菅政権、これからが本番だ

 菅首相が1月7日に緊急事態宣言を発して、日本のコロナとの闘いは新段階に入った。緊急事態宣言の発出にいたる経緯では、Go to トラベルの休止をめぐっての迷走や首都圏の知事達の要請への対応などについて曲折があったが、宣言を発した以上は、何としてもコロナ感染状況をステージ4からまずステージ3まで引き下ろし、コロナ禍を収束に向かわせなければならない。

 

 コロナ問題は政治家にとっては鬼門かもしれない。英国のジョンソン首相はコロナへの本格対応が遅れて英国を大混乱に巻き込んだ。トランプ大統領はコロナ蔓延直後、数週間もコロナを軽視し専門家を無視しつづけた失策が大統領選挙敗北の要因となった。安倍前首相退陣にいたる人気低落もコロナ対応の不徹底さが遠因になったように思われる。

 

 菅政権は74%という高い支持率のもとに発足したが、12月には42~43%台までそして直近の調査では41%まで落ちた。支持率の大幅な低落は軽視できない。きたるべき総選挙の決断など大きな政策の裁量余地が狭まるおそれがあるからである。

 

 菅首相の緊急事態発出の記者会見は、菅氏らしく生真面目実直に、飲食店の就業時間短縮と人々の外出自粛を呼びかけ、企業にテレワーク拡大を要請し、時短店への補償金の増額と感染者受け入れ施設には病床当たりの支援大幅増額を約束した。しかし何か物足りなさを感じたのは筆者だけではなかったのではないか。

 

 年末以降、感染者は感染爆発といえるほど不気味に急増している。欧州各国での1日数万人の新規感染者の数字を見て日本人は別世界の出来事と思ってきていたが、正月休み後、東京で1日2000人超、全国では7000人超も新規感染が出るようになった。このままではほどなく1日1万人を超え、数週間後には数万人という悪夢が現実になるかもしれない。

 

 日本の感染症対応の最大の弱点は薄皮一枚先に医療崩壊があるということだ。高齢化の進む日本では医療の8割が生活習慣病など慢性病対応で急性対応は2割に過ぎない。急性疾患で満杯の施設にコロナ感染者が運び込まれればたちまち医療崩壊につながる。病床数にくらべ医療人材や設備が極端に少ない日本医療の構造的欠陥が改善されていない。

 

 ワクチンが提供されてもコロナとの闘いはこれからも続く。菅首相はこの機会に日本医療の構造的欠陥を克服する壮大な医療安全保障計画を立ち上げるべきではないか。バイデン氏は10年で1000兆円の現代版ニューディールを提唱し、EUは史上はじめて90兆円もの救済基金を設立した。菅首相は医療の人材、待遇、設備、技術を半年以内に倍増するコロナ戦時計画を実現し、国民が安心と自信をもてる目標を提示すべきではないか。

 

 コロナ問題は本稿の本題ではない。しかし、コロナ克服の展望と自信なくして内政や外交の成功はありえないのであえて冒頭にもうしあげた。本題は黙々と努力している菅政権が日本のそして世界の本格政権となるためには何をすべきかを提案することである。

 

 菅首相は政権発足時、自分の役目は国民の食い扶持を確保すること、と恩師梶山静六氏の表現を借りて言った。今の国民が、政権の取り組みを理解するにはもっと丁寧な説明が必要だ。菅氏は就任後、得意の生活者目線での政策、携帯電話料金引き下げ、不妊治療の保険適用、後期高齢者の医療保険負担の引き上げ、地銀改革などを矢継ぎ早に手がけ一定の成果をあげている。これらの意味は生活者にはすぐわかる。

 

 同時に、デジタル庁新設、2050年温暖化ガス実質排出ゼロ、RCEP(地域包括的経済連携)正式参加などスケールの大きい政策に精力的に取り組んでいるが、その意味をどれだけ国民が理解しているだろうか。12月の世論調査で支持率が下がった最大の理由は、指導力がない、だった。これらの政策への取り組みを少しでも理解していればそんな回答にはならないはずなので残念だ。実直は良いが、わかりやすい説明がないのが、菅政権の欠点ではないか。

 

 菅首相が継承するとした安倍政権は3本の矢からなるアベノミクスを提唱した。第一の超金融緩和は目的としたインフレを実現できず、GDPを上回るベースマネーを残して出口が見えない。第二の積極財政は膨大な累積財政債務を残して解決策が見えない。第三の成長戦略が主眼だったが、意図した構造改革はほとんど進まなかった。

 

 菅政権の進めるデジタル庁新設と2050年脱炭素化は、安倍政権が実現できなかった構造改革による経済成長への本格的な道筋をつける取り組みと言える。デジタル庁新設はデジタル化による日本経済の効率化に突破口を開ける意義がある。取り組みは異例の速さで進んでおり、関係各省のデジタル部門をデジタル庁に統合できれば改革は本物になる。

 

 脱炭素化はこれまでの石油中心の世界経済を石油抜きの経済に生まれ変わらせる人類史的な技術大転換の取り組みで、新技術による新たな経済成長が期待される。人口が減少かつ高齢化し、潜在成長力が低下するという日本経済の最大の弱点を克服する意義がそこにはある。供給力を抜本的に強化するその意義を判りやすく説明すべきだ。

 

 さらにもっと大きな問題は、深刻化し世界を分断しかねない米中対立の狭間で、日本はどのような舵取りをすべきかという選択だ。アメリカは日本の軍事同盟国であり、日本の国際戦略の基軸である。一方、中国はアメリカにならぶ日本の最大の通商相手国であり、経済的な重要性はますます高まると予想される。それぞれとの良好な関係は必須だが、安全保障はアメリカ、経済は中国というような良いとこ取りはできないことが難問だ。

 

 バイデン氏は国際協調を重視するとしているが、中国にたいして人権や通商などには厳しく臨むことは見えており、日本は協力を迫られよう。菅首相が言及する「自由で開かれたインド・太平洋」とは実はアメリカ主導の中国包囲網であり、また日本はアメリカの強い要請でファーウェイはじめ中国の進んだ情報機器企業を締め出している。中国は1月に入ってアメリカに追従する企業に損害賠償を請求する規則を制定し即日施行した。

 

 両方に良い顔はできないと言ってどちらか一方に従属することは日本の国益に反する。日本が追求すべきは、日本独自の価値と戦略を確立し、米中とはその観点から是々非々で付き合うことではないか。米中対立が厳しさを増す中で菅政権の最大の課題はこの点にあるように思う。

 

 この大課題に対して、私見では菅政権はすでに多くの実績を積んでおり、今、必要なことは、その実績に基づいて日本の国策としての価値を国際社会に明確に示し、米中はじめ多くの国々の理解を得ることである。

 

 その価値は、アメリカや中国におもねるものではなく、人類そして地球の未来に資する価値である。私見では、それは地球環境の保全と改善そして自由貿易の追求である。これらの目的にかなう限り、米中とそれぞれ密接に協力し、目的に反する場合は毅然と批判をすべきだ。

 

 菅首相は10月26日の施政方針演説で、2050年へ脱炭素戦略を推進すると宣言して以来、小泉進次郎環境大臣の進言も取り入れ、再生エネの拡充と目標の法制化などめざましく政策をすすめている。菅首相の提唱のもと、産業界は水素製鉄開発、EV車への全面移行、アンモニア発電、全固体電池開発、運輸部門の脱炭素など熱心な取り組みを加速している。欧州は2030年までの集中改革をめざしているが、日本も一丸となれば不可能ではない。

 

 菅首相は11月15日、中国が参加する唯一の大型FTAであるRCEPに正式参加の署名をした。その直後、習近平主席がAPEC会議でTPP参加に意欲をしめした。日本は21世紀にはいってTPP, 日欧、日英など世界諸国との自由貿易協定を精力的にすすめており、今年はTPP議長国を務める。中国のTPP参加意向はアメリカが政権交代で動きにくいこの時期に通商で影響力を高める意図があるとされるが、自由貿易促進という世界益の立場からは容認されよう。

 

 菅政権が地球環境の保全と改善ならびに自由貿易の促進を国家的価値として推進することを米中はじめ国際社会に明確にしめして理解を得、その他の問題については日本独自の高度な政治判断をくだすことができれば、菅政権は世界の本格政権として認識されるだろう。菅政権が国内でも世界でも不言実行から有言実行政権に脱皮することを期待したい。

 

 

戦後日本の経験とこれからの選択(2)

Ⅴ.    安倍政権とアベノミクス

 1. 安倍政権の企図:デフレ脱却とインフレ経済実現

  ー安倍晋三氏は、2000年に持病の潰瘍性大腸炎のために1年だけで政権降板を余儀なく

   され、再起の可能性をうかがっていたが、彼をささえる菅義偉氏とともに、日本を長期

   デフレから救済することを大義に政権奪取をめざした。

  ーまず最初の関門である自民党総裁選で勝利し、ひきつづいて民主党の野田政権と対峙し

   野田首相から2012年12月に政権奪取に成功した。

 

  ー安倍晋三氏は盟友の菅義偉氏とともに、当時、アジア開発銀行の総裁だった黒田東彦氏

   らと、デフレ脱却戦略に関する勉強会をつづけており、政権担当の際には、超金融緩和

   の金融政策を中心に財政政策、成長のための構造改革などの構想を練っていた。

 

 2. 3本の矢:超金融緩和、積極財政、成長戦略

  ー政権を担当することになった安倍晋三氏らは、デフレ克服と成長実現のための戦略を、

   超金融緩和、積極財政、成長戦略からなる”三本の矢”という政策パッケージとした打ち

   出した。

  ーこの政策パッケージは、総合的、体系的で理解しやすく、海外でも注目されることに

   なった。以下、三本の矢のそれぞれについてその狙いと内容そして評価について述べる。

 

 3. 超金融緩和:物価低迷、膨大なベースマネー、見出せぬ出口戦略

  ー第一の矢は金融政策で、とくに超金融緩和である。

  ーデフレを脱却するにはマネーサプライと潤沢にすることが求められる。しかし、不況下で

   貨幣需要が低迷している時には通常のマネーサプライ(貨幣供給)を増やすことができな

   い。そこで、貨幣需要がない中でも貨幣供給を増やせる方策として、日銀が市場の金融資

   産(公債など)を購入する代金の形で市場の貨幣供給(ベースマネー)を増やす方策を

   採択した。

 

  ー黒田日銀総裁は、着任早々、2年間でベースマネーを2倍にし、2%のインフレを目指すと

   宣言した。

  ーこの宣言をうけてベースマネー供給がふえはじめると世界の投資家が貨幣供給増加期待の

   もとに反応し、株価が急騰し、為替レートが低下した。

  ー当初は輸入物価の上昇などもあり、物価指数がいくらか上昇したが、2014年の夏以降、

   原油価格の低落もあって物価はほとんど上昇せず今日に至っている。

 

  ー第一の矢の成果としては、株価の上昇以外、インフレ実現など当初の目的は果たされて

   いない。

  ーまた重大な副作用として、500兆円を上回るGDPを超えるベースマネーが蓄積しており、

   日銀のバランスシートを正常化する”出口戦略”をどう実現するか、その見通しと手がかりが

   見えないことがある。これは中長期に日本経済運営の深刻かつ重大な課題である。

 

 4. 積極財政:財政赤字の累積、財政規律消滅、財政・経済破綻のリスク

 ー第二の矢は財政政策で、とくに積極的な財政運営と財政再建の達成を目的とする。

 ー財政出動は、通常の予算編成でも、災害等特別の事態に対する補正予算でも積極的に

  実行され、それなりの役割を果たしたことは首肯できるが、財政支出額が次第に膨張

  したことは否定できない。

 

  ーその結果、2010年に日本政府が国債公約した2020年には基礎的財政収支(primary

       balance)の均衡達成という財政健全化目標は2017~8年頃には達成不可能となった。

  ーさらに、累積財政赤字の膨張は、国際的にみても歴史的にみても類例のない規模に

   達している。2019年には累積財政赤字のGDP比は240%に達していたが、2020年に執行

   された新型コロナ対策のための大型財政支出を加算すると、2021年には260%となると

   見込まれる(IMF試算)。

 

  ーこのような異様な財政赤字の累積は、財政政策の安定的な運用を困難にするだけでなく、

   多様な経済的、社会的、自然的ショックがトリガーとなり、日本経済を財政破綻されには

   経済破綻に追い込むおそれがある。そのリスクを克服するための政策の検討は現時点では

   なされていない。

 

 5. 成長戦略:わずかな成果と困難な構造改革

  ー第一次成長戦略2013.6. 日本産業再興、国際展開戦略、国際展開戦略:抽象的。

 

     ー第二次成長戦略(2014.6)

  1)企業統治と資本市場の改革

  2)競争力強化法(2013年12月制定)

  3)TPP参加と交渉プロセス

  4)農業改革

  5)働き方の規制改革

  6)女性の活躍支援:

  7)地方創生:

  8)社会保障:

  9)医療改革:

    10)国家戦略特区

  11)賃金引き上げ

  12)法人税引き下げ:2018年29%へ(5年間で7 %)

  

   ー第三次成長戦略(2015.6)抽象的、実質進展なし。

 

 6. 新3本の矢:一億総活躍構想(2015.11)とアベノミクスの変質

 

  「一億総活躍」(2015年11月)

  ―第一の矢:”希望生み出す強い経済”⇨2020年までにGDP600兆円

  ―第二の矢:”夢つむぐ子育て支援”⇨2020年代半ばまでに希望出生率1.8 実現

  ―第三の矢:”安心につながる社会保障”:介護離職ゼロ

 

  ・意外に高い海外の関心:先進成熟国はどこも人口高齢化と労働力増加の低減で潜在成長力

   の低下に直面。 安倍政権の「一億総活躍」と「新3本の矢」は先進成熟諸国にとって注目

   すべき実験との評価もある。

 

