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2012年9月

毎日新聞コラム「学校と私」記事紹介

このたび、毎日新聞朝刊(2012年9月17日)教育面の「学校と私」というシリーズもののコラムがあり、そのコラムで取材を受けました。大学教育に携わる学長の立場にいる私が、私自身の人間形成にとってどの先生が最も大きな影響を及ぼしたのかについて、感想を求められ、インビューを受けましたが、その記事を毎日新聞船橋支局の山縣記者が以下のような形にとりまとめて下さいました。大変良くまとめて下さったので、山縣記者の了解を得て、このブログに掲載させて戴きます。

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日経書評の紹介

このブログで、私の著書『盛衰:日本経済再生の要件』の主な内容を五月雨的に紹介させて戴いておりますが、このほど日本経済新聞の書評欄でこの著書が取り上げられました。日本の再生のために有効な提言と好意的な評価をして戴いております。

御参考のためにその書評をここに再掲させて戴きます。

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『盛衰:日本経済再生の要件』第Ⅶ章

Vll. あらたなエネルギー戦略:原発の安全確保

1. 原発の功罪

日本経済は、1974年の深刻なオイルショックによるエネルギー危機を奇禍として、それまでも進められてきた原子力発電による電力供給戦略を大きく加速させることになった。原子力発電は石油危機のように世界の原油情勢で左右されることもなく、効率的で、環境負荷も少ない電力供給戦略として推奨されたのである。その結果、日本は世界第三位の原子力立国となった。日本は全国の海岸に54基の原子炉を設置したが、これはアメリカの104基、フランスの59基(以上、2010年現在)に次ぐ。原発は電力の安定供給部分を構成するものとされ、2010年には総電力供給の29パーセントを原発が占めた。原発の電力が戦後日本の経済成長を支えたのは事実である。

ただ、原発の導入を急いだあまり、安全配慮に不十分な面があったことは今となっては否めない。例えば、福島第一原発はGEのBWR(沸騰水型)だが、GE社はWH社のPWR(加圧水型)にくらべ開発が遅れ、安さと早さで売り込んだとされる。福島第一は他社の販売キャンセル物件の東電への売却だったという。

その日本は、原発を推進するにあたって”安全神話”を唱え続けた。アメリカのスリーマイル島やソ連のチェルノブイリ事故は操作ミスなどが原因とされたが、日本の原発関係者は、日本の技術は世界最高、管理は完璧と称して、安全神話を喧伝した。安全神話は日本国内だけでなく、多くの発展途上国に対しても唱えられ、支持をひろげた。2010年の日本政府「エネルギー基本計画」では、2030年には日本の電力の原発依存率を52パーセントに高めるとされた。

しかし、福島第一原発の事故は、この”安全神話”が虚構であったことを完膚なきまでに暴露することになった。福島事故では、東電の危機管理基準やマニュアルが整備不足であり、原発事故を想定した訓練も演習もしていなかったこと、現場と本社そして政府との情報伝達・共有が不十分で事故の被害を拡大したこと、津波のような大災害に対して非常電源などの設置場所をはじめ設備や機能が極めて不十分であったこと、40年も経った旧式の原子炉などの設備を更新していなかったことなどの欠陥が明らかになった。

日本の技術も管理も最高どころか欠陥だらけであったことが露呈された。そうした欠陥と危険を放置・黙殺し、国民を欺瞞しつづけた電力会社、政府当局、原発関係者など、いわゆる”原発マフィア”が事実と全く異なる”安全神話”を唱え続けたことが最大の”犯罪”行為だったといえよう。

こうした原発マフィアによる原発戦略は、日本の独特な電力供給構造を基盤にして推進された。日本の電力供給体制は、大電力会社9社による完全な地域独占と包括原価方式による電力価格の決定を特徴とする。この体制は、第二次大戦後の日本経済の復興、発展過程で設定された。電力は経済をささえる基本エネルギーであり、その安定供給のためには、電力会社の経営を安定させることが第一義、という理屈で確立された体制である。それはたしかに戦後経済の復興と発展過程では一定の歴史的意義があったといえるが、日本が世界の先進経済の一角を構成する現代ではむしろその体制の弊害が目立っている。

第一に地域独占による独占価格体制のもとでは競争による自己改革動機がはたらかないので、効率性がそこなわれる。実際、日本の電力価格は国際的に見てもかなり高く、それは製造品に体化されて、日本経済の国際競争力を削ぐ結果になっている。第二に、包括原価方式では経営上にどんな問題があっても一定の利益が確保され、株価の安定が保障されるので、自己改革の必要性を当事者が認識せず、生産性向上やサービス向上の努力が行われない。第三に、独占体制を維持するために、分散供給体制など競争の導入に対してはこれを政治圧力や世論操作をふくめあらゆる手段で徹底的に排除する体質と行動が助長される。

福島第一原発の深刻な事故を奇禍として、これからの日本のエネルギー戦略の立て直しをはかるのであれば、これまでのこうした弊害の多い電力供給体制そのものを開放的で競争的な体制に根本的に改革することを大前提とるべきである。

