柱だが、このエッセイでは、以下、とくに「岩盤規制」ならびに「岩盤既得権構造」の改革が鍵となる供給サイドの改革、すなわち、農業生産性の向上のための構造改革に焦点を合わせて安倍政権の努力の軌跡を展望することとしたい。

4. 第二次成長戦略と農業改革の展望

農業生産性向上のための構造改革は安倍政権の第二次成長戦略の重要な柱であるが、その主眼は減反政策の廃止、農協の改革、農地政策の改革の3点に集約されるだろう。

減反政策は上述のように、生産量を抑制して供給を抑え、それによってコメの市場価格を人為的に維持しようというものであり、生産者を市場競争から隔離して所得を保障するこの政策は、生産者から市場競争に直面して競争力を高めようという動機もインセンティブも奪うものである。減反政策を廃止して作付けを自由化し競争を自由化することで、生産者は創意工夫をつうじて生産性を高めて競争に勝とうと努力するであろうから、減反政策の廃止は農業生産性向上に資するものと考えられる。

農協の改革は、巨大化した中央組織が生産現場の農家の協同組合である地域農協にたいして上から一律の指導や監査を行い、また市場価格より高い資材や劣質なサービスを提供するといった実態を改革して、地域農協がもっと自由に最適な選択ができるようにすることで、現場の創意工夫を生かして生産性の向上や農産品の改良あるいは6次産業化などvalue chain の高付加価値化をはかれるようにするという意味で、農業生産性と競争力の向上を促進できると期待される。

農地政策の改革は、日本の敗戦直後に制定された農地法の規制のもとで、新しい農業者の参入や農地の流動化あるいは集約化などがし難い現状を改革して、企業などの新規参入や農地所有をよりやりやすくし、集約化したより大規模な農地で効率的な農業生産や、力のある専業農家や企業などがその経営力を生かして生産性の向上や技術革新を実現しやすい環境を整備するという意味で日本農業の国際競争力の強化に役立つものと期待される。

以上のように、安倍政権の農業改革のなかで、とりわけ農業生産性の向上や国際競争力の強化を目指す改革は、理論的にも極めて的確な改革であるが、政治的利害と既得権のからみあった複雑な農業の構造に対して従来の政権はその“岩盤”になかなか踏み込めなかった。安倍政権の第二次成長戦略における努力は旧来の政策努力にくらべて画期的なものであると言える。構造改革はそのひろがりが多面的でプロセスにも時間がかかるので、それが期待される効果をいつ挙げることができるのか、あるにはそもそも挙げることができるのか、を予測することは容易ではない。

しかし、どのような努力がなされてきたか、そしてなされつつあるのかは、国民として理解して置く必要がある。以下、そうした政策的改革努力の軌跡を展望することとしたい。


V. 減反政策の廃止

1. 減反政策廃止とTPP

2013年10月25日、林芳正農相は閣議後の記者会見で、「コメの生産調整(減反政策)について、農家へ補助金を支給する)経営所得安定対策の見直しと一体で議論していく」と見直しを表明。これが減反政策廃止方針を安部政権が明らかにした最初の公式発言だった。

政府がこの方針を打ち出すまでには相当の準備があった。安倍政権の大黒柱である菅義偉内閣官房長官は安倍政権の発足当初からTPPへの参加は政権の推進する成長戦略の最も重要な柱であるとの認識を強く持っていた。(菅義偉講演「安倍内閣の政権運営とめざす政治」島田塾特別朝食勉強会 2013年11月28日)TPPに参加してもっとも進んだ形でのアジア太平洋の自由貿易圏のメリットを日本の経済成長に戦略的に活用しようという企図である。

TPPへの参加には多くの難問をクリアーしなければならない。おそらくその最大のものが農業である。上述のように、日本の農業は政策的に高度に保護されてきたので、コメはじめ多くの農産品の国際競争力は極めて弱い。しかしそれらをこれまでのように保護しつづけたのではTPPに参加してやってゆけない。TPPに参加できるまで関税などの保護のハードルを低くするためには農業の生産性を大きく向上させる必要がある。減反制度は農家を競争から遮断して所得を保障するので、農家に激しい競争に勝ち抜くために生産性向上の努力を求める圧力がかからない。安倍総理、菅長官はじめ政権のトップは減反政策を見直すことで、農家が自由競争のなかで生産性向上への強いインセンティブを持たざるを得ない環境を整備しようとした。