 7. 安倍首相の”活躍”、願望と挫折

 ー安倍晋三氏は2020年9月、突然、持病の「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に首相の座から

  降板した。安倍首相はそれまで連続在位7年8ヶ月。それは戦後最長記録であるだけでなく

  2021年8月末の自民党総裁の任期を全うすれば、明治以来の日本憲政史上最長記録となる。

 ーその栄光を前にしてなぜ首相を降板したのか、については諸説がある。

 

 ー安倍首相は経済政策としてのアベノミクス、また長期在任中の外交実績にも特筆すべきもの

  があり、さらに日本国憲法の改正やロシアからの北方4島の返還などを歴史的業績(レガシ

  ー)として達成したいとの悲願もあった。

 

 ー安倍首相の業績は一見輝かしいものがあるが、冷静に判断すると、アベノミクスにしても

  上記のように総合的には成功していない、また外交としてアメリカのトランプ大統領と個人

  的信頼関係を築いたとされるが、国益にはなっていない。ロシアとの北方領土問題は前進は

  見られない。中国の習近平政権とは改善の兆しはあるが信頼関係は見られない。憲法改正は

  糸口もついていない。これらを勘案すると、安倍首相は持病を口実に退陣したのではないか

  との見方もある。

 

 

Ⅵ.  菅政権と政策ミックス

 

 1. 自民党の力学と菅政権の誕生

 ー安倍首相の突然の退陣声明をうけて、自民党ではさっそく次の総裁選びに入った。

 ーこれまで次の総裁候補として長らく名乗りをあげていたのは、安倍政権の最初の自民党

  幹事長経験者である石破茂氏。また、安倍政権で外務大臣や政調会長を経験した岸田文雄氏

  も最近は2021年9月の安倍首相任期満了を見越して積極的にアピールしていた。

 

 ー自民党総裁選は当初、石破氏と岸田氏の事実上の一騎討ちと見られたが、選挙直前になって

  長らく安倍政権の官房長官を務めた菅義偉氏がにわかに立候補。そしてたちまち、自民党の

  7派閥のうち石破、岸田閥をのぞく5派閥の全員一致支持(すなわち自民党の8割以上)をと

  りつけて総裁選では圧勝した。

 ー菅氏を支持した5派閥は足掛け8年間に亘る安倍政権で既得権を享受してきたって政治家

  集団。石破氏はその既得権構造に切り込もうとしていたので、5派閥はこれまでの既得権を持

  続するため菅支持、石破降ろしに殺到したと言える。自民党の典型的な利益原理作用の帰

  結。

 

 ー菅氏は、秋田県の寒村でイチゴ栽培を営んでいた農家の長男。高卒、集団就職で横浜に来て

  段ボール工場などアルバイトを転々とし、法政大学に籍を置いて空手部に所属。その後、横浜

  を地盤とし、通産大臣ともなった小此木彦三郎氏の秘書を経験、39歳で横浜市議、48歳で

  衆議院議員初当選。その後、梶原静六氏、などの薫陶を得て、政界で頭角をあらわし、第一

  次安倍政権では総務大臣。安倍氏が失意の退陣後は一貫して安倍氏をささえつづけ、捲土

  重来した安倍政権では官房長官を務め続け、官僚の人事などを一手に引き受けて実力を

  磨いた。

 

 ー官房長官時代、菅氏は首相の座への願望も意思もなしと言い続け、他意のない政治家として

  大方の安心感を確保していたが、それが安倍退陣後は直ちに実力者二階俊博氏の下に駆けつ

  けて総裁選への全面支援をとりつけるなど電光石火の行動は常人の想像を超える面もある。

 ー菅氏は田舎の農家の息子、苦労人、官房長官として新年号「令和」をTVで色紙で見せたこと  

  で茶の間の顔「令和おじさん」となるなど、実直な庶民としてのイメージを巧みに売り込ん

  だとも言える。

 

 ー菅氏は、立候補の際、”安倍政策の継承”をうたったが、その後の政策行動は安倍路線とは

  ほとんど無関係。安倍氏がアベノミクスや地球外交などで内外にその構想と行動力をアピール

  していたのと比べると、菅氏にはそうしたアピールはほとんどない。

 ーその菅義偉とはどのような人物なのか、そのリーダー像はまだ未知の部分がほとんどのよう

  だ。

 

 2. 実務家首相の政策案:デジタル庁、官庁改革、CV対策、不妊治療健保適用、

   オリンピック

 ー菅氏は個別具体的な政策を提案して実行する実務化的能力にたけている。以下、

  菅首相が提案し推進しようとしている政策を列記する。

 

 ーデジタル庁:日本がDXの推進に著しく遅れたという認識と反省の下に、2021年

  の春をめざしてデジタル庁を設置し、とりわけ行政のデジタル化を総合的に推進

  しようという構想。平井卓也氏を担当大臣に据えて設置の準備をすすめている。

 

 ー官庁改革:河野太郎氏を担当大臣に任命して、もろもろの行政改革や官庁の縦割りの

  打破をめざしている。河野氏はまず行政手続きにおける印鑑の廃止を提起している。

 

 ーCV対策は最重要としているが、菅政権発足と同時に日本はCV感染第三波が高まって

  いる。菅首相は経済回復の起爆剤として安倍政権の時代から観光・飲食業救済のための

 「Go To キャンペーン」を進めているが、CV対策に目ぼしい取り組みは見られない。

 

 ー菅氏は総裁選の公約として不妊治療を保険適用とすると公約しており、これは技術的

  問題を解決すれば実現はできる。

 

 ーオリンピックは2021に実現することをIOCのバッハ会長と合意したが、世界のCV感染

  が高まっている中で、ワクチン接種の実施も見据えながら、どう実現するか課題は多い。

 

 ー菅氏は以上のような具体政策を進めるとしているが、それらを貫く全体構想が見えない

  という批判が内外から寄せられている。菅氏は「国民の当たり前の生活を守る」「国民の

  食い扶持を確保する」とつねづね提唱しているが、政策構想として魅力がない。

 

 3. 大局戦略:2050年CO2実質ゼロ、RCEP参加

 ー菅氏は施政方針演説で、2050年までにCO2実質ゼロを掲げた。これはEUなどの強い

  方針や中国の2060年目標に同調したともいえる。これを実行するには政府、産業、

  国民が総力をあげて取り組む必要があるが、それを国債公約したことは評価できる。

 

 ー菅政権は2020年11月に、中国がかかわる唯一の大型FTA(自由貿易圏)であるRCEP

 (東アジア地域 包括的経済連携) へ正式に参加すると表明。

 

 ーこれは米中対立が深まるなか、これまで対米従属一辺倒の姿勢が顕著だった日本が中国に

  対して経済的には中国との協調を国際的に見える形で大きく踏み出したという意味で重要な

  一歩と評価できる。

 

 4. 菅政権の展望

 ー菅政権は、退任した安倍晋三首相の残任期間が任期であり、それは2021年9月。

  2021年9月には総裁選で新首相を選び直す必要がある。そこで菅首相が再選されるか

  どうかが日本の政治にとって重要な節目になる。総裁選の前か後には総選挙で国民の信任

  を問う必要がある。

 ー総選挙では、現状では立憲民主党などが代表する野党勢力が自民党に勝つことは困難と思わ

  れるので、総裁選で選ばれる自民党の新政権が国民の信任を得ることは確実と考えられる。

 

 ーそうすると、2021年9月の総裁選で菅義偉氏が選ばれるかどうかが鍵となる。菅政権の事実

  上の生みの親となった二階俊博幹事長は、総裁選は無投票で菅義偉氏選出で良いのではない

  かと発言している。これは2020年9月の総裁選を戦った石破茂氏が選挙母体となる自身の

  派閥の代表を2020年11月に降りたことなども考慮した発言と思われるが、現状では菅義偉

  氏が2021年9月の総裁選で選出され、菅政権は長期政権となる公算が大きいと思われる。

 

  

Ⅶ.   米中対立時代の日本の舵取り

 

 1. 米中対立時代の日本の立場と舵取り

 ー米国と中国の対立が、トランプ政権時代にトランプ大統領による中国輸出品に対する高率

  制裁関税の賦課や、華為技術社などのハイテク企業をEntity listに入れて国際経済から締め

  出すなどのハイテク覇権闘争によって事実上の戦争といえるほどの緊張関係になっている。

 

 ー日本は「日米安保条約」によって米国との軍事同盟国となっており、日本の防衛を全面的に

  米国に依存しているため、米中対立の中、日本政府は中国ハイテク企業の排除などの米国

  の要請に従う判断と態度をとっている。

 ーアメリカのがトランプからバイデン政権に代わっても、アメリカの中国批判はつづくと思わ

  れる。バイデン氏は同盟関係を重視するとしているので、米国の中国批判に日本に同調を

  要請してくる可能性はむしろ高いと想像される。

 

 ー一方、日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、日本企業の対中投資も大規模に浸透

  しているので、中国との経済関係の維持・強化は日本の経済活動にとっては不可欠。

 ー中国と良好な関係を維持することは日本の経済的存続にとってきわめて重要であり、バイ

  デン政権がおそらく同調を要請してくる中国の人権問題批判への対応については難しい

  判断を迫られるだろう。

 

 2. 日本独自の価値の認識と戦略の追求

 ーこうした難しい舵取りが必要とされる中で、日本はむしろ独自の価値を主体的に主張し、

  それを基軸に、米国や中国にたいして是々非々で対応することが必要ではないか。

 

 ー自由貿易の確保や推進、あるいは、地球環境の維持と改善は、地球社会全体の安定や発展

  に資する人類共通の価値であり、それを日本が総力をあげて推進することは適切だろう。

 ーその意味で、菅政権が、2050年までに温暖化ガスの実質ゼロを追求するとしたこと、また

  中国が長くかかわってきた自由貿易権RCEPへの参加を表明したことは高く評価できる。

 

 

Ⅷ.   新時代の日本と新しい日本人への期待

 1. 日本経済の展望:人口減少と高齢化、繁栄の後遺症、活力の低下?

  ー日本経済が直面する最大のそして長期的問題は、人口の減少と高齢化である。

   人口減少は日本経済の成長能力を厳しく制約する。また高齢化はその社会的費用を

   負担するため財政赤字の累積を加速しており、日本の近年の累積財政赤字の蓄積は

   なにがしかのショックで、日本の財政破綻そして経済破綻を引き起こす危険を孕んで

   いる。

 

  ー日本経済は太平洋戦争敗戦の焦土の中から奇跡の復興を実現し、1950年代後半から

   1970年代前半にかけて高度成長を達成した。しかし、1980年代後半のバブルの膨張と

   崩壊の過程で、バランスシート不況を経験した日本企業は、負債返済にとらわれた後ろ

   向きの経営となり、かつての繁栄の後遺症で萎縮している。

 

  ー近年、世界はDXという歴史的な技術パラダイムの転換の中で、激しい技術革新によって

   社会も経済も急速に変化し進展している。それを担っているのは多様な世界の切磋琢磨

   を経て登場している異能な才能の人材群である。近年の日本に欠けているのはそうした

   活力ある人材群である。

 

 2. 新世代の成長をいかに支援するか

  ーしかし、そうした人材群の候補生は、新世代の日本人のなかに多く散見する。

   大学生諸君の中には、かつてのように中央官庁のエリートや財閥系大企業の幹部をめざす

   よりは、自分で事業を創業し、世界的視野で異文化交流を深め、ネットネィティブ世代と

   してDXを体現し、地球環境や人類の健康増進に貢献しようと志す人材が少なくない。

 

  ー彼らにとっては、国籍や人種は制約にならない。世界のイノベーションは国別や企業別で

   なく、国境を超え、文化を超えるオープンイノベーションが常態になりつつある。

  ー日本にとって必要なことは、こうした才能ある新世代に、制約なく成長し活躍できる場と

   環境と必要な支援を提供することではないか。

戦後日本の経験とこれからの選択(1)

Ⅰ.  はじめに
  本稿はある中国の大学の依頼で、戦後日本経済の復興、成長、低迷、そしてこれからの展望を概論的に講義をしたエッセイですが、これは戦後日本経済と政治の歴史的経緯を総合的に理解するうえで参考になると思いますので以下に記載します。
 
Ⅱ.   敗戦と占領
 1. なぜ対米開戦をしたか
 ー歴史はどこまでも遡ることができるが、本講義では、太平洋戦争の終末まで。
 ー日本はなぜ対米開戦をしたが、が大きな問題、疑問。
 ー日本の工業生産規模はアメリカの1/10。軍隊の燃料の石油も、軍艦の原料の鉄屑も
  アメリカに依存。それでなぜ戦争?
 ー太平洋戦争に先立つ20~25年間、日本は中国を侵略。蒋介石軍と戦い。
 ー援蒋ルートを断つため、仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)に進駐。石油確保も。
 ー仏印進駐がアメリカの虎の尾ふむ。石油と鉄屑禁輸措置。日本軍は米産石油と鉄に依存
 ーこのままでは座して死を待つほかなし。
 ー近衛文麿首相、ルーズベルト大統領に面会申し込み。大統領前向き、ハル長官ら側近の反対
 ーコーデル・ハル国務長官の最後通牒。満洲国、中国、アジアから撤退条件。
 ー近衛内閣総辞職。陸相東條英機組閣。
 ー1941.12.8.未明、連合艦隊真珠湾奇襲攻撃。宣戦布告到着遅れ
 
 2. 攻撃から惨敗へ
 ー真珠湾大勝に浮かれる国民。
 ー日本航空部隊マレー沖英艦隊撃滅。シンガポール占領
 ー朝鮮、台湾、フィリピン、東南アジア、シンガポール、オーストラリア、大洋州諸島を数ヶ月
  占領。
 ・ABCD(America, Britain,China, Dutch)ラインに対する逆ABCDライン構築
 ー1942.ミッドウェー海戦で惨敗。最新空母4隻と航空攻撃部隊大規模壊滅
 ー航空機設計、通信機能、作戦能力で遅れ。マリワナ沖海戦など惨敗に次ぐ惨敗
 ー米軍:オーストラリア、大洋州諸島、フィリピン、硫黄島、沖縄占領。B29本土直接爆撃
 ー無差別大規模爆撃、本土焦土化、原爆(広島、長崎)
 ー1945.8.ポツダム宣言受諾。ドイツと異なり政府を残して間接占領
 ー占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー将軍着任
 ー日本無条件降伏1945.9.3.(戦争は4年弱:1941.12~1945.8.)
 
