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2012年7月

島田晴雄の新刊書、出版記念セミナーの御案内

先般、このブログで、私の新著の出版記念セミナーについて御案内しましたが、日程が近づいてきたこともあり、今回、あらためて御案内をさせていただきます。

新著のタイトルは『盛衰:日本経済再生の要件』となりました。本書は全体で12章から成り、日本経済が直面している多くの課題を広く深く論じており、全体で370頁になりました。皆様が日本経済の問題や可能性そして課題を考えられる上で、きっと参考になることと思います。

表紙のデザインも下記のように決まりました。

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出版記念セミナーは来る7月27日、午後6時半から八重洲ブックセンター内8階のギャラリーで行われます。もちろん入場は無料です。6時半から約1時間ほど本書の中味の紹介や本書を執筆した私の問題意識あるいは思いなどをお話し、その後で、同じ場所でサイン会を行います。どうぞ皆様お誘い合わせの上、八重洲ブックセンターにお越し下さい。(お申し込み:八重洲ブックセンター 電話 03-3281-8201)

なお、当日八重洲ブックセンターで本書をお買い求めになることは大歓迎です。定価は1,800円です。ご希望の方にはサインをさせて戴きます。皆様にお会いできることを楽しみにしています。


『盛衰:日本経済再生の要件』第Ⅵ章(その1:年金)

Vl. 国民にまず安心と希望を(その1:年金)

1. 安心の基本は年金

国民国家の基本は安全保障と安心保障(生活保障)である。生活保障はとりわけ老後生活の安心が重要だ。生涯働いて税金を納めてきた国民が年齢をとって働けなくなった時に、国家が生活を保障してくれるのかどうかが国民が国家を信頼できるかどうかの鍵になるからだ。近代国家の生活安心保障はビスマルクの社会保険制度からはじまったとされる。それまでの社会では病んだり、老いたりして生活が困難になった人々は教会の慈善や地域の救貧制度を頼りにする以外なかったが、ビスマルクは「疾病保険法」(1883年)、「老齢・疾病保険法」(1889年)などの社会保険制度を整備することで、国民生活の安心保障制度を構築した。

日本は当然、国家が国民の生活を保障することになっている近代国家だが、安心保障制度の基本になっている年金制度について近年、国民の不安が大きく高まっている。日本の年金制度はもともと積み立てではじまったが、高齢化が進むにしたがって事実上の賦課方式に変容し、また制度も複雑になり、近年では数千万人に及ぶ年金拠出記録の不備が明らかになり、国民の年金制度にたいする信頼がゆらいでいる。ひと言で言えば、将来、自分は年金を確実にもらえるのだろうか、という不安である。そうした漠たる不安を助長しているのが、年金の大きな世代間格差である。

2. 日本の年金は大丈夫か

厚生労働省は、現在の高齢世代と若年世代とでは、年金の生涯拠出にたいする生涯受給額の倍率が、1935年生まれで、厚生年金で8.3倍、国民年金で5.8倍、そして、1995年生まれでは、厚生年金で2.3倍、国民年金で1.7倍というふうに大きく異なるが、しかし、生涯給付が拠出総額をしたまわることはないという推計を発表している。ところが、慶應大学の駒村康平教授によると、この数字は誤解を招く数字だという。なぜなら、この数字は、専業主婦世帯のもので、今の社会は女性が働くのが通例になっており、これからはますます共稼ぎが普通になる。専業主婦世帯の数字は負担なしに年金をもらう専業主婦がはいっており倍率が大きく高めに出るバイアスがある。また、年金は労使折半だが、企業負担の原資は実は労働の貢献なので、これらを考慮して、本来の数字を推計すると、厚生年金の場合、1935年生まれで個人ベースでは倍率は2.9(ちなみに専業主婦世帯では8.3)だが、1995年生まれでは0.7(ちなみに専業主婦世帯では2.4)となる。すなわち、個人の生涯年金拠出にたいする生涯年金受給額倍率の推計をすると、若い世代は倍率が1を大きくしたまわるということである。いいかえれば納めた分だけ返ってこない、ということだ。もっというなら国の年金制度にお金を納めると損をする、ということだ。どの世代からそうなるのか。推計では、1955年生まれ(現在57歳)でトントン、それより後に生まれた人の倍率は1を下回るので、損をするということである。