2. 減反政策廃止の方針決定

減反政策廃止の方針が表明されるまでには多くの準備があった。林大臣の発言の前日(10月24日)には産業競争力会議民間議員、新浪剛史氏(ローソン最高経営責任者)が産業競争力会議の場で「減反政策を3年後には廃止すべし」と提言し、林大臣はそれを受けた形で発言している。

実は、この方針は、2011年に民主党が実施した戸別所得保障制度を見直す「見直しチーム」の幹部会が農林部会に示すために数ヶ月前から検討されており、安倍政権は2013年7月の参院選後には内閣改造や幹部人事は見送ったが、菅官房長官は安倍総理と相談して9月末の実務者級人事で減反を含む農業の抜本改革のための人事を断行した。重要な委員会に旧来の農林族でなく旧商工族を起用して農業改革へのシフト人事を敷いた。これには古参の農林族から異論が続出したが、これは菅長官が農水省政務官に「戸別補償見直しは党の政権公約だ。わかっているのか」と一喝してダメ押し。情報は党内、省内に広がり、官邸の方針に沿って、インナー会議が具体策を詰めるやり方が定着したという。

農村の疲弊も想像以上に進んでおり、意欲ある専業農家などの担い手などには農協離れの改革をむしろ歓迎する空気もひろがりつつあった。TPP交渉を率い、2014年9月の内閣改造で農林水産大臣に就任した西川公也氏は、2009年に減反選択制を提起した石破農相批判の急先鋒だった。ところが2009年衆院選で落選後、地元を歩くと多くの耕作放棄地を目撃、農協は「農業をどうしたら強くできるか」の視点に欠けていたと反省。議員復帰後、農業改革をすすめる側に転じたが、農業と農政の激変を反映する好例といえる。

11月6日には農林水産省も5年後に減反をやめる方針を自民党農林部会に提示。減反に協力する農家への補助金を段階的になくし、浮いた財源を中堅・中小農家の支援に向ける一律支給の構想を示した。産業競争力会議では補助金支給対象を専業で活力のある「認定農業者」(約23万人)に絞る案が提起され、財務省は全廃を主張したが、結局、農林水産省の強力な根回しで、形は減反廃止だが、その実態は、競争力ある農家を育てる方針からは大幅に後退した。

11月26日、「農林水産業・地域の活力創造本部」(本部長:安倍首相)で、林芳正農相が減反政策を5年後(2018年度)に廃止する案を提示。本部として了承。減反廃止は政府方針として正式に決定された。安倍首相はこれを受けて「農業の構造改革をすすめ、成長産業とする」と宣言した。

3. 減反政策廃止方針と農政、農家の対応

この方針をうけて、政府の「農林水産業・地域の活力創造本部」(本部長:安倍首相)では、実行のための施策をさだめた。それは、減反を5年後に廃止し、農家が自主的に生産量を決めることになるが、これまで10aあたり1.5万円だった減反補助金を7500円に減額。変動部分は農家の収入減少対策に統合する。また、米価の急落を防止するために、コメから飼料米に生産シフトを促す。転作農家に10aあたり補助をこれまでの8万円から10.5万円に増額するなど、である。

一方、農家も減反廃止に備えて、対応を急いだ。とりわけ飼料米は、9割も補助金が出るうえ、補助金も上述のように2014年からは10Aaあたり最大10.5万円に増額されるので、農家は飼料米生産へのシフトをはかろうとしたが、飼料米のタネは需要急増ですでに大幅不足。また2014年秋のコメ値下がり予想に先物で対応しようと殺到し、備蓄米の2014年米対象への入札はすでに2014年1月入札で昨年の100倍の19万tにも達した。(日経2014年3月2日)。