 3. 占領の経験
 ーGHQ(総司令部)による占領政策開始
 ー軍と政治の民主化:軍解体、戦犯断罪・処刑(東京裁判)、戦争加担者公職追放、普通選挙
 ー経済・社会の民主化:財閥解体、農地解放、平等教育、労働組合承認
 ー憲法改正:「日本国憲法」GHQ民政局の憲法草案づくり
  マッカーサーのこだわり、天皇制維持のための憲法9条(平和憲法)規定
 ー経済:国民資産吸い上げて財政破綻回避、超インフレで財政膨張、ドッジ財政健全化→不況
  →倒産、失業、貧困、疫病、労働運動、占領軍の抑圧


Ⅲ.   復興と経済成長

 1. 冷戦と米国の対日戦略の転換
 ーWWII後の米国の世界戦略、危険な日本から世界をどう守るか、日本弱体化政策
 ー1946.3チャーチル演説(ミズーリ州Westminster大):”鉄のカーテン” 冷戦の兆候
 ースターリン:東欧、中央アジア、東アジアに進出:圧力と脅威、朝鮮半島進駐
 ー米国の対日戦略転換:George Kennan(国務省政策企画室長) レポート、
  日本を共産圏に接する防波堤として利用
 ー1950.6.25. 朝鮮戦争勃発:北朝鮮軍の南下、中国人民解放軍参加、ソ連空軍支援で共産側
  優勢、米主導連合軍仁川上陸1950.9.15、共産軍を分断。休戦協定1953.7.27
 ー1951.サンフランシスコ講和条約:米英勢力による単独講和、中国招かれず、ロシア不参加
 ー1960.日米安全保障条約、吉田茂首相署名、日本占領終了、独立国として国際社会復帰
 ー日本:Pax Americanaの同盟国の一国として米国の冷戦戦略の一翼を担う。
 ー日米安保条約:片務条約:米国は日本の防衛義務、日本は米軍に基地提供。
 ー対日経済支援:円レート:1ドル=360円。安い円で輸出競争力。日本輸出品に米市場開放
 ー教育支援(Fulbright Program), 技術支援(品質管理、生産性運動~Marshall Plan)

 2. 新興産業(トヨタ、松下、SONY, ホンダ)の台頭
 ー敗戦後の日本のめざましい復活と成長を主導したのは、戦前の日本を支配した巨大財閥
  (三菱、三井、住友、安田など)ではなく、ほとんど一代で零細企業からグローバル企業
  に成長した活力あるトヨタ、松下、ソニー、ホンダなどのベンチャー企業だった。

 ートヨタ:
 ・トヨタ自動車は、自動織機製造で豊田式完全自動織機などの開発で日本のトップメーカーと
  なった創設者豊田佐吉の長男である豊田喜一郎が、関東大震災で自動車の時代がくることを
  予感。自動織機会社に自動車部を設け、自力で自家用自動車の開発に全力
 ・戦争中は軍用トラックもつくったが、同時に製造時間を節約するJust in Time方式を考案。
  戦後は自家用車にさらに注力したが、資金難と労働争議で倒産のリスク。朝鮮特需で復活
  を見る前に死去。後継者達が従業員と一丸となって今日のグローバル企業トヨタを発展させ
  た。

 ー松下:
  和歌山県の寒村、10人家族の三男。父が先物取引で失敗して極貧生活。大阪に出て丁稚奉公
  電気の時代を予感して電気配線工。自立して妻とソケット生産。徐々に業容拡大してランプ
  で成功。ラジオでは日本最大メーカーに。戦争中に軍需生産に加担したことで、占領軍に
  財閥指定を受け、資産凍結、会社解体の危機。一時は自殺も考えたが、朝鮮特需で存続。
  占領統制解除後、急速に回復・発展。日本を代表するグローバル企業に。
 
 ーSONY:
  電波好きの天才少年あがりの井深大と、名古屋醸造名家の長男で海軍の短期現役制度生だっ
  た盛田昭夫が、戦争中軍関連の科学技術研究会で意気投合。敗戦後、東京で再会して、東京
  通信研究所設立。テープレコーダーの国産化に成功。やがてトランジスタラジオで一世を風靡
  グローバル電子メーカーSONYに発展

 ーホンダ:
  浜松生まれ、機械好き少年本田宗一郎。自動車修理工からベンチャー企業を創立。戦争中は
  ピストンリング製造でトヨタの下請け。戦後、小型エンジン開発からオートバイ製作。藤沢
  武夫と意気投合。製造の本田と経営の藤沢。幾多の困難を乗り越えて、マン島レースで優勝。
  世界のバイクメーカー本田。自動車のグローバルメーカーに。
 
 ー敗戦と占領によって旧体制日本の権力構造が徹底的に破壊されたことが、日本民族の
  潜在的活力を引き出した可能性
  ・軍隊消滅、財閥解体、官僚機構の分解、戦前エリート教育の否定など。

 ーこれらベンチャー企業は敗戦の破壊と疲弊の中で生産活動を停止(トヨタ、松下)、もしく
  はその廃墟のなかから事業を創出(SONY、ホンダ)した。

 3. 所得倍増計画
   ー池田勇人政権(1960.7~1964.11)の所得倍増計画(1960.11)発表
  ・10年で国民所得倍増。そのためには年7.2%必要。1950s後半成長率、年9%の実績
    1960sの10年間で倍増を主張。結果はそれを上回った。   
 ー池田首相の知恵袋、下村治、1960年代(1961~71)年10.4%維持を主張。
   結果は10.9%。
  ・下敷きに 下村理論:投資は算出係数(△ Y/△K)媒介に供給力↑:ハロッドモデル。
 ー産業構造の大転換:農業部門の縮小と工業部門の拡大
 ー大規模人口移動:地方から大都市へ、期待所得格差による急速の人口移動、
 ーピラミッド型の人口構造(人口ボーナス)→新卒者の集団就職
 ー低賃金・若年労働力プールからの無制限労働供給(Lewis型モデル)による経済急成長

 4. 経済成長と「日本株式会社」論
 ー日本型経営:年功賃金、終身雇用、企業別組合、愛社精神・忠誠心
  ・年功賃金:企業内訓練と習熟、勤続による技能・生産性向上→勤続に比例する賃金
  ・終身雇用:契約でなく経済成長の帰結。生産持続拡大による結果としての長期雇用
  ・企業別組合:急速な工業化、労働市場形成→産別、職業別労組でなく職工一体の組合
  ・愛社精神・生活防衛のため企業一丸となる忠誠心育まれる→企業一家主義

 ー輸出志向型金融システム:国民の資金吸収→戦略的輸出部門に集中
  ・発展途上の資金不足経済:全国農村の貯蓄を農協が吸い上げ→協同組合→信用金庫→
   地方銀行→都市銀行→政策銀行(興業銀行)→戦略的輸出産業(鉄鋼、造船、機械
   など)。

 ー政府主導の産業政策:アメリカから技術導入→産業構造の逐次戦略的高度化を実現
  ・傾斜生産方式(石炭、鉄鋼、造船、機械)から戦略的輸出産業育成(自動車、電機、
   電子、半導体、コンピューター)。傾斜生産方式で敗戦の廃墟のなかから基礎産業 
   を構築し、その基盤のうえで最先端産業を戦略的に育成した。
  ・アメリカは日本の政府主導のこうした産業育成策を異質な資本主義モデル「日本株式
    会社」として批判し警戒した。


Ⅳ.    戦後経済成長モデルの挫折と失われた20年

 1. 高度経済成長と土砂降り輸出
  ー日本型経営と日本型資本主義は国際競争力を加速的に高め、日本産業は世界市場における
   シェアを急速に拡大した。
  ー1980年代中盤には、日本の自動車や電機産業は世界市場を席巻し、金融でも銀行の資産規
   模では日本の銀行が世界のトップクラスの銀行の11行を占め、さらに最先端の電子産業の
   基幹部品である半導体では日本の主要メーカーを合わせると世界市場の7割のシェアを占め
   アメリカの半導体生産基地であるシリコンバレーを凌駕した。

  ー自動車や電気製品がアメリカ市場に大量に輸出され、そのシェアを急激に増やしていった
   ので「土砂降り輸出」として非難の対象となった。ワシントンでは議会の議員達が議事堂
   前の広場で日本製の新車をハンマーで打ち壊し、またデトロイトでは日本人と間違われた
   中国人が殺害される痛ましい事件も起きた。

 2. アメリカのJapan Bashingとプラザ合意
  ーその当時、アメリカは貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に悩まされており、特にアメ
   リカは日本に対し最大の貿易赤字を抱え、対日批判(Japan Bashing)が高まっていた。
  ーしかも、1985年には日本は一時的であるとはいえ、1人当たりGDPがアメリカを上回っ
   た。こうした現象は、何事も世界一でなくては気のすまないアメリカ人の激しい日本批判
   を掻き立てた。

  ー1985.9 ベイカー財務長官は、NYのプラザホテルに日欧5ヵ国の財務大臣を呼び集め、
   アメリカの対日赤字が異常に膨張しているので、為替相場を適正に調整する必要がある
   との合意を取り付けた。日本からは竹下登蔵相出席。これが有名な「プラザ合意」。
  ー政治が為替相場について介入することは金融政策ではタブーだが、ベイカー長官は
   おかまいなしにこの合意をニュースとして流したために、世界の為替レートは激変した。
  ーそれはベイカー長官の思惑どおり、円の為替レートの急騰を引き起こした。それまで1ドル
   360円だった円レートは1週間後には220円となり、さらに数週間後には150円前後まで
   急騰した。

 3. 日本のown goal: バブルの膨張と破裂
  ー日本政府は、輸出立国の日本がこの円高で、輸出が大打撃を受けとくに中小企業の雇用が
   被害を被るのでは無いかとおそれ、金利の引き下げと大規模な財政支出で需要を創出し、
   円高による経済への打撃を緩和しようとした。

  ーしかし結果的にはこれは戦略ミスだった。この莫大な需要創出策は、大規模なバブルを産
   んだが、中小企業の雇用は減らなかった。それどころか、日本の産業は円高に対して生産
   性向上に努め、輸出競争力は減退せず、輸出は結果的にさらに増加した。
  ー日本政府のとった需要創出策は、日本国内に大規模なバブルを発生させるという意味で、
   いうなればown goalの自滅効果をもった。

  ー政府が創出した大規模な需要は、日本経済にそれを吸収する能力が不足していたために
   ”過剰流動性”となり、それは金融資産と土地に向かい、株価と地価を異常に押し上げた。
  ー株価と地価の上昇は、株式と土地への投資もしくは投機需要を急増させ、バブル
   が膨張した。地価が高騰したため、当時、東京23区の土地総額でアメリカを買えるとか、
   日本列島を売るとアメリカが4つ買えるとか言われた。
  ーこのバブルは生産的な投資に結びつかず、いたずらにバブルを膨張させた。
 
  ー銀行など金融機関は、一般企業や資産家に土地を担保に叶うかぎり融資を行い、土地投機
   を勧めたため、日本経済の価格構造は資産価格の高騰によって大きく歪んだ。
  ー日本政府は、こうした事態を早く抑制すべきだったが、それが需要創出を求めるアメリカ
   の不興を買うことを恐れたので、時間が経過し、バブルの弊害が深刻化した。
  ーそして数年後(1991.3.→1993.10)に、日銀の三重野総裁がバブル圧縮のために、金利
   を大幅に引き上げ、大蔵省は、この機に乗じてバブル創出の元凶と睨んだ不動産業界への
   融資枠を半減するという過激な抑制策をとった。その結果、不動産業界は倒産が相次ぎ、
   地価と株価は急減した。それは日本経済を急速に萎縮させる劇薬となった。

 4. バランスシート不況と低成長
  ーバブル膨張の過程で多くの企業は銀行から土地を担保に多額の融資を受けていたが、バブル
   が崩壊すると、担保の土地価額が急減したので、企業は担保価値をはるかに上回る純債務
   をかかえることになった。
  ーバランスシート上に多額の純債務をかかえた企業は、純債務を減らすために、事業を縮小
   し、雇用を削減しそして投資を控えるようになった。これは企業活動そのものを収縮させ
   るので、経済が収縮し不況に陥った。これがいわゆるバランスシート不況である。

  ー一方、銀行など金融産業は、貸付先の企業から債務の返済が遅れ、もしくは不能になった
   ため、回収のできない”不良債権”をかかえることになった。その結果、中小金融機関だけで
   なく、いくつかの大手銀行も破綻し、金融恐慌一歩手前の深刻な事態となった。
  ーこうしたバランスシート不況の結果、経済成長は著しく鈍化し、低成長がつづくことに
   なった。

 5. 高齢化と財政赤字の累積
  ー1990年代から2000年代にかけて、日本経済は人口の縮小と高齢化という構造変化に
   制約されることになった。出生率の大幅な縮小によって日本の人口は1990年代の中盤
   以降、ゆるやかな縮小過程に入った。労働力人口はそれより10年ほど早く縮小段階に
   はいっていた。

  ー人口が縮小すると同時に、人口構造は急速に高齢化した。人口減少は労働力人口の減少を
   つうじて経済成長をささえる最大の要素である労働供給を減退させるので、日本経済の
   成長力は著しく減退した。
  ー成熟段階にはいった日本経済では、技術革新や資本形成による生産性向上は年率1%程度
   ほど期待されるが、労働力人口が年率0.7%程度縮小するので、経済の成長力の指標である
   自然成長率は中期的に0.3%程度しか期待できない。