2. ”危険”な原子力発電を克服する抜本的な安全対策を

いまや国民の多くは“安全神話”の虚構と欺瞞にだまされてきた、あるいは裏切られてきたと感じているので、原子力エネルギーは、それが太陽エネルギーなどいわゆる「再生可能エネルギー」にとって代わられるまで相当の期間、日本経済の円滑な運営を維持するためには必要であると専門家は考えていても、国民の賛同を得ることは現時点ではなかなか容易ではない。

いま総理大臣をはじめとする国の指導者、政策決定者に求められるのは、これまでの“安全神話”の虚構と欺瞞を究明して原発マフィアなど関係者の謝罪を求め、そのうえで日本のもっている技術や資源を総動員して叶う限りの抜本的な安全対策を行い、一歩一歩国民の理解を得る努力をしていくことである。

上述の福島原発事故直後の対応のなかで、関係当事者間で情報が疎通したり、移動電源車のコードが足りなかったりソケットが合わなかったりした事実は、関係者の間で必要な情報共有をする仕組みが欠如あるいは機能しなかったこと、また、こうした非常事態を想定した訓練や演習を行ってこなかったことを示している。また、日本は通称ロボット王国であるにもかかわらず、福島原発の事故後、放射能汚染の濃度の高い原子炉の中での作業に、日本のロボットが投入されず、もっぱらアメリカやフランスのロボットが活躍した情景をTV等で見て、なぜ日本が得意とするロボットが活躍しないのか怪訝に思った方々も少なくないだろう。千葉工業大学の小柳栄次教授によれば、11年前の東海村におけるJCOの事故直後からロボットの人工頭脳に及ぼす放射能の影響についてのデータが日本にはまったく存在せず、彼自身の研究所で緊急の実験を繰り返して必要なデータを確認してから、彼の研究所で作製したロボットを3ヶ月後の6月にはじめて福島原発の原子炉の観察に投入したという。

実は、JCOの事故直後に通産省が予算をつけて原発事故のような非常事態で活動できるロボットの研究を大学にさせたがほどなくどこからか圧力がかかり、「それは日本の原発でそうした事故が起きる可能性のあることを世界に示すようなものだ」として研究が中止されたいきさつがあったのである。小柳教授は原子力安全防護研究所などが放射能汚染の危険についての研究を大規模に年月をかけて進めているフランスやドイツの関係者に「そうした研究の成果が役立った事故がこれまでにどのくらいあったか」を聞いたところ、一度もなかったとのこと。これまでに一度も事故がないのに数百人の専門家を投入して40年も研究調査をつづけているという。それは安全への当然の保険であるという。それとは対照的に事故があっても、事故の可能性を他に知られたくないから、研究を禁止してしまう日本のまさにここに”安全神話”の”犯罪性”がある。こうした犯罪を繰り返してきた日本の原子力マフィアの責任者は、いま率直にその罪を明らかにして真摯に国民にまず謝罪すべきなのではないか。

昨年12月に野田総理は事故を起こした福島第一原発が”冷温停止状態”にはいったと宣言したが、それは果たして適切な表現だったか?ふつう冷温停止状態とは、円滑に運行している原子炉に制御棒を挿入して運転を停止させ、冷水を注入しつつ安定停止状態にすることを言う。福島第一原発の場合は、事故後、高温化した炉内で原子燃料が溶融しただけでなく、ジルカロイのカバーも溶かし、厚さ16cmの鋼鉄製の圧力容器も溶かして、溶融燃料の一部はコンクリーの床をも透して地中に漏れ、しかも濃度の高い放射能汚染物質が空気中や海中に流出・拡散した後での、温度低下であり、コントロールの利かない状態で、通常の冷温停止とはまったく異なる。それを同じ表現であらわすことは誤解を生み不適切である。さらに関西電力の大飯原発の再開についても「原子力委員会」の妥当との判断にもとづくとされるが、いわゆるストレステストは原発施設に、衝撃、加熱、圧力を加えたときにどのような影響が出るかを調べるもので、福島第一原発の事故のような巨大な津波の衝撃は充分に織り込まれてはいない。実際、菅政権時代に九州の玄海原発再開の安全条件を調べるとそうした配慮はほとんどないことが判る。今、必要なことは、東日本大震災のような想像を超える大規模な災害の衝撃を充分織り込んで、それにたいしても現在の日本が動員できる可能なかぎりの技術と資源を動員して最大限の安全対策をすることではないか。それは具体的に言えば、以下のようなものだろう。