Vl. 農協の改革

1. 規制改革会議の提案

規制改革会議は2014年5月22日、農協の抜本的は改革案を提示した。そのおもな内容は、
(1)JA全中と県中央会の地域農協への指導権と監査権を廃止し、地域農協の自由度高める。これは、JA全中に代表される中央会制度は、現在は、農協法の規定により、全国に存在する約700の地域農協を指導する権限を有し、地域農協から年間80億円もの負担金を徴収している。正組合員は2010年時点で472万人。こうした農協法による制度の規定をはずすことで、JA全中の法的に裏付けられた指導権限を廃止し、地域農協が地域の特質を生かした農業経営で自立できるような環境を整備する趣旨である。
(2)JA全農を株式会社化し、経営を効率化。合理化と経営努力をさせ、安い農業資材などの供給をし、また企業などと連携しやすくする。
(3)地域農協の住宅ローンなどの金融事業を農林中金に譲渡・売却し、地域農協は代理店としての手数料を得るだけで、不要なリスクを負うことなく農業活動に専念できるようにする、などである。

2. 農協の抵抗

規制改革会議の明解な改革案に対して農協は頑強に抵抗した。農協の根本的改革については菅官房長官が2013年8月「農林水産業・地域活力創造本部」会合で「JAの役割も含め、事業・流通の在り方の見直しに取り組んでもらいたい」と発言したことが、その後のJA全中廃止、JA全農の株式会社化の流れをつくった、とされる。それが規制改革会議や産業競争力会議をはじめ、多方面での活発な議論に発展し、上記の5月22日「規制改革会議」の抜本改革提案につながった。 農協はこうした流れに対して強く反発。万歳全中会長は「JA全中を任意団体にするなど絶対に反対。あくまで農協法に基づく組織として存続させるよう要求する」として強力な反対キャンペーンを展開した。2014年6月2日には規制改革会議の提案は「JAグループ全体の解体につながる。断じて受け入れられない」との反対決議を発表した。

農協はかつてとは異なり、農協の票で国会議員を当選させることは必ずしも容易ではないが、小選挙区のギリギリのつばぜり合い状況の中で農協の反対で落選させる力は依然として無視できない、とされている。したがって農協の反対キャンペーンは政治的にそれなりの影響をもった。農協中央組織の執行部は、政治家達の反応を見て、農協法にもとづくこれまでの農協の在り方を廃止するという規制改革会議の逓減は、政治レベルでは断念したものとの一時、判断した。しかしその判断は、6月24日のテレビ番組で安倍首相が「いままでのような法定の形の中央会制度の在り方は廃止していく」と明言したことで帳消しになった。(日経 2014年7月5日)

3. 自民党の妥協案と政府案

自民党は規制改革会議の提案とその後の農協の抵抗などを総合的に勘案して以下のような妥協案を提示した。

それは、政府が検討しているJA全中廃止を柱にした農協改革案は大筋で容認するものの、JA全中に代わる一定の権限を持った組織とつくることを検討する。JA全中は廃止するが、税制の優遇措置を受けられる農協法上の「連合会」などを組成し、また新組織には一定の指導権限を残す。「自律的な新たな制度に移行する」とし、具体的にはJAグループ自身の自己変革の努力に期待するというものである。また、JA全農については、規制改革会議が株式会社への強制転換を提案したのに対して、自民党は独禁法適用の問題などを精査し転換できるよう検討するとして事実上条件付きで容認の姿勢を示した。しかし、JA全中のしめした「革新プラン」は担い手育成のための基金創設などは掲げ、各農協の理事に専業農家など担い手農家の登用を増やすとしたものの、数値目標や工程表はなく、農協の自己改革能力の限界も伺われる。


Vll. 農地政策の改革

1. 規制改革会議の提案

農地政策の改革の主眼は、企業が農業に参入し活躍しやすい環境を農地の面で整備することであり、また、意欲と活力のある専業農家や企業などの担い手が農地の集約による生産性の向上を実現しやすくする環境を整備することである。そのためには、(1)現在の農地法の規定下では、企業が農業をするためには参加しなくてはならない「農業生産法人」をもっと活用しやすくすること、そして(2)農地の売買、貸借、利用を現場で管轄する「農業委員会」が閉ざされたムラのしがらみに支配されずに、開放的に公正に判断ができるようにする、ことが肝要である。したがって、規制改革会議の提案(2014年5月22日)もこの二つの制度の改革に集約される。

(1)農業生産法人については、企業はこれまでは同法人に25%までしか出資することができなかったが、その上限を50%未満とする。そして農業事業を一定期間続けるならその制約要件を撤廃して全額出資も可能とする。50%の出資が可能になれば、農業生産のやり方などについて企業の発言力ははるかに大きくなり、また100%になれば、企業は事実上、農地を完全に所有するのと同義となり、企業の思い通りの農業生産活動ができるようになることを意味する。また農業生産法人の役員は、これまでは1/4は実際の農業者とされていたが、1人で良いようにする。
これは特区ではすでに実施されている。