  ー一方、社会保障支出は人口の高齢化によって持続的に増大する。増大しつづける社会保障
   支出は財政支出を増加させるが、それを賄う国民所得は労働力人口縮小によって漸減する
   ので、社会保障財政は支出超過で赤字になる。この財政赤字は低成長下の国民の担税力で
   はまかない切れないので、その補填は赤字国債発行により次世代の国民の負債の形で膨張
   する。
  ー日本経済はこうして1990年代以降、膨大な累積財政赤字をかかえることになった。
  ーちなみに1990年の累積財政赤字はGDP比60%だったが、2000年には140%となり、
   近年では240%に達している。新型コロナウィルス対策で多額の財政支出をすることに
   なった結果、2021年には累積財政赤字のGDP比は260%という世界最悪、歴史上でも
   空前の赤字になるとIMFは予測している。

 6. 失われた20年
  ーバブル崩壊後のバランスシート不況、借金返済に追われて投資意欲をうしなった企業の
   活力喪失、人口縮小による日本経済の成長能力の低下、高齢化による社会保障支出の急増
   とそれを賄うために膨張した未曾有の累積財政赤字などの制約で、1990年代以降、日本
   経済は年平均せいぜい1%前後という極端な低成長時代を経験している。
  ーこの低成長時代はすくなくとも1990~2010年前後の20年間以上つづき、”失われた20年”
   といわれる。

  ーこの期間、アメリカは2~3%の成長率、中国は10%前後の成長率を維持した。プーチン
   時代のロシアやモディ政権下のインドは5~7%成長を達成し、日本の低迷は世界でも特異
   である。
  ー日本が年率10~5%の成長率で拡大をつづけた1980年代頃、アメリカは日本を批判・攻撃
   し、Japan Bashingを言われた。1990年代に入るとアメリカは高度成長をつづける中国
   に注目し、日本は立ち寄るだけの国になったので、Japan passingといわれ、21世紀に
   はいると活力をうしなった日本は注目されなくなり、Japan nothingと揶揄された。

  ー日本の持続的低成長は、バブル崩壊や労働力人口の減少だけでなく、その他多くの構造的
   制度的原因があるのではないか、との考えから歴代の政権がさまざまな構造改革を試み
   てきた。
  ー中曽根康弘政権(1982~87)は国鉄民営化に象徴される日本の制度的構造の改革に
   挑んだ。橋本龍太郎政権(1996~98)は省庁の構造を抜本的に編成しなおした。
   小泉純一郎政権(2001~2005)は郵政改革をつうじて日本の公的部門の改革を敢行
   した。

  ーしかし、小泉政権を受け継いだ安倍晋三政権は彼の持病のため1年しか続かず、それを
         引き継いだ福田康夫政権もまた麻生太郎政権も短命で終わり、2009年にはそれまで半世紀
   間、日本の政治を事実上独占していた自民党政権に代わり、民主党政権が誕生した。
   しかし政権担当の経験のない民主党政権は迷走し、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦政権
   と矢継ぎ早に交代し、日本は6年間に6人の首相が目まぐるしく替わるという異常
   な時代を経験した。

  ーこのような極端な政治の不安定がつづく中で、経済ではデフレが進行していた。デフレは
   長期化すると経済をむしばむ深刻な病となる。デフレ下の物価低下は消費者からは短期的
   に歓迎されるが、長期につづくと消費者は買い控えをするようになり消費が減退する。ま
   た企業家は、物価低下期待の下では、投資収益が期待できないから投資と手控える。経済
   を構成する消費と投資が長期的に減退しつづけると経済は縮小しやがて衰退する。失われ
   た20年間に日本経済は長期デフレという深刻な体質病に侵蝕されはじめていたのである

CV感染と政策対応: 日本の経験:日本型モデルは成功するか?(4)

Ⅴ.   感染抑制と政策対応の経済シミュレーション

 

  ー感染抑制政策と緊急経済対策が感染の抑制と中期的にどれほどの経済コストになるかを

   判りやすく示すために、二つの対照的なシナリオでシミュレーションを試みる。

  ー中期的とはこれから2年ほどの期間。それ以降にはCVに対するワクチンが開発され

   世界の人々に広く提供される可能性があると想定。以下のシナリオはそれ以前の状況

   での感染抑制と経済コストのあり方を対照的に示す。

 

 1. シナリオA:小出し逐次政策対応と感染・経済コスト

   ー日本政府がこれまでに推進してきた感染抑制政策と緊急経済対策をシナリオ化。

 

   ーその特徴は以下:

    1)感染抑制策は日本の「感染症法」にもとづく伝統的な感染症対策を踏襲。

    ・それは国立感染症研究所を中心に地方衛生研究所と全国市町村の設置された

     保健所のネットワークを駆使して、感染者の行動追跡からクラスターを究明し、

     濃厚接触者などの健康・行動調査をつうじて感染拡大を抑制する方法。

    ・これは感染対策が小規模(全国で感染者が1000件ていど)段階では有効だが感染者

     が15000(2020.5.初)にもなりその大半の感染経路が不明の状況になると機能し難い

 

    2)CPR検査の数量が限られ、増強のスピードが極めて遅い。

    ・CPR検査を徹底して実行し、成果を収めた先行例として韓国があり、4月頃からドイツ

     など欧州諸国やアメリカなどが1日10~20万件規模で検査を実施している。

    ・日本は安倍首相が早くから1日2万件を主張しているが、5月初段階では8000程度。

     検査の数量限定と拡大の遅れは、緊急事態宣言体制の解除にともなって発生しうる

     感染再拡大(第二波、第三波)に対応するデータ基盤の乏しさから再拡大を防止する

     対応が不十分で感染再発が起こりやすいリスクがある。

 

    3)Social distancingを徹底するための休業の補償が不十分。

    ・効果的なワクチンが開発され國民に広く提供されるまでは、GV感染抑制策は感染者

     の入院隔離を除けば、もっぱらsocial distancing(接触しない)、self-quarantine(外出

     自粛)しかない。諸外国は外出を罰則で規制している例が多いが、日本は強制力の

               ない自粛要請のみ。

    ・Social distancing を徹底するには、人々が出かけ、集まる先を閉じるほかない。その

               ためには飲食や集合できる施設を閉店するしかない。日本ではそれらの施設に休業を

     要請してきたが、休業中の収入に対する補償はほとんどない。これら施設の大部分は

     小零細事業であり、資金力は極めて限られる(1~2ヶ月ていど)。確かな休業補償が

     なければ、多くが倒産、廃業そして多くの事業者と労働者(失業保険非加入者も多

     い)は所得を失い困窮者になる。結果として経済基盤が劣化し経済活力が失われる。

 

    4)緊急経済対策の発動の遅れと内容の不適格。

    ・緊急経済対策は4月7日緊急事態宣言と同時に発表されたが、感染拡大にともない

     改正特措法に基づき自治体等の感染抑制策に法的根拠をあたえる緊急事態宣言の発令

     を求める声が3月はじめ頃から高まっていたにも拘らず、政府の対応は1ヶ月も遅れ

     同時に経済対策の発表も遅れたため、迅速さが求められる政策発動が大きく遅れた

     ことは問題。

    ・発表された対策には緊急対応として医療支援のほかに所得が急減した家計や小零細

     企業への所得補償が掲げられたが、所得急減家計への補償は実効性がなく結局、國民

     全員に一律10万円給付という政治決着になり、緊急対策として本来救済すべき所得

     急減家計への集中支援はなおざりになった。

    ・総額108兆円という超大型対策の”真水”は30兆円あまりであり、多くの事業経費

     がV字型回復のための対策として観光地への”go to”プロジェクトなど緊急対策とは

     関係のない意味不明な内容。

 

   ーシナリオAは以上のような特徴をもつこれまでの日本政府の対応のしかたを前提として

    以下のシミュレーションをする。

   ・シミュレーションの時間視野は2020年ならびに2021年。

 

    (1)直接コスト:「緊急経済対策」(2020.4.7) 20.5兆円

      ・その内容は:アビガン確保やマスク配布、自治体交付金 1.8兆円

             中小企業資金繰り対策          3.8

             中小企業などへの給付金         2.3

             特定定額給付金(国民一人一律10万円) 12.6

 

       ・2020.4.7.発表の緊急経済対策に加えてさらに大型対策が実施される

        可能性もあるがここでは4.7.対策を前提。

       

    (2)間接コスト:緊急事態宣言下の休業要請は主として飲食、集会、移動などの産業の

         収益ならびに関連勤労者と事業者の所得を著しく削減するので、それらは

         国民が広く負担する間接コスト。

          ・参考:サービス業の事業所得    134.9兆円(2019年)

              JRと2大航空会社の年間売上高 10.8兆円(2019年)

              詳細はシナリオBで述べる。

       ・シナリオAでは休業補償が充分に実施されない前提なので間接コストは陽表的

        には計上しない。  

 

    (3)GDPの変動

     ・シナリオAでは、小出し逐次政策対応で、CVの感染拡大を2020年中には収束

      できず、さらに小出し対応をつづけているうちに、経済活動は2020ならびに

      2021年にわたって停滞する。

     ・GDP変動は2020、4~6月期がどん底で年率ー20%以上の落ち込みもあり得るが、

      感染収束が実現しない中で、経済も少しずつ回復する。そうした状況は2021年

      中も続くと見込まれる。

     ・GDP変動は2020.4~6月以降年率ー10%、2021年も通年平均ー10%。

 

 2. シナリオB:迅速・大型政策対応と感染・経済コスト

    ー迅速・大型・徹底政策でCV感染を早期収束、2021年に向けて経済V字型回復を

      はかる対応のシナリオ化

 

     ーその特徴は以下:

      1)迅速な政策決定とその果敢な実施

      ・危機対応で何よりも問われるのはスピード。政策が遅れることは問題への対処

       が遅れ、必要な対策を打つべき貴重な時間が失われる。緊急経済対策の構想から

       実現まで2ヶ月の時間の浪費、改正特措法が成立してから緊急事態宣言発令まで

       4週間を要した遅れ、また緊急事態宣言発令から休業要請まで2週間様子を見る

       とした政府対策本部の考え方などは大いに反省すべき。

      ・所得補償を決断しないままに休業要請をしても負担はもっぱら経営基盤の弱い

       小零細企業にしわ寄せされ、休業は徹底しにくい。休業要請は所得補償とセット

       で果敢に実施すべき。

      ・これらの反省に立ち、シナリオBでは政策の迅速な決定と果敢な実行を基本とする

 

      2)感染症対策を立案し実施する本部設置

      ・日本の感染症対策は、対策を立案し実行する体制が一元化されておらず、

        決定と実行のプロセスの権限が不明確で、対応が遅れがち、また不徹底。

       ・韓国:「疾病管理本部」省庁級で常設、

        台湾:中央感染症指揮センターが臨時政府のような強大な権限を掌握。

        アメリカ:US厚生省傘下の疾病対策センター(CDC)も強い権限。

       ・日本の感染症対策の専門最高機関は「国立感染症研究所」だが、この機能を

        生かし、単に厚生労働省の焼け太りにならないよう留意して、対策策定と実行

        の権限をもつ強力な機関を設立すべきではないか。

      

       ・参考

          日本の感染症対策はこれまで厚労省下の国立感染症研究所が主に担ってきた。

          感染研の業務の中心は研究で、知見は示すが、対策の策定や実行権限はない。

          今回、CV対応で、臨時組織を次々と立ち上げて対応。1月末に政府対策本部を設置

          した時は根拠法もなし。2月に同本部に専門家会議を設置、感染研の所長を座長に。

          法的根拠ができたのは3.26. 改正特措法成立を受け同法にもとづく対策本部とした。

          緊急事態宣言の是非を評価する諮問委員会もつくった。  

          感染研は、予算と人員、法の制約あり。平時は機能しても今回のような”戦時”では

          十分に対策をとるのは困難。

  

     3)旧習に囚われない徹底的な感染検査と国民の状況把握

      ・日本の伝統的感染抑制法は伝統的に感染経路からクラスターを究明し、その拡大

        を防ぐ方法で感染規模が比較的小さい場合は良く機能するが、コロナウィルス

        感染のように大規模になると機能しにくい。

       ・感染検査を多くの国民に徹底して第二波、第三波に備えることが必要。その

        ためにはこれまでのように検査は公的検査機関だけでなく広く地方自治体、医

        師会、大学、民間企業も総動員し、新技術も大いに取り入れて国民全員の状況

        把握をめざす。

 

     4)緊急経済対策:必要な対象に重点的効果的支援

      ・緊急経済対策は、感染抑制策によって休業が要請されその間、事業所得を失う

        多くの小零細事業者の機会所得の補償と、同時に所得が急減もしくは失業する

        労働者の喪失所得を補填する所得補償が主眼なので、一律給付でなく最も支援

        を必要とする事業者や勤労者への重点支援が基本。

       ・シナリオAでは重点給付の実行には実務的困難があったので、一律給付と

        なった。

       ・もっとも支援を必要とする事業や労働者に重点給付をするにはせっかく作っ

        た「マイナンバー制度」に就労、所得、資産状況など個人情報を接続して

        活用すれば迅速・効率的に重点的給付は可能になる。

 

      5)コロナ後の新しい経済システム構想とその実現

       ・コロナパンデミックは日本はもとより世界中の経済や社会に大きな衝撃と変化

        の契機を与えている。

       ・世界諸国はこれまで自粛と規制の解除を模索しはじめているが、それ感染の

        再発を誘引しないとは限らない。また、ワクチンの開発・普及などによって

        今のコロナ禍が克服されたとしても新たなウィルスパンデックがまた襲来しない

        とは限らない。専門家会議副座長の尾美茂氏の言葉を借りればコロナとは”長

        丁場”の付き合いと覚悟する必要がある。

 