この世代間格差はたしかに大きな問題だが、世代間でこれほどの格差が生じた背景には実は日本の経済発展が影響している。高齢世代は所得の低い時代に現役で年金拠出をしたから拠出額は低かった。年金を受給する頃になると経済発展のおかげで所得は高くなっており生活を維持する年金額も高くなったから、結果として生涯の倍率は高くなる。また、そうした給付を実現するために、高齢世代の過去の拠出だけでは財源が足りないので、現役世代の拠出で補填をつづけて来たため、年金は次第に、当初の、同じ世代の積み立て方式から、後世代の拠出を食いつぶしてゆくなしくずしのいわゆる修正賦課方式に変質してきた。若い世代は所得の高い時代に現役として拠出し、あまり成長の見込めない将来に受給するので、結果的に、受給の倍率は低くなる。これが世代間格差拡大の最大の背景である。こう考えると、世代間格差が大きいことはあるていどしかたがないように思えるし、また、現在の高齢者でも、将来の高齢者(現在の中・若年者)でも、その時期の社会的標準生活費にたいする受給年金額の比率はそれほど変わらない、つまり年金を受給できる限りは、一定の生活維持機能を期待できると考えられる。

しかし、高齢世代が拠出の数倍の年金を受給できるのに対して、これからの世代の受給は拠出額を大きく下回ること、年金拠出者の記録が数千万件も確認されていないこと、厚生年金に対して条件の違う複数の共済年金が並立していることなど、多くの国民にとって日本の年金は「本当に大丈夫なのか」「将来年金はもらえるのか」といった疑問や不安が払拭し難いのは事実だろう。実際、この20年間ほど、国民年金への拠出率が低下しつづけており、最近では、4割もの人々が拠出していない。その理由として、自営業主など1号年金者の経済基盤の弱体化、アルバイトなど正規の雇用関係にない労働者の増加などが挙げられているが、本来、20歳になったら拠出をしなくてはならない若年者の不拠出も背景のあると推察される。経済環境の悪化とならんで年金不信も非拠出傾向を増幅しているものと思われる。こうした非拠出傾向がさらに高まるならば、年金制度の持続可能性に黄信号がともるおそれもあり得る。

ここで重要なことは、こうした漠としたしかし多様で根深い国民の年金不信に対して政府は明確に将来の展望を示して年金の持続可能性を明示することである。公的年金の持続可能性に疑問があるから、年金制度に拠出するより自分で老後資産を蓄積して老後の生活保障をはかった方が良いという考えも有るかもしれない。個人が老後生活のために資産を蓄積することは多いに推奨されることではあるが、それは年金と二者択一ではない。なぜなら個人が老後保障をするにはいつ死ぬかを確定しなくてはならない、という難しい問題にぶつかるからだ。想定死亡年齢より早く死ねば蓄積資産は無駄になるし、想定より長生きすると蓄積資産では足りず、それこそそれ以降の生活を維持できない、「長生きのリスク」という難問にぶつかる。公的年金とはそうした「長生きのリスク」を年金加入者全体でヘッジをしようという知恵なのである。したがって、年金の持続可能性は国民生活の安心保障の基本であり、政府は国民にそれを確信させる必要がある。それこそが国民が日本という国を安心して信頼する基礎となる。この基礎がゆらいでいて、いくら「成長戦略」を唱えてもそれは空文になるだろう。

そこで、以下、日本の年金はどうなっているのか、持続可能性はあるのか、それはどのように確保するのか、といった問題を、体系的に理解し、政府は今、この問題について何をすべきなのかを考えてみよう。

3. なぜこうなったのかー日本の年金制度の経緯

現在の日本の年金制度は、基本的に、国民の最低生活をささえる”基礎部分”と現役時代の所得(すなわち拠出)に応じた”比例部分”の2階建て、と民間被用者の厚生年金、公務員共済などが分立する構造になっている。

この構造は、1942年に正規労働者の「労働者年金」からはじまったが、敗戦後のハイパーインフレでそれまでの拠出が意味をなさなくって事実上解散し、1954年にあらためて「厚生年金」として再発足したものが淵源となっている。1960年に、農家・自営業者などに対する定額制の「国民年金」が導入され、国民皆年金制度ができあがった。これらの年金は当初は、積み立て方式だったが、高度成長下で、社会保障充実への期待が高まり、1970年代前半にかけて給付の大幅引き上げがつづいたが、それに見合う拠出の引き上げは政治的に不人気なので、行われなかった。ところが1974年のオイルショックを契機として日本は低成長、バブル崩壊、デフレスパイラルという低迷ないし下降傾向となり、しかも少子化が進展して拠出人口が減少し、また高齢化で受給人口が増える中で、年金財政の維持が極めて困難な状況を迎えた。

こうした環境変化の中で、年金改革が繰り返し試みられることになった。1985年には「基礎年金」の導入を柱とする改革が行われ、財源難の「国民年金」を基礎年金に衣替えをすることで、厚生年金や共済年金からも資金をプールする共通財源制度が制度化され、また所得のない専業主婦を3号年金者と位置づけ、年金受給資格をあたえるなど一定の整備が行われた。2004年には「100年安心プラン」と喧伝された大改革が行われた。