(2)農業委員会は農業委員会法で規定され、全国に市町村ごとに組織され、現在は1710。農業委員の3/4は地元農家が3年に1度の選挙で農家代表を選出し、残りは農協関係者や市町村議会が推薦する専任委員(農業委員21人、専任委員5人、報酬は月額3万円)だったが、農業委員会については委員を農家の互選でなく市町村長が任命し、議会の同意を得て決める。また、委員としてできるだけ多くの有識者を登用することとする。

これまでの農業委員会は地元の農家が委員の大部分を占めており、しかも彼らは多くの場合、ムラ社会のしがらみにとらわれているので、ヨソ者に対して、閉鎖的、排他的になりがちであった。その結果、農地の利用が経済変化をふまえた大胆でスピード感あるものとはならないうらみがあった。規制改革会議の提案はそうした閉鎖社会の風土を根本的に変えようという意味がある。

自民党はこれらの改革案を大筋で容認したが、企業による農地所有となる農業生産法人への企業の50%以上、あるいは100%出資を可能とする提案は5年後に検討するとして先送りした。政府としては抵抗の多いこの改革より、まず、農協改革を優先する姿勢。

2. 農地中間管理機構(農地バンク)

いまひとつ農地制度改革で重要な課題は、農地を相続したが実際には農業をしない非農業の農地所有者が所有する耕作放棄地が増え続けていること、また、散在した農地を集約して農業生産の生産性を高めようとする担い手にとって農地の集約が実際には極めて困難であること、などをいかに解決するかということである。こうした問題を解決ないし改善するために政府が導入したしかけが農地中間管理機構(いわゆる農地バンク)である。政府は、担い手による農地利用が全農地の半分しかない現状を、将来、8割に引き上げて農地が有効に活用され、農地の集積・集約化で農業生産コストを引き下げる、すなわち生産性を引き上げることを目指している。

政府は農地中間管理機構を法整備、予算措置、現場の話し合いをセットとすることで推進をはかりたいとしている。具体的には、
(1)地域内の分散し錯綜した農地利用を整理し、担い手ごとに集約化する必要がある場合、また耕作放棄地等の処理については管理機構がまず農地を借り受け、
(2)管理機構は必要に応じて基盤整備などの条件整備を行い、担い手(法人経営、大規模家族経営、集落農業、企業など)がまとまりのある形で農地を利用できるよう配慮して貸し付ける、
(3)管理機構は当該農地を農地として管理し、
(4)管理機構は、その業務の一部を市町村等に委託する場合もあるが、管理機構を中心とする関係者の総力を結集して農地の集約や耕作放棄地の解消をめざす。
(5)貸し付けた農家の固定資産税を減免する。農地バンク活動予算として2014年は305億円を計上。

その機能は、判りやすく言えば、高齢化した活力と意欲が衰えた農家の土地を活力と意欲の盛んな農業者にまとめて貸し出すしくみである。誰に貸し出すかについては、産業競争力会議や規制改革会議は、農業法人、大規模農家、企業などを提案したが、農水省は地元農村の意向を尊重し、地元で協議し、公募すべきと主張。

3. 農地利用の展開  

その後、農地利用の改革についていくつかの進展が見られているので摘記しておきたい。

(1)農地借用企業は2013年末時点で1000社を越えた。たとえば、イオンは、全国15ヶ所で直営農場を経営。現在230haの面積を近々500haへの拡大を計画。イトーヨーカドーは北海道と首都圏で大規模農場を展開。ワタミは有機野菜の直営農場を運営。農地も間接取得している。取得すると、土壌改善や加工工場建設などの投資に踏み切りやすいという。

(2)政府は耕作放棄地や点在する農地の集約を加速する方針をかかげ、その実現のために農地中間管理機構(農地バンク)の活用を後押しする。具体策として農地を貸した農家の固定資産税をゼロにする一方、耕作放棄地には増税する。農地の固定資産税は10aあたり年1000円。宅地なら18万円だが、放棄地は10aあたり2000〜3000円程度に引き上げる。一方、農地を10年以上貸し出す約束をした農家には、年間最大70万円の協力金支払う。
 
 

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