       ・専門家会議はそのために「新たな生活様式」を提案したが、本質的な課題は、

        ウィルス感染の流行に負けない新たな経済社会システムづくりだ。人々の

        接触や移動なしに持続し発展できる経済システムを構想し実現することだ。

 

       ・その大きな手がかりは”情報と通信”の活用にある。今回のコロナ禍で、私たち

        はリモートオフィス、ネット教育、画像の活用などを経験した。今求められる

        のは、その経験を生かして日本中の組織や家庭に高度な通信環境を整備し、産

        業、教育、医療、娯楽、アートなどが人々の接触と移動なしにこれまで以上に

        実現できる経済社会システムを構想することだ。

 

       ・準備し実装する戦略を、政府は感染症の専門家だけでなく内外の英知を

        結集して描き出し、国民に良く説明して理解を共有して、夢のあるV字型

        回復像を提示する。

        

 ーシナリオBでは以上のような日本の抜本改革後の対応のしかたを前提として以下の

    シミュレーションをする。

  ・シミュレーションの時間視野はシナリオAと同じ2020年ならびに2021年。

 

   (1)直接コスト:緊急対策:医療基盤整備、休業補償、急減所得補償など:53.0兆円

      ・その内容は:医療基盤の整備・充実              10.0兆円

             休業補償                    19.0兆円  

              参考:広義のサービス業の年間事業所得は134.9兆円(上記)

                 そのうち、とくに宿泊・飲食、生活・娯楽関連などの

                 事業所得は年間約57兆円、その4ヶ月分19兆円

             航空・交通                    4.0兆円

              航空・交通年間収入は約20兆円その8割の4ヶ月分 4兆円

             所得急減家計の所得4ヶ月分           20.0兆 

           

    (2)間接コスト:緊急事態宣言下で要請される多様なサービス業の休業と国民の外出

        自粛による経済活動の休止もしくは低下は、経済の複雑な連関構造のなかで

        多様なチャネルをつうじて経済の産出と消費を縮小する。この削減効果による

        総合コストはGDPに反映する。

 

      ー参考:熊野英生、第一生命経済研究所主席エコノミストは、緊急事態宣言の

       5.31までの延長で、実質GDPが23.1兆円押し下げられると試算。5.6.までの

       1ヶ月の押し下げ効果はすでに21.9兆円に達し、合計の減少額は45兆円。

       年間GDPの8.4%に相当。

 

      ー参考:中島精也(丹羽連絡事務所主席エコノミスト)は、現在の未曾有のCV経済

       危機にたいしては敢えて迅速かつ巨額の財政支出でウィルス感染を収束させ、その

       後のV字型回復を実現すべきとし、そのためには新たにコロナ基金を創設、100

       兆円の特別国債を日銀に引き受けてもらい、うすくひろいコロナ復興債で50年

       かけて返済すればよい、と提案している「眼光紙背」(2020.5.1日経産業新聞)

   

    3)GDPの変動

     ・シナリオBでは、迅速・大型の政策対応で、CVの感染拡大を2020年秋には収束。

      2021年に向けてコロナ後の新しい経済システムづくりの準備と実装に着手。

     ・GDP変動は2020、4~6月期がどん底で年率ー30%以上の落ち込みもあり得るが、

      2020年中の感染収束を視野に、経済活動は回復。2021年には回復が加速してV字型 

      回復が実現

     ・GDP変動は2020.4~6月以降年率ー20%、2021年は前年の大きなマイナスを反映

     (反動増を含む)通年平均15%。

 

 3. 感染抑制策と政策対応の経済効果の総合評価

 

  ーシナリオAは、逐次・小出しの政策対応の結果、直接の経済コストは20.5兆円(2020.4.7

   緊急経済対策の財政コストのみ勘案)だが、ウィルス感染を早期に収束できないために

   GDP成長率は2020 ー15.0%、2021年もー10.0%となった。

 

  ーシナリオBでは、休業補償など大型対策を早期に徹底的に実施した結果、直接コストは

   53.0兆円と多額にのぼり、その結果もあってGDP成長率は2020年ー20%だったが、

   2021年には感染収束と未来志向の経済戦略の効果もあってGDP成長率は+15%と

   V字型回復を達成。

 

  ーGDPを総額580兆円前後と想定すると、2020と2021年の2年間で、シナリオBはシナリオA

   にくらべ58兆円ほど多くなる。小出し逐次対応の政策は短期には経済コストが節約される

   ように見えるが、2年間では、早期に大型対策を徹底的に執行する方がV字型回復の効果

   で経済コスト総額は少なくて済む。

  ーそして何よりも重要なことは、小出し逐次政策で感染を早期に収束できなかった場合、

   中小零細企業などの経済基盤が劣化し経済全体の活力低下の後遺症が残ることである。

 

 

 Ⅵ.    日本型モデルは有効か

  ー日本型モデル:国民の理解、自覚、行動に期待?

  ・世界の主要なモデルには、中国モデル、欧州モデル、アメリカモデル、アジアモデルなどが

   あるが、日本はそれらいずれとも異なる日本モデルともいうべき特徴がある。

 

  ・中国は共産党独裁の体制下、国家権力がしばしば私権を超越して徹底的な都市封鎖や外出

   禁止を強制し、また高度に浸透した情報化を活用して感染経路を究明し、感染拡大を短期

   で収束させた。  

  ・欧州諸国は都市封鎖や外出禁止をしたが、イタリーのように悲惨な医療崩壊もあり、人口

   の割には大規模な感染爆発の犠牲を払って、ようやく規制解除に踏み出している。

  ・アメリカは技術も資源も豊富な先進国だが指導者の失政で世界最悪の被害を被っている。

  ・韓国、シンガポール、台湾などはSARSなどの被害を教訓に感染抑制体制を高度に整備。

 

  ・日本は、伝統的な感染対策で当初は拡大を抑制してきたが、感染拡大の加速の直面して、

   都市封鎖や外出規制も休業補償もせず、人々の理解と自粛と自主的な行動変化に期待して

   感染抑制をはかろうとする独特なモデル。

 

 ー日本型モデルを支える政策支援の強化

  ・日本型モデルは、強制も罰則もなく人々の理解と自粛に期待するやり方。

  ・感染規模が少ない段階では伝統的な感染抑制策は機能したが、全国で1.5万人を超える

   規模になると伝統的な感染抑制策は限界。大規模な感染検査で国民全体の状況を把握

   する抜本的な対策とシステムの改革が必要。

  ・また休業要請は十分な補償があってはじめて徹底できる。”戦時”財政措置が必要。

  ・感染抑制体制の抜本改革と有事財政の支援があってはじめて日本型モデルの機能

   は裏付けされる。

 

  ー政策なき日本型モデルは”精神論”の罠に陥る危険

  ・上記のようは強力な政策支援があれば、国民の理解と協力に依存する日本型モデル

   は機能して、世界の貴重なモデルになる可能性がある。

  ・必要な政策支援を欠く日本型モデルは、精神論的な希望にとどまり感染の再来を防げず、

   経済は衰退するおそれがある。

 

以上

CV感染と政策対応: 日本の経験:日本型モデルは成功するか?(3)

5. 緊急事態宣言と緊急経済対策の陥弊

 

   ー意思決定の遅れと時機喪失

   ・3.13の特措法の成立後、新規感染者の増加ペースが東京をはじめ各地で高まり出し、

    危機感が強まる中でも政府は地方自治体の首長に権限を付与する緊急事態宣言になか

    なか踏み切らず、宣言発出は4週間後の4.7。この間、貴重な時間が空費されて時機を

    失した。

   ・安倍首相が緊急経済対策の策定を指示したのは3.17。ところが、公式に発表されたのは

    4.7.その後、所得急減家計への給付金が、国民一律10万円に変更される補正予算の改定

    があり、実施は5月にずれ込んだ。この変更がなくても財政規定と財政法の定める手続き

    で2ヶ月はかかる。実現に2ヶ月もかかる対策は緊急対策とはいえない。

   ・緊急事態宣言と休業要請は同時にすべきだった。宣言にもとづく外出自粛要請は休業

    要請と同時でなければ効果がない。休業要請を宣言から2週間ほど様子を見てからという

    発想は信じがたい。

   ・緊急事態宣言は本来全国に向けて発令すべきだった。迅速に最大の対策を打つのが

    危機管理の鉄則で、政府の緊急事態宣言の逐次発令はその真逆だった。

 

   ー曖昧な内容と自己矛盾

   ・4.7に発表された緊急経済対策は、総額108兆円のうち、医療支援はわずか1.8兆円、

    中小企業の資金繰りと給付が5.1兆円、減収家計給付が4兆円、その他大部分はV字型

    回復に伴う民間資金も含む事業費や税・社会保険料の支払猶予などで、とても本格的

    な緊急対策とは言い難い。また急ごしらえで各項目の内容も明確でない。

   ・休業要請をするのに、休業補償がないのは自己矛盾。サービス業の大半は小零細企業

    で、資金力が乏しい。その多くは資金繰りが1ヶ月もできなければ倒産する。本気で

    休業要請をするなら国と自治体が力を合わせて十分な休業補償をするかわりに徹底的

    な休業を要請するのが当然。

 

   ー逐次小出しの給付追加。

   ・中小企業向け「持続化給付金」売り上げ半減などの事業者対象。

     法人最大200万円、フリーランス含む個人事業主最大100万円

     予算規模2.3兆円(2020補正予算)、2020.5.8.支給開始、申し込み殺到、底つく恐れ

    ・家賃補助:自民・公明、5.8.家賃支払い困難な中小事業者への支援策で合意。

      大幅減収事業者に家賃の2/3を国が助成。上限は中堅中小企業が月50万円

      家賃の財源は2兆円弱。第二次補正の根拠に。

     ・公明党は荻生田文科大臣に、大学生らに1人10万円給付を要請。対象は低所得世帯

      やアルバイト収入で生活を支える学生など50万人想定。

 

  6. 医療崩壊は防げるか

 

   ーはじまった医療崩壊

   ・感染者の増加ペースが高まるにつれて、「感染症法」(感染症の予防及感染症の患者に

    対する医療に関する法律、1999.4.1施行)の規定で、感染者は軽症であっても入院させ

    ねばならず、それでなくても病院は通常の多くの患者に対する医療提供で手一杯の状況

    であるため、医療の供給能力を超える”医療崩壊”現象がはじまっている。医師、看護師、

    コメディカルスタッフの能力の限界が多くの医療施設で指摘されている。

   ・日本医師会は4.1.「医療危機的状況宣言」を発出。

 

   ーベッド数は多くても医療サービスが不足

   ・日本の病院はベッド数そのものは多い。イタリーのようにベッド数不足で医療崩壊が

    起きる状況ではない。

   ・人口1000人あたりのベッド数は、たとえばドイツ8.2、フランス6.2、イギリス7.1、

    アメリカは少なく2.9であるのに対して、日本は13.2(OECD調査、2016)。

   ・足りないのは医師。ベッド100あたりの医師数は、ドイツ49.9、フランス53.8、

    イギリス102.4、アメリカ88.6にくらべ日本は17.9と極端に少ない。

   ・日本は1960に国民皆医療、皆保険制度を実現したが、それを本当に担う医療サービス

    の体力がなく、いたずらにベッド数を増やして入院日数を伸ばすなかでなんとか対応

    してきた経緯がある。

   ・「日本は地域医療構想見直しで、病床の機能区分で過剰を抑制する計画をつくる段階

    でまだ動いていなかったので、なんとかなった」(横倉義武 日本医師会会長)

   ・足りないのは病床ではなく、医師、看護師、医療スタッフなど人材。彼らの過酷な

    勤務状態が医療崩壊につながる。

 

   ー外電記者(Robin Harding)による欠陥指摘(FT 2020.5.7)

   ・コロナ感染疑いの患者、引受病院探すのに数時間、40km。

   ・多くの病院、設備・資材整わないのでとくにICUに感染患者引き受けに二の足。

   ・感染患者、退院まで二度陰性検査結果必要、1ヶ月の在院も。

   ・日本はベッド数は多いのにその活用は極めて非効率。事実上の医療崩壊現象。

 

   ー防護具、機材、薬剤の不足、過少な感染テスト

   ・院内感染が各所で起きているが、感染防護マスク、アイソレーションガウン、フェース

    シールドなどの器材や薬剤不足も一因。これらの大半は中国など海外に依存していた。

   ・PCRなどの感染テストが韓国やドイツなどにくらべて非常に少ない日本の状況の背景

    要因については上述。

   ・これらはいずれも克服できない問題ではない。

 

   ー医療崩壊を防ぐ方策

   ・以上を踏まえると、医療崩壊を防ぐ方策がみえてくる。

    1. 医療人材の強化。長期的には医療人材の育成を大規模に推進すべきだが、今は

      現有の人材が過度な労働強化にならないよう、配置、編成、労働環境を整備。

      また彼らに社会が感謝し、偏見、中傷などは厳につつしむことが肝要。

    2. 防護具、機材、薬剤など、これまでの輸入偏重を改め、国産化を強く推進。

    3. PCRテストは、ドライブスルーの促進、規制を撤廃し民間企業活用推進。

 

   ー感染のピークを低位に抑えることが最大の方策

   ・最大の対策は、イタリーやアメリカNYのような感染爆発を避けるため

    感染者増加のピークを低く押さえ続けること。爆発で感染者数が医療の

    能力を超えると、医療崩壊と爆発の悪循環が起きて制御不能になる。

 

  7. ゴールデンウィークを”Stay Home Week”に

 

   ー小池流アピール戦術

   ・流行語づくりの名手、小池都知事は5月のゴールデンウィークが爆発を未然に防ぐ正念場

    と位置付け、命を守る”Stay Home週間”と名付けた。このキャッチワードが全国の

    合言葉となり、4.25~26の週末は都市の盛り場や観光地で明らかに人出が減った。

    知事はスーパーでの買い物も3日に一度にするように、など細かい要請を重ねている。

   ・知事の強い呼びかけ以降、東京都では一時は200人を超えた1日の感染者増が2週間ほど

    100人前後で推移。感染者増加のペースがやや鈍化したことはたしか。 

     