2004年改革の要点は、マクロスライドの導入、保険料率の上限設定、所得代替率の下限設定、基礎年金の国庫負担割合の増加、5年毎の見直しの中止、である。マクロスライドとは高齢化で社会的費用が逓増することを見越して、賃金上昇率もしくは物価上昇率から年率0.9%差し引いて給付の伸びを抑制することである。保険料率の上限は厚生年金の場合、2017年に18.3%としそれ以上は引き上げない。所得代替率は50%以上とすることに政治的コミット。国庫負担は2009年までにそれまでの1/3から1/2に引き上げる。これらの改革で、財政的に持続可能な「100年安心プラン」となったと行わないことにした。

ところが、その後、この「100年安心プラン」はすぐほころびが出て、不安が高まった。ひとつは想定外のデフレが進行したためマクロスライドが機能しなくなった。また、積立金の予定運用利率を長期にわたって年率4.1%と前提したが、その後の5年間でも平均利率は1.25%で、前提が大きく崩れた。出生率は2050年までに1.39に回復すると想定したが、その後、少子化ははるかに進行した。そうした状況のため、国庫負担割合を1/2にあげるメドも立っていない。

こうした状況の中で、年金の財源難を克服する手段として、財源の税方式化への関心が高まった。2006年から2007年頃にかけて主要新聞社が税方式化の導入を含むそれぞれの年金改革案を発表したのをはじめ、多くの機関や専門家が財源難を克服し持続可能な年金制度を構築するための提案をおこなった。政府でも、福田内閣が2008年に「社会保障国民会議」で総合的かつ綿密な検討と推計を行い、基礎年金を税方式にした場合にはどれだけの追加財源が必要か、またそれを消費税で賄うとどれだけの税負担になるか、などいくつかのシナリオに分けて詳細なシミュレーションを行った。その結果は「社会保障会議報告」の形で発表されたが、残念なことにそれが実際の年金改革の政策論議に発展することはなかった。自民党が野党に協議を呼びかけても当時、野党だった民主党などが応じなかったことと、福田内閣が短命の終わったことが背景にあった。

4. 民主党の年金改革案

民主党は2000年頃から数次にわたって年金改革案を提示してきている。それは基本的には、税方式の基礎年金と所得(拠出)比例部分の組み合わせだが、逐次、検討の結果、変化してきている。

民主党が政権党となってから、あらためて年金改革案の検討が行われたが、2012年1月に発表された「社会保障・税一体改革」素案の中で示されている「基本的考え方」が民主党政権の改革案の骨子といえる。

そこでは、年金は基本的に所得比例年金と最低保障年金から構成される。将来にわたる出生率、物価・賃金上昇率、運用利回りなどいくつかの前提をふまえて、改革の考え方が示されている。改革後の新制度は2016年から開始を想定しているが、現行制度にもとづく給付は移行期間の間行われる。ちなみに制度移行から40年後でも給付の4割は旧制度のもとづく。

所得比例年金については、15〜64歳の被保険者の保険料率は15%。最低保障年金は最大7万円を支給。最低保障は、所得比例年金がゼロの者は満額、所得が高くなるにつれて減額。最低保障年金の満額受給のための期間は20〜59歳の40年間。所得が高くなるにつれて最低保障年金は減額するが、その支給範囲、すなわちそれがどのような形で減額されるか、あるいは、どの所得になると最低保障年金はゼロになるか、によって年金のあり方やまた財政負担のあり方も変わる。民主党の執行部は、その形について4案を考えているとされるが、そのデータは一部の関係者には提示されたが、正式には公表されていない(私の近著には掲載されている)。

5. 政府は持続可能は安心年金案を早く国民に示せ

以上が、日本の年金改革をめぐる経緯である。年金は国民生活の基礎を支える制度であり、極めて重要であるだけに、また経済や社会が大きく変化してきたために、望ましい年金像を描くのが、大変な作業であることは判る。政府や関係者がそれなりに努力してきたことはわかるが、多くの国民にとって、その姿は依然としてすこぶる判り難く、「将来も大丈夫なのか」「将来、年金はもらえるのか」といった素朴で基本的な疑問への答えや手がかりは、現状では、提示されていないと言わざるを得ない。政府のもっとも重要な責務は、国民のこうした疑問に、早く、判りやすく、そして自信をもって答えることである。