第一に、原子力エネルギーは高い効用がある一方で想像を超えた危険性があることをまず関係者、国民に充分周知することである。チェルノブイリ事故から四半世紀が経過しているが”石棺”と呼ばれる巨大なコンクリートの遮蔽構築物の中ではまだ放射性物質の処理は済んでいない。福島第一原発ではその処理に数十年あるいは100年以上かかるかもしれない。ちなみにMOX燃料に使われるプルトニウムの放射能の半減期は25000年、ウラン235は4億5000万年、ウラン239に至っては45億年である。いいかえれば地球が生まれる前から存在した物質を”悪魔の火”として原子爆弾などに利用したことから原発がはじまっているのであり、そのことの危険性をどれほど強調しても強調しすぎることはない。日本の原発マフィアがいい募った”安全神話”はその意味からも許し難い欺瞞行為、詐欺行為であったというべきである。それほど危険なものだから、私達に全智全能を尽くした安全対策が必須なのである。

第二に、情報の公開、情報の共有、”想定外”の事故を想定した、研究、実験、訓練を徹底的に実施すること。

第三に、日本列島は過去100年だけをとっても地震の発生率が世界平均の170倍とされる。その列島に54基の原子炉が水面に近い高さ(せいぜい10mていど)に建設されている。当然、津波の被害のおそれが高かったはずで、今回、福島第一原発がその被害をうけたのは驚くべきことではない。実は宮城県の女川原発は福島第一原発以上の高い津波の衝撃を受けたが、1000年前の貞観地震の経験を鑑みて、14mの台地に23mの防壁が構築されていたため、地震の衝撃は受けたものの津波の被害は最小で済んだ。福島を含む日本の多くの原発の防波堤は6〜10mの低い壁だが、そのほとんどは51年前のチリ地震の津波(約4〜5mだったとされる)を前提に構築されている。ここに津波被害の人災たる所以がある。今後、20〜30mの津波も想定されている昨今、日本中の原発を30m以上の台地に移し、10〜20m程度の相応の防壁で防護すべきだ。そして高圧線や鉄塔崩壊のリスクも想定して2重、3重の非常電源網を構築して安全を期すべきである。

第四に、日本の54基の原発の大部分は第二世代のもので、既に40年前後も使っている旧いものだ。13ヶ月に一回のペースで保守・補修をしてきたが、膨大の数の細管が複雑に組み合わされた原子炉が高温・高圧の厳しい環境の中で運転されることを考えると多くの金属疲労や不具合が生じていることは容易に推察される。旧い原子炉は、最新式の原子炉に入れ替えて安全性の向上をはかる。

第五に、使用済み核燃料の処理の問題がある。使用済み核燃料の処理は日本では六ヶ所村に中間処理を集中しているが、収容能力は限界。福島などの処理は不可能。また非核所有国としては例外的にフランスに依存して核リサイクルをしているが、最終処理については見通しがない。中間処理、リサイクル、最終処理についての戦略的展望をもって着実に対応する必要がある。

第六に、人材の養成・確保。原子力工学については工学系の学生の中でも人気はこれまでも低迷していたが、今回の福島事故を契機に、原発は減少から廃止の方向が志向されることになるので、技術系人材の確保が深刻な課題になる。中長期的に廃止するにしても少なくとも半世紀はかかり、当面の間、優秀な人材が補充されないと廃止すらも出来なくなる。一方、原発にはこれからも技術革新や、軍事利用はともかくとしても国際支援など原子力活用の新しい方向など多くの可能性がかかわっており、そのすべてを廃止することは国際的な役割分担からも非現実的である。人材確保はきわめて重要な課題である。

課題の1〜4を充分に実行するとなれば、おそらく15〜20兆円の費用がかかるだろう。非常に危険な原子力エネルギーを安全に活用するためには、それだけの費用を惜しむべきではない。首相をはじめ政府は、消費税6〜7パーセント増税に匹敵するそれだけの費用(ただしこれは一回かぎりの支出)を投入しても、人智をつくして最善の安全策を講ずると国民に言明し、国民の理解を得る努力をすべきではないか。現在の政府の対応は、それからくらべるとホンの微調整に過ぎない。もちろんそうしたからと言ってリスクが全くなくなるわけではない。世の中に”絶対の安全”はあり得ない。私達は自動車のリスクを承知で利用しているではないか。自動車事故で毎年6000人もの人びとが命を落とし数十万人が怪我をしている。それを肯定するわけではないが、安全のために交通規則を定めて遵守し、自動車の検査や技術革新をつづけて人びとは最善を尽くしている。最善を尽くしつつ必要なものは活用するという現実的な選択をすべきである。

政府は2012年9月14日に「革新的エネルギー・環境戦略」で2030年代に原発稼働ゼロの方針を発表したが、素人の国民の意見を聴取した結果を反映したとするこの方針決定には大いに疑問が残る。原発はそのもの自体もまた経済や国際関係との関連なども高度な専門知識と同時にひろく全体を理解する能力がなければ的確な判断はできない性質のものであり、選挙の季節を意識した素人政治家の政治決定は国家の将来のために不幸な結果にならなければと願うばかりである。

原発の縮減は、再生可能エネルギーの利用可能生と普及に応じて決めるべき性質のものであるが、その問題は次のブログに詳述する。

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