   ー接触8割削減の呼びかけ

   ・感染者数の増加が加速し始めた4月以降、安倍首相はじめ感染対策関係者は人との接触

    を8割減らすよう繰りかえし訴えた。

   ・8割削減の根拠は政府専門家会議メンバーで感染者数の予測を数理モデルで解析している

    北海道大学の西浦博教授の計算した数字。8割減達成すれば、1ヶ月で収束。0.7だと

    2ヶ月。0.6だと収束しないという。西浦教授は巷では”8割オジサンの異名。”

 

   ー国民の理解と自粛に期待する日本型の実験

   ・日本が今やろうとしていることは、都市封鎖も罰則を伴う外出規制も強制休業

    もなしに、自粛と補償なし要請で人々の行動パターンを変え、感染爆発を防ごう

    という挑戦。欧米や中国とは異なる日本型の実験。 

   ・これまでのところ、感染者数、死亡者数とも国際的にははるかに少数で済んでおり、

    日本型の実験は注目に値する。

 

   ー”Stay Home Week” キャンペーン、一定の成果

   ・G Week 連休を含む外出自粛キャンペーンは、盛場、行楽地への人出は激減。

    航空乗客率、JR乗車率は9割減少、

   ・東京の新規感染者は図5に示されるように5月以降は100人以下の日がつづいて一定の

    成果が伺われる。

 

   ー「陽性率」の公表

   ・東京都は5月にはいって「陽性率」の毎日公表を開始した。陽性率は4月上旬には30%

    ほどあったが、5月以降は7%台まで低下の傾向。

   ・毎日の新規感染者数と陽性率を合わせて評価すると感染の動向と意味が良く判るとの

    判断。その背景には欧米諸国で、陽性率の高い国では死亡者が多く、低い国では

    低いという観察事実が見られているという事情がある。

   ・陽性率は、陽性感染者数が分子だが、分母はPCR検査者数なので、検査者が多ければ

    陽性率が下がるという問題があり、検査母数の異なる陽性率をそのまま評価すること

    には問題がある。

 

   ー緊急事態宣言延長

   ・2020.54. 安倍首相は、緊急事態宣言の5月末日までの延長を宣言。

   ・延長宣言に先立ち「専門家会議」の意見。人との接触を8割減らす目標達成不十分

    行動自粛を継続すべき。週日昼間の接触制限しきれず大都市では減少4~6割。

   ・ウィルスとの戦いは”長丁場”として”新しい生活様式”を提示。例:大皿で食べない。

    食事中は会話をしない。ヨガ教習所では動画を使って練習する、など。

 

   ー緊急事態39県解除

   ・5.14. 政府は「特定警戒地域(8都道府県)」以外の39県の緊急事態宣言を5/31

    の延長期限を待たずに解除

   ・西村経財再生省は、再感染の波のおそれは高いので、解除後も感染予防に注力するよう

    注意喚起。もし感染が増えれば再指定あると警戒要請

 

  ー東京:休業解除の7条件

   ・5.15. 東京は6月からの段階的解除を目指して、休業緩和の7条件を発表

         -1日の新規感染者数   20人未満(解除)50人以上(再要請)

         -感染経路不明率     50%未満(解除)50%以上(再要請)

         -週ごとの感染者の増減   減少     倍増

        その他、重症患者数、入院患者数、陽性率、受診相談窓口相談件数

 

 ー感染収束につながるか?

  ・このやり方で感染者の増加ペースが鈍化していけば、強制なしに最小コストで達成

   された成果で、それはそれなりの”成功”

  ・しかしそのやり方でコロナウィルス感染を最終的に収束できるのか、が問題。  

   日本型モデルに問われる最大の課題。

 

 図 5  日本と東京都におけるCOVID19の新規感染者数

 

 5  

     

 

  

   

 

 

 

     

 

CV感染と政策対応: 日本の経験:日本型モデルは成功するか?(2)

 

 Ⅲ.   日本のCV感染展開の経緯

 

  1. 初期(2020.1~3月中旬)の動向

   ー中国で新型肺炎のウィルス感染発生

   ・2019.12末、中国武漢市で新型コロナウィルス感染発生のニュース。感染が急激に拡大

    している模様。

   ・2020.1月末から2月にかけて春節中国観光客が日本に入国。日本各地で警戒。

   ・2020.1.16にはじめての日本国内感染者が確認された。

   ーDiamond Princes号の横浜帰港とウィルス感染の顛末

   ・イギリス船籍、アメリカクルージング会社所有のDiamond Princes号、

    1.20 横浜港出港 1.25 香港の男性が香港で下船 2.1.香港男性の感染確認

    2.3. 横浜港に帰港。再検疫開始 2.5.乗客・乗員10人感染確認、14日間個室待機要請

    2.6.クルーズ船「ウェステルダム」の入港拒否表明、2.12検疫官1人感染確認 2.13

    重症化しやすい高齢者らの順次下船表明 2.14. 80歳以上11人下船 2.16.米国人が

    下船(17に米チャーター機で出国) 2.17.全員の下船前検査のための検体採取完了

    2.19.乗客の下船開始

 

   ークルーズ客船事件の教訓

   ・日本人を多く含む3000人以上の乗客と乗員を合わせ700人以上が感染。2月まで日本国内

    感染より多い。船内に14日間(のちWHOの新基準で12.5日)留め置いたことは関係国

    政府は評価(河野太郎防衛相)したが、外国メディアからは生活状況などに批判集中。

   ・なお、2.7以降、船内感染は通常の国内感染とは別集計にすると表明。

 

       2. 厚労省クラスター対策班と全国保健所職員の活躍

   ークラスター確定による感染拡大の防止

   ・感染症流行への日本当局の対応は、クラスター(少人数の集中感染)を確認し、それが

    感染拡大につながらないように人海戦術で防御するもの。

   ・感染者が発見されると保健所の職員が、これまでの濃厚接触者についての聞き取りを

    行い、感染経路と他の人々への影響を詳細に調査。調査をつうじてクラスターが確認

    されるとクラスターに関わった人々の健康状態を調査・確認して感染が疑われる人々

    は隔離する。

   ・このような極度に労働集約的な方法によってクラスターの拡大を防ぎ、感染拡大を

    防止してきた。

 

   ー厚労省クラスター班と保健所職員の感染抑制努力は評価

   ・厚労省にはクラスター対策班があり、専門家と職員の混成チームで感染拡大を

    抑制もしくは防止するための戦略を研究、策定する。

   ・全国1700余の市町村には保健所が設置されており、保健所職員がクラスター追跡の

    現場実務を担う。彼らは感染者や濃厚接触者への聞き取りなど一件数時間もかけて

    情報を収集し、感染経路の確定に尽力する。

   ・全国保健所には数千人の職員が働いている。保健所のシステムは敗戦後、占領軍の指示

    で構築された。当時、日本は衛生状態が劣悪で、多くの疫病で年間数万人もの患者が

    死亡。保健所のしくみはアメリカでも試行されたが根付かなかったとされる。

   ・感染病対策で、全国の保健所職員が担う草の根作業の重要さは評価すべき。

 

  ークラスター追跡戦略の成果と限界

   ・今回のコロナウィルス感染でも、1月から3月21日(感染者1000人)まではクラスター

    追跡戦略が奏功して感染者の拡大を抑制してきたと言える。全国で感染者1000人以下

    の段階では、クラスターは一部のライブハウス、バー、病院などに限られており確認

    されていた。

   ・しかし3月22日に感染者が1051人になって以降は、感染は急速に拡大の兆し。

   ・新規感染者の急増のうち、感染経路の不明な感染者の割合が増え、6~7割になると

    クラスター追跡戦略は限界に直面。クラスターを追跡できない。クラスター戦略の効果

    がなくなる。

 

       3. 感染検査(PCRテスト)の少なさと遅さとその背景

   ー感染検査による隔離戦略

   ・クラスターを追跡・確定してそこからの感染の拡大を防ぐ方策が感染経路不明の

    感染者が増えたことで限界が見えてくると、PCRなどの感染検査によって感染者を

    確定して隔離することがより重要になる。

   ・より効果的に感染者を発見して隔離するためには、できるだけ多くの人々に感染検査を

    行い感染者を隔離することが感染拡大を防ぐためには効果的なはず。

 

  ー感染者を多く確定することが本来は合理的

   ・韓国や台湾では、そのために効果的にできるだけ多くの人々に感染検査をする戦略を

    採用している。韓国では現時点で約50万人にPCRテストを実施した。日本は13万人。

    韓国の人口は日本の約4割(5180万人)ほどなので、日本の人口に当てはめれば120万

    人、すなわち10倍の検査が行われたことになる。

   ・韓国や台湾の考え方は早期に感染者を確定して隔離して感染拡大を抑制するとともに、

    感染していない人々には仕事をしてもらうという合理的なもの。欧州でもドイツは同様

    な考えで感染検査を大規模に実施している。ちなみにドイツの検査は日本の17倍。

 

  ー日本のPCRテストが少ない理由

       ・PCR検査を受けるには、まず、保健所が運営する「帰国者・接触者相談センター」に電話。

      検査が必要と見込まれれば、PCR検査を担う「帰国者・接触者外来」を紹介してもらう。

     全国860ヶ所(東京都は77ヶ所)の「帰国者・接触者外来」の医師が検査の必要性を判断。

    ・感染確認されれば「感染症法(1999年4月1日施行)」の規定で無症状や軽症でも原則入

   院。ドイツは軽症なら自宅待機。

  ・厚労省は、検査の網を広げすぎると、誤判定も含め入院患者が急増して病院が機能不全に

   陥り医療崩壊につながると警戒。CV感染しても8割は軽症のまま回復。肺炎の症状が確認

   されない段階で多くが検査を求めると今の医療体制では現場が混乱し重症患者への治療に

   支障をきたすとの懸念。

 

  ー疫学調査の思想

  ・厚労省は感染検査を医療行為というより感染症拡大を抑える公衆衛生の「疫学調査」と位

   置付けた。公衆衛生を司る「感染症研究所」は自前で確立した検査法にこだわり、民間の

   キット使用などには消極的。したがって検査数がふえない。

  ・検査を受けるまでにも、37.5度以上の熱が4日間つづくなど多くの条件があり、検査を

   受けるには障害が多い。

  ・安倍首相は4月初め1日2000件ていどだった検査を1日8000件をめざすとしたが、進捗は

   鈍く4月末でも1日4~5000件ていど。

 

  ー官邸の要請にも厚労省マフィアが”専門知見”を盾に壁

  ・4月上旬、首相、PCR検査はなぜ増えない?

   厚労省は、37.5度4日以上などに絞り検査。各国が検査増やすなかで異質対応。

   理論的支柱は医師免許もつ医系技官。新設次官級ポスト医務技官には鈴木康裕。その独立

   性が動きを鈍くしている?

  ・重度の応じて区別するしくみをつくり検査数を増やす方向でなく、軽症社の入院が増え

   続ければ、重症患者に手が回らなくなる「医療崩壊」を懸念する従来の姿勢が先。

  ・「検査には誤判定もあるし、陽性でも8割は無症状や軽症」との見解による厚労省対応は

   海外から批判。米国大使館は罹患者の割合を正確に把握しがたいと米国民に帰国呼びかけ

 

  ーPCR検査はようやく医療保険対象に

  ・しかし、感染拡大が進む中、病院検査に慣れた”検査大国”の人々はPCR検査が少なく不満

   と不安が増大。厚労省も3月に入ってようやくPCR検査を公的医療保険の適用対象に。この

   結果、これまで各地の保健所が検査の適否を判断してきたが、今後は専門外来の医師が必

   要と判断すれば、保健所をとおさなくても検査可能に。検査数の増加が期待されるが、

   地方衛生研究所の検査能力の制約もありあまり増えないとの現場に見方。

 

  ードライブスルー検査ようやく始動

  ・ドライブスルー方式実施認める厚労省事務連絡。4.15. 名古屋市、新潟市先行。

  ・大都市では検査対象をひろげて感染者を隔離する対策が急務。DT方式認めるのが遅すぎ。

  ・東京都医師会、4.15.都内20箇所にPCR検査所を設置する方針発表

   医師会の協力で保健所の負担軽減し、PCR検査も増加の方向

 

        ーPCR検査の「相談・受診の目安」改定

  ・PCR検査は受けたい人が多いのに、厚労省が「受診の目安」を設けていたために、保健所

   などの現場ではそれを”基準”と受け止めて忠実に希望者の選別をしていたことが、検査数が

   ふえない一因との批判が高まっていた。

  ・たとえば「37.5度以上の発熱が4日間継続」という目安のために受診できずに自宅療養で

   死亡者が出た例があるなどの批判が寄せれられていた。

  ・厚労省には、軽症の人が多く受診を求めてくると保健所や医療機関が対応しきれず医療

   崩壊につながるとの懸念もあった模様。

  ・厚労省は200.5.7.ようやくこの体温数字を削除し、息苦しさや強いだるさで相談できると 

   した。

 

       ーPCR検査目詰まり深刻

  ・5月半ばの時点でPCR検査の現状は目詰まりなお深刻。

  ・PCR検査目標2万件(能力2.2万件)実際は多い日でも8000

  ・相談窓口となる保健所の業務は依然として逼迫

    保健所が運営する「帰国者・接触者相談センター」を経由せず、検査が受けられる

    PCRセンターは全国46ヶ所、予約制でかかりつけ医師の紹介が必要ケース多い。

  ・民間の医療機関などもっと多く検査する能力あっても、院内感染を遅れて踏み切れず?