年金の改革像をたしかなものにするには、多数の制度が並立する現状を一元化するとしているがそれはどう実現するのか、7万円の最低保障年金はどのように払うのか、そのコストと財源は、消費税負担は結局どれくらい必要なのか、といった問題に的確な答えを用意する必要がある。それはそれで重要な論点ではあるが、おそらくもっとも大きな論点は、旧制度から新制度に移行する際に、国が現行の制度の下で国民にたいして負っている年金の純債務(将来にわたる年金債務から年金資産を差し引いたもの)をどう清算するか、という問題である。これは額としても制度的にも極めて大きくまた重要な問題だが、おそらく多くの国民はこの問題の所在も意味も知らされていない。新制度移行はこの莫大な問題を解決することなしに実現することはできない。専門家はこの問題を承知しているが、問題の規模があまりに大きいこととそれに対応するには制度の全域に取り組まねばならないため、問題解決のための積極的な提案もほとんどなされていない。その問題とは何か。

それは、厚生年金の場合、こんご100年間にわたる年金債務は2190兆円と推計されており、一方、同期間の年金資産は2190兆円と推計される。制度移行を完成させるためには、その差額である440兆円の純債務を何らかの形で清算しなくてはならない、という問題である。ちなみに国民年金を合わせると、純債務は540兆円になると推計される。540兆円の純債務というと気の遠くなるような規模に思われるが、このような問題も、解決不能ではない。どのように解決するか。

それは(1)保険料の引き上げ、それも先述の100年安心プランで提示された18.3%への引き上げを確実に実施すること、(2)年金支給開始年齢の時間をかけた引き上げ、(3)マクロ経済スライドによる給付の0.9%引き下げをデフレ下でも実施する、などの対応で、おそらく20〜30年以内には解決できるはずである。その際、少子化がさらに進行したり、労働力率が低下したり、国民の寿命がさらに伸長すれば、その実現は遅れるおそれがあるが、それに対しては政策的、制度的対応と調整が可能だ。政府は、こうした対応で年金の改革すなわちより望ましい持続可能な制度への移行は可能だ、ということをおそれず、ひるまず、勇気をもって、親切に説明すべきだ。

このブログの冒頭で、年金の世代間格差の大きさが年金の将来の持続可能性について疑念を持たせる一因になっていることを述べたが、上述したように、それは日本の経済発展の歴史的経過を反映している。すなわち高齢者層は日本が発展途上で生活費水準が低かった時代に現役として拠出してきたので、受給年齢に達した時の高い社会的生活費水準に見合った年金を受給すると当然、受給/拠出倍率は高くなる。若年層世代はその逆のなって、倍率は低くなるが、受給時の社会的生活費水準の対する受給額は世代によってそれほど変わることはない。経済発展の歴史的過程を反映した世代間格差を大きく縮小することはできないが、拠出すべき人々がしっかり拠出しつづければ年金制度は持続可能であり、国民生活の安心は確保されるはずである。政府はこのことを判りやすく自信をもって国民に説明すべきである。

民主党の年金改革案は、このたび消費税引き上げ法案の審議について、民主、自民、公明の3党合意と、民主党執行部の法案提案に反対する小沢系議員らによる離党、そしてこれからの法案審議のプロセスの中で、消費税問題が当面優先され、年金問題の検討・審議は先送りされる情勢だ。したがって、民主党改革案も、また野党からの修正要求も含めて、年金改革の全体像と内容はまだ国民の前で十分議論される状況にはなっていない。民主党の改革案は、低所得者の最低保障年金をなるべく高く設定する一方で比較的高所得者の年金を抑制する方向を志向しており、自民党は最低保障年金をやや抑え、高所得者の年金をそれほど抑制しない方向を志向するものと考えられる。両者の分配に関する考え方は基本的に異なるが、結果としての分配構造はそれほど大きく異なるものではない。こうした基本的な分配の姿を政府はできるだけ早く国民に判りやすく説明すべきだ。

メディアも問題のこうした構造を判りやすく報道ないし解説しないので、ほとんどの国民は問題の本質を理解しにくい状況に置かれている。また、年金改革は数十年あるいは100年にもわたる長期の課題なので、そのタイムスパンは内閣や政党の寿命よりもはるかに長い。しかも国民生活の基礎となる課題である。そもそも、そうした年金の議論は、国会議員は、政党を超えて、協議に参加することを義務とすべきではないか。スウェーデンが年金改革を実現した際には、そうした認識に立って、超党派の政策協議の枠組みをつくって実行したことが知られているが、日本も今回の年金改革の議論のために、超党派の協議の義務を法制化するよう提案したい。

年金は国民が生活に安心し、その結果、国家を信頼する基礎となるものである。政府はそのことを自覚して、上記に提案させて戴いたような対応をされることを望みたい。

 
 

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