    PCR臨床検査は精度管理、取り違え防止、個人情報保護など高い水準、自身も

    感染するリスク負う。

  ・医師が不要と判断すれば検査は受けられず。希望しても受けられると限らない。

  ・検体採取の場所も防護服などを備えた医療機関に限られる。

 

   4. 抗体検査とコロナパンデミック収束の可能性

  ー抗体検査への関心の高まり

  ・4月に入って欧米で抗体検査に関心が高まる。過去にウィルスに感染した人の体内には抗

   体ができている可能性があり、抗体があればそれが免疫細胞の増殖を促すので、ウィルス

   への抵抗力が高まり、再度の感染はしがたいという見方。

  ・抗体をもっている人は免疫力が高いので、外出や一定の就業も可能ではないかという考え

   が関心の根底にある。抗体保有者が多ければ、彼らが外出や就業をすることで、感染抑制

   策としての都市封鎖や外出禁止も緩和でき、経済回復に役立つという期待感。

  ー抗体検査の実験例

  ・抗体検査の実験例として、スタンフォード大学の研究チームがカリフォルニア州サンタ

   クララ・カウンティで3300人のボランティアに行った検査の結果が注目された。検査者

   の2.5~4.2%に抗体が確認。サンタクララ人口200万人に当てはめれば4.8万~8.1万。

   その時点で確認されている感染者の50~80倍。

  ・NY州のクオモ知事は4.23.市民3000人に対して行った抗体検査で13.9%の保持者を確認

   したと発表。NY州の人口1850万人に当てはめれば270万人が抗体保持者となる。同様の

   検査はロスアンゼルス、ドイツ、オランダ、イタリーでも実施され、日本でも東京と東北

   地方で500人ずつ検査が実施され結果は5月初にも発表される予定。

 

  ーコロナウィルス感染の死亡率は低い?

  ・これらの抗体検査の結果は、これまでのPCR検査による感染者の死亡率に対して新たな

   視点を提供する。これまでは新型コロナウィルスによる死亡率は5~6%と高いと考えられ

   てきた。例えばアメリカの感染者は4月末で94万人、志望者は5.4万人。死亡率は5.7%。

   しかし、母数をアメリカ人口3.3億人の14%とすれば4620万人、死亡者5.4万人はその

   0.12%と極めて低くなる。

 

  ー抗体検査の信頼性?

  ・ただ、抗体が新型ウィルスへの抗体なのかどうかが不明など専門家の間でも疑問の声も

   あり、WHOも抗体検査の信頼性には疑問を呈している。ドイツでは抗体保有者に「免疫

   パスポート」を発行する案もあるが、新型コロナウィルスへの抵抗力が必ずしもない感染

   経験者が出歩くことが感染をさらに拡大する可能性も現状では否定できない。

 

  ー集団免疫と感染収束への潮目

  ・ウィルス感染が収束するかどうかの潮目は、人口の約6割が感染経験者になるかどうか

   とされる。そこまでいわゆる「集団感染」が増えれば、その大部分は抗体を保持している

   と考えられるから「集団免疫」が増え、感染の拡大はその潮目を過ぎれば収束するという

   考え。

  ・アメリカを例にとれば、それには約2億人が感染するのを待たねばならない。NY州の実験

   から推定される抗体保持者4600万人のまだ4倍以上が感染する必要があるという気の遠く

   なるような話である。

 

5. Social distancing(人々の接触禁止)をいつまで続けられるか

   ー実効再生産数と感染の収束

   ・一方、一人の感染者が何人に感染をひろめるかについて「実効再生産数」という指標

    がある。最近までそれは1.7くらい、すなわち一人の感染者が1.7人に対して感染をひろ

    げる傾向があるとされてきた。

   ・この数字が1を下回れば、感染は次第に縮小していく。いいかえれば、ワクチンがなくて

    も、感染を収束させることができる。

  

   ーSocial distancingは有効だが経済には劇薬

   ・実効再生産数を引き下げるには、人から人への感染の確立を下げる必要がある。すな

    わち、人の接触確率を減らず必要。そのためにはsocial distancing(社会的距離)を厳格

    に守ることが必要。

   ・しかし、人間社会は本質的に人々の交流で構築され発展してきた。人々の接触を禁ずれ

    ば、社会機能は停止し、経済は崩壊するおそれがある。

 

  ーSocial distancingは短期勝負

   ・Social distancingは有効なワクチンが存在しない段階では、ほとんど唯一の感染抑制法

   ・しかし、これは経済の息の根をとめかねない劇薬。劇薬の投与は短期に限るべき。

    短期の勝負は迅速、短期かつ徹底的がのぞましい。短期の投与は感染を抑制して、

    経済機能を維持させる可能性がる。

   ・不徹底に長期につづけると感染は収束せず、経済機能は長期的に衰退する危険が高い。

 

  ー短期に感染を抑制しても感染を克服できる保証はない

  ・短期に感染が抑制されても、徹底的なSocial distancingをいつまでも続けることは  

   できない。やがて感染第二、第三派が高まる可能性もあり、また変異したウィルス

   の新たな襲来もありうる。新型コロナウィルスは変異の可能性が高い。

  ・それでも当面はSocial distancingを徹底するほか方法はない。

 

  ー「実効再生産数」の削減と感染収束

   ・「実効再生産数」(1人の感染者が何人に感染させたかを示す)日本では3.21.~3.30

    の確定データで1.7。その時点で数万人の感染者がでていたドイツ2.5を下回っていた

    が。4月にはいって感染増がつづき、ドイツを上回った可能性。この指標が増え続ける

    と感染爆発になる可能性が高い。

   ・この数字は世界では多くの研究者が競って推計しており、データに即して更新がつづく

    が、日本では北海道大学の西浦博教授に負担が集中しており、4.1.以降更新されていない

   ・この数字が1.0以下で持続すると感染は収束に向かう。再生産数を下げる唯一の方法

    は人との接触を減らすこと。Social  distancingを徹底するしかない。

   ・その後、実効再生産数の更新値が発表された。それによると: 

     全国では 3.25で2.0、4.10で1.0、東京では3.2で2.6、4.10で0.5.

 

  ーワクチン開発への期待

  ・強力で効能高いワクチンが開発され。多くの人々に普及すればコロナ感染を克服する

   可能性が高まる。

  ・現在、世界各国の研究機関等でワクチン開発の懸命な努力が行われているが、

   ワクチンの開発には、検体の確保、検査分析、試薬の製造、投薬試験、治験など  

   のプロセスに早くても数年の時間がかかる。今回の場合、特例で過程を短縮しても

   1~2年はかかるとされる。

  ・この問題は本稿のテーマの外にあり、別の機会に詳論したい。。

 

 6. 2020.3.下旬から東京はじめ新規感染者増加が加速

     ー小池都知事危機感あらわ

   ・3月下旬になって東京都の感染者増加がにわかに加速しはじめた。3月23日から25日

    の3日間で新規感染者が74人増え、東京都だけで210人になった。日本全体ではまだ

    1100人ほどだったので、東京の急増が目立った。

   ・都知事は25日、都庁で緊急記者会見。「感染爆発になるかどうかの重大局面だ」

    3月21~23は花見シーズン最中の三連休。自粛要請の中でも人出が多く気のゆるみ?

   ・東京の3月下旬の感染者増のうごきは1ヶ月前のNYに酷似していた。NYはその後、急速

    に感染爆発が起きたので、知事はじめ東京都関係者には危機感が募った。

 

 

Ⅳ.   政策対応と問題点

 

  1. 学校休校と特措法

 

   ー学校休校要請

   ・政府も新規感染者増加の傾向を警戒。安倍首相は2.27突然、新型ウィルス感染症

    対策本部で、全国の小中高、特別支援学校に臨時休校要請する考え表明。3.2.か

    ら春休みまでの期間。

   ・荻生田文科相は、全国の学校を一斉休校させる環境整備を憂慮したが、首相は決断。

    クルーズ船対応まで前面に居た菅官房長官に代わって、今井首相補佐官(経産相出身)

    と北村国家安保局長が首相のブレーンとなったとの観測がもっぱら。

 

   ー中国・韓国からの入国制限

   ・3.5.北村氏はそれまでの湖北省からの入国制限を拡大し、中国韓国からの入国者を2週間

    待機させ、ビザ効力も停止する措置を実施する主導的役割。

    

   ー改正特措法成立

   ・3.13.インフルエンザ対策特措法の対象に新型コロナ感染症を追加する改正法が成立。

    感染が急速に拡大した場合、首相は「緊急事態宣言」発令可能。知事は宣言を受け、

    法律にもとづいた外出自粛要請や学校などの使用制限要請・指示ができることになる。

 

  2. 緊急事態宣言

 

   ー緊急事態宣言発令

   ・安倍首相は4.7.夕方、7都道府県にたいし緊急事態宣言を発令した。

   ・小池東京都知事は3月25日以降の新規感染者数のうなぎ登りの増加傾向に危機感を

    募らせており、知事に外出自粛、商業娯楽施設などの休業要請、医療施設整備の

    ための建物・土地収容などについて法的権限を付与する緊急事態宣言の1日も早い発令

    を待ち望んでいたが、安倍首相は発令を逡巡し、3週間近くも貴重な時間を浪費した。

   ・首相はようやく4.5に宣言の検討を専門家と対策会議に諮問し、4.7.18時の発令となった

    が、首相の意思決定の遅さに国民の不満と不評が高まった。

 

   ー緊急事態宣言は無内容?

   ・安倍首相は”命を守る緊急事態宣言”と自画自賛したが、欧米、アジアなどの海外

    メディアは一斉にその中身を批判した。

   ・批判の焦点は、lockdown(都市封鎖)なし、交通規なし、外出は自粛を要請するのみで

     罰則なし、生活必需品の販売と購買は自由というような宣言で果たしてsocial 

               distancingによって感染抑制の実効があがるのか?に向けられていた。

 

   3. 休業要請をめぐる東京都と国のバトル

 

   ー緊急事態宣言を想定した東京都の実行案

    ・安倍政権の緊急事態宣言発令があまりに遅れるのに危機感を抱いた小池都知事率いる

     東京都の対策本部は、国の緊急事態宣言が発令されたとの想定の下に、東京都として

     の実行案を策定していた。

    ・その骨子は、人々への外出自粛要請に照応して、外出する人々が向かう先の商業や

     娯楽施設、不急の生活サービス、大学など公共施設などに広く網をかけ、人々が集

     まる場所に休業を要請し、外出自粛を徹底させようというもの。

    ・バー、ライブハウス、居酒屋など、生活必需品を売るスーパーなど以外の百貨店や

     ホームセンターなどの商業施設、ほとんど全ての娯楽施設、スポーツ施設やジム、

     医療施設以外の美容、理容など生活サービス、大学・保育園など教育施設、など

     広範に及ぶ。この実行案を4.7の安倍首相の緊急事態宣言と同時に発表すると予定。

    ・都側は感染爆発が秒読みと切迫感を強めており、小池都知事は「危機管理の要諦は

     最初に大きく構えること」と主張していた。

 

   ー国の反発と抑制策

   ・都は宣言発令前の6日、休業リスト素案を国にしめし、発令直後から実施しようとした。

    国は特措法45条の施行令に規定される施設以外を含むことを問題視。居酒屋と理髪店。

   「それらを対象にしたら訴訟リスクを抱えるのは都知事ですよ」と警告。

    国はリストに含むより午後8時の閉店をお願いすれば、休業要請でないので法律は

    クリアできると代案を提示。都は時間短縮の代わりに居酒屋など営業継続を受け入れ。

 

   ー2週間も待てない

   ・国は緊急事態宣言発令後、2週間ほど外出自粛要請の効果を見極め、45条にもとづく

    休業要請を出すか検討する方針だった。

   ・これに小池氏は「2週間も待てない」と反発。都が想定していたのは、特措法24条に

    もとづく知事の権限にもとづく要請だった。

   ・国は、20条の「国が各都道府県の措置を総合調整できる」との規定を盾にとって

    「政府対策本部長(首相)は知事が実施する対策について総合調整ができる(菅長官」

    と主張。

   ・小池知事は「権限はもともと社長かなとおもっていたら天の声がいろいろと聞こえ

    中間管理職になった感じ」と憤慨した。

   ・総合調整の及ぶ権限の範囲や強さに具体的基準がない曖昧さがそもそも問題。

 

   ー他の自治体の対応と国・都の合意

   ・小池知事は7府県の同調を期待したが、神奈川県の黒岩知事は東京のように休業補償の

    財源がないとして休業要請に二の足を踏み、他の府県は様子見を決め込んだ。

   ・東京都は、独自の財源から休業事業者には最大50万円の「協力金」を検討。

   ・4.9.午後8時から1時間、小池都知事は西村康稔財政・再生相と会談。折衷案で合意。

    宣言発令から貴重な72時間が浪費されたことになる。

 

   ー緊急事態宣言の全国適用

   ・緊急事態宣言発令後、名古屋、京都をはじめ多くの自治体から緊急事態宣言の適用を

    望む声が上がった。宣言にもとづく休業要請のない自治体に、東京など宣言を受けた

    自治体から人々が参入してきて感染リスクが高まるという懸念。

   ・4.17、安倍首相は緊急事態宣言を全国に拡大し、とくに13都道府県を「特定警戒」

    地域に指定した。

 

  4. 緊急経済対策の内容と問題点

 

  ー緊急経済対策の内容と問題点

  ・緊急事態宣言と同時に発表された緊急経済対策の骨子は以下。

 

     事業総額総計 108.2兆円

     財政支出 39.5兆円

       アビガン確保やマスク配布、自治体交付金       1.8兆円

       中小企業資金繰り対策                3.8

       中小企業などへの給付金               2.3

       減収家計への給付金                 4.0

       (これは補正再決定で当初の3倍の           8.9兆円)

   

       財政投融資                    約10兆円

         日本政策金融公庫の危機対応融資や特別融資 9.3.   

         日本政策投資銀行の大企業向け出資ファンド 0.2

       19年度補正予算の未執行分          9.8

 

      経済対策にともなって支出される民間資金など   42兆円

      企業の税や社会保険料の支払い猶予        26兆円

     

   ・108兆円というGDPの2割に及ぶ超大規模対策だが、おそらく安倍首相の側近主導に

    よる急ごしらえの対策と思われ、中身には多くの問題。

   ・国民の関心事でもあり、経済政策としても重要な「減収家計への給付金」には

    4兆円計上されているが、これをどの階層にどのように給付するのか不明。これ 

    は項をあらためて検討。

 

   ・休業補償の予算が計上されていない。安倍首相はじめ政権幹部は休業補償は産業・

    企業によって事情が異なり「不公平」になるから、それよりも国民への現金給付

    をする、と説明しているが、なぜ不公平なのか不明。本来、要請されて休業する

    事業者の事業継続を支援する休業補償こそが”公平”であり、経済活動を維持する

    ために不可欠なのではないか。

 

   ・緊急経済対策は医療対策や中小企業の経営支援など緊急性の高い政策とコロナ

    克服後の経済のV字型回復を支援する対策の両面構成とされているが、なぜ”緊急”

    経済対策に将来のV字型回復への支出が計上されるのか、意味不明。それは緊急

    事態の克服が見えてきてからにすべきでは。また、V字型回復支援関連で民間

    資金が42兆円など対策規模の見かけ上の”嵩上げ”が行われているのはわかり難くて

    問題。

 

  ー減収事業や家計への給付はどう実施?

   ・総額4兆円の国民給付の内容は以下のように発表された。

 

      ・中小・個人事業主向け給付は売上半減が条件

        中堅・中小企業  最大 200万円

        個人事業主    最大 100万円

         (個人業主にはフリーランスも含まれる)

 

      ・世帯が給付を受けられる基準は複雑(Fplanner助言による)

                 低所得世帯     収入急減世帯

        単身会社員    100万円以下    200万円以下

        3人家族

        (会社員、主婦、子供)205万円以下    410万円以下

        2人家族

       (会社員、子一人)  155万円以下    310万円以下

 

     ・この対策は対象の選別や給付の額についての考え方の基準が不明で

      極めて判り難い。これは給付を期待する多くの人々の不満を呼び、

      下記の”ドタバタ劇”の原因となった。

 

     ・また、これを実行することはおそらく技術的にも極めて困難と想像される。

      例えば、売り上げが急減する事業主や、所得が急減する世帯などに対し、自主申告

      に基づいて給付するとしているが、給付が妥当との判断の根拠となる申告データ

      の信憑性をどう確認するのか。多くの虚偽申告をどう識別するのか。

 

     ・マイナンバーの普及と銀行口座との連結が達成されていない中での給付の判断と

      執行は事実上困難もしくは莫大な時間がかかって実効性がない。

 

   ー原案とり下げと一律10万円給付へのドタバタ劇

    ・緊急経済対策は4月半ばに「補正予算」として確定し、実施にはいる予定だったが

     「減収事業家や家計への給付」が判り難いとの批判が多く寄せられ、与党自民党内

     からもまた公明党からも強い批判と一律給付への要望があり、急遽、当初案を 

     とり下げ、国民全員に一律10万円給付とする変更(ドタバタ劇)があった。

    ・発端は4.14.二階発言、一律10万円を求める切実な声がある。できることは速やかに

     実行を。

    ・公明党山口那津男代表、我が意を得たりと急遽決まった15日首相面会で強硬主張。

     もともと公明党は、立憲民主と同様、3月末に一律10万円案を提案していた。

    ・30万円の政府案発表後、支持者から1.5万通のクレーム、「内閣の評判悪い、危機的

     状況だ」首相は「補正を成立させた上で方向性をもってよく検討」と応じた。

    ・しかし、山口氏は16朝も電話で食い下がった。できねば野党案に同調もと脅し。

 

    ・首相は折れた。麻生太郎氏(リーマン1.2万円の定額給付金で効果なしの体験)は

     疑問を呈したが首相は麻生氏の懸念を押し切り岸田政務調査会長に10万円案を指示。

    ・閣議決定した補正予算の組み換えは異例(歴史上3回のみ)

 

   ー補正予算(緊急経済対策)の再決定(史上3度目)

   ・減収家計(約1300家計)への30万円給付=約4.4兆円を取り下げ、国民全員

     一律一人10万円とした結果、家計向け給付は8.9兆円。

    ・緊急経済対策総額は117.1兆円となった。

 

 

CV(コロナウィルス)感染と政策対応ー日本の経験:日本型モデルは成功するか?(1)

このエッセイは以下、4回にわたってブログに掲載しますので、よろしくご高覧戴ければ幸いです。

 

Ⅰ. はじめに

 

 ー日本、当初はゆるやかな感染増加 

 ・CV感染が世界で猛威をふるっている。

 ・日本は世界諸国の中では、感染がはじまった2月はじめから3月半ばまでは

  比較的ゆるやかな増加にとどまっていた。

 

 ー3月下旬から感染加速の兆し

 ・しかし、3月下旬から東京を中心に感染者の増加がにわかに加速する気配を見せ始めた。

 ・小池都知事をはじめ東京都の関係者は、この傾向がオーバーシュート(感染爆発)に

  発展するのではないかとの危機感を強め、人々に危機感を訴えるとともに、感染急増

  を抑えるために人々に外出の自粛要請と人々が集まる商業施設や娯楽施設などの休業

  要請を含む政策的対応を志向した。

 

 ー政府、緊急事態宣言発令、緊急経済対策発表

 ・感染拡大は他の府県でも加速しはじめたので、危機感はひろく共有されるように

  なり、こうした情勢をうけて、安倍政権も遅ればせながら、4月7日に、緊急事態

  宣言を発令し、同時に、緊急経済対策を発表した。

 ・緊急事態宣言は、地方自治体の首長に、人々に外出自粛を、また人々が集まる大規模

  イベントの中止や商業・娯楽施設の休業要請などに法的根拠を付与。

 

 ー強制も罰則も補償もない日本型対応

 ・緊急事態宣言発令をうけて東京をはじめ地方自治体は、人々に外出の自粛とレストランや

  商業施設に休業を要請した。

 ・他方、諸外国で実施しているようなlockdown(都市封鎖)や罰則を伴う外出規制はなく、

  交通機関は通常通り運行、生活必需品の買い物は規制なしという内容。

 ・日本のこうした緊急事態宣言の具体的内容を見て、欧州や韓国など諸外国のメディアから

  日本の緊急事態宣言は形ばかりで内容はなく、効果は挙がるのか、と多くの批判と疑問

  が寄せられた。

 ・また休業するレストランや商業施設などに対して国は休業補償をせず、東京都など若干の

  自治体が少額の協力金を支払うにとどまった。

 

 ー日本型モデルは機能するのか:シミュレーション分析

 ・これまでは検査も医療防具も最小ながら諸外国にくらべ感染の拡大は最小に留められて

  きた日本型のやり方が、これからも通用するのか、そして感染を収束させることが

  できるのか、最近の感染者数の急速な増大傾向をふまえると、予断は許さない。

 ・また、人々の接触を抑制する感染抑制策が経済にもたらす影響、とくに世界全体の経済

  が収縮する中で、日本経済にどのような影響が及ぶかも予断できない。

 ・感染拡大は収束するのか、また経済への影響はどうなるのか。この問題を、これまでの

  やり方の延長線上の(シナリオA)と、他方、迅速かつ抜本的な政策にもとづく展開という

  (シナリオB)を対比して整理し考えてみたい。

 

 ーこれまでの日本型(シナリオA)

 ・これまでの日本の政策対応は、逐次小出し政策だった。これは当面の経済コストは少ない

  かもしれないが、感染拡大を効果的に抑制できなければ、感染拡大は長期化し、また第二

  波、第三波の感染拡大があるかも知れない。

 ・その結果、長期にわたってサービス産業の衰退と産業基盤ならびに人的資本の劣化が進み、

  経済コストは長期的には莫大となる可能性がある。

 

 ー迅速・抜本的政策にもとづく日本型(シナリオB)

 ・感染拡大を一定目標期間内で極小に抑えるための迅速・抜本的政策対応によるシナリオ。

 ・目標期間内の実質的強制力ある休業要請と外出規制。休業するサービスや商業施設には

  休業期間の収入を補償。そのため就業機会を喪失もしくは所得の減る勤労者に適切な

  所得補償。

 ・これは短期的には大きな経済コストになる可能性があるが、その結果、感染の収束が早まり、

  産業基盤と人的資本の劣化が回避されれば、日本経済の衰退は防止され長期的には経済コス

  トは管理可能な範囲にとどまる。

 

 ー世界経済は全世界同時大不況を前提

 ・コロナパンデミックは全世界を覆い尽くしており、世界各国の感染拡大抑止対策は各国経済

  の縮小、国際交易の断絶などから当面、世界同時大不況(2020.4.IMFシナリオの3ないし4)

  に陥ることを想定。

 ・この状況下では日本経済が輸出で活路を見出す可能性は両シナリオとも考えられないことを

  前提とする。

 

 ー日本型モデルは有効か?

 ・日本型モデルは、都市封鎖、罰則、強制はなく、もっぱら国民の理解と自覚そして行動の

  自己抑制に依存する。それは世界でもユニークな対応モデル。

 ・そのモデルが有効になるためには、それを支える抜本的、強力そして迅速な政策支援が必要。

 ・そうした政策の支えのない日本型モデルは単なる精神論に陥り、結果的に日本経済を衰退

  させる。日本型モデルを成功させるには日本型の強力な政策の執行が不可欠。

 

Ⅱ. CV感染展開のパターン

 

  ー本稿の主眼はコロナパンデミックが世界を大混乱に巻き込む中で、”日本型モデル”もしくは

   日本型のやり方で、感染を収束させ、経済を復活させ、今後の経済発展につなげられるか

   を考えること。

  ・そのためには、まず、世界の諸国がコロナパンデミック問題にどのように取り組んできて

   いるのか、その中で日本の経験はこれまでのところどのように位置付けられるのかを

   展望することが、考察の準備として不可欠。

  ・その展望のうえで、日本の経験を詳細に振り返り、今後の展開について可能性や課題を

   考えることとしたい。

 

  1. 累積感染者数の推移のパターン:国際比較

 

   ー以下に、各国別累積感染者数の推移のパターンを対数表示と実数表示、そして

    それを各国人口数で割った100万人あたりの推移のパターンで見てみよう。

 

 図 1. 各国別累積感染者数の推移(対数表示)

1

 

 

 図 2.  各国別累積感染者数の推移(実数表示) 

2

 

 図 3.  各国別累積感染者数の推移(人口100万人当たり) 

3      

 

 図 4.  各国別累積死亡者数の推移(実数表示)    

4

 

   ーこれを通観すると、各国の経験がいくつかのグループに大別できるように思う。

 

  2 中国

   ー中国は世界で最初にCVの感染がはじまり、感染爆発が加速して急激に累積感染者数が

    増えて8万人にも達したが、新規感染者の増加は感染開始から1ヶ月ほどの間に急速に

    鈍化し、2月に入ると収束に向かう傾向が顕著になり3月からは、それまでの都市封鎖

    や外出厳禁などの規制が次第に解除され、4月には生産活動も再開された。中国は累積

    感染者数が8万人を超えているが図3で示されるとおり、人口比では感染者数は極めて

     少ない。また図4に見られるとおり死亡者数が少ないことも評価できる。

 

  3. 欧州:

   ー欧州としてはここではイタリー、ドイツ、スペインのパターンを見たい。

    欧州諸国はいずれも2月後半から感染爆発が起きたが、感染の進展のパターンはほぼ

            共通している。その中で、イタリーの死者が突出して多いこと、人口に比してスペイン

           の感染者数が多いこと、またドイツの死者数がすくないことが目立った相違。

 

   ーイタリーでまず2月後半から感染爆発が起き、中国の爆発と同様 パターンを辿ったが、

          中国のように早期に収束できず、感染の増加は継続し、4月の後半に至ってようやく新規感

          染者の増加に鈍化の傾向が見られるようになった。イタリーは人口が少ない割には感染者

          が21万人、死亡者が21万人という巨大な犠牲を払った。

 

   ースペインは感染者の増加が急激で、累積感染者は5月初頭で22万人とアメリカに次いで

         多い。図3に見られるようにスペインは人口が少ないので、人口比で見た感染比率は突出

         している。

 

  ードイツは感染者の増え方は他の欧州諸国と同様だが、傑出しているのは死亡者の少なさで

         ある。ここでは詳述できないが、優れた検査体制の先行実施など他国が学ぶべきところは

         多い。実際、ドイツは4月中旬以降はそれまでの厳格な規制の解除に動き出している。

 

 4. アメリカ:

  ーアメリカは人口も3.3億人を擁する大国だが、技術力も経済力も世界を最強の自他ともに

   認める最先進国である。そのアメリカの感染の増加は図2に明示されるようにダントツ

   世界最悪。5月初頭の時点で、累積感染者数123万人、累積死者数は7.4万人という事態は

   アメリカの内部に何か大きな問題があると推察される。

  ・コロナ感染がはじまった中国は人口が14億人とアメリカの4倍。しかも中国は人種も多様、

   複雑な構造をもつ国で経済には開発途上的部分が多い。それでも累積感染者は8.4万人。

   死者は4600人にとどまる。アメリカがいかに最悪な状況であるかは明白。

 

  ーアメリカには日本のような公的な国民皆保険や皆医療制度がなく、医療費が高いことが

   人種などによる感染格差を拡大するという構造的問題もあるが、それよりも最悪の問題は

   アメリカ国民が選んでしまったトランプ氏という大統領の存在だろう。

  ・トランプ氏は感染症問題には無知で関心もなく、感染がはじまった2月はじめから6週間と

   いう貴重な期間を空費したというのがもっぱらの評価。

  ・トランプ氏は専門家を尊重せず、立派な州知事などの行政を評価せず、11月の大統領選だけ

   が関心事で、早く経済活動を再開させるため根拠のない規制解除などを焦るので、規制が

   緩和されるとさらなる感染爆発が起きると憂慮されている。

 

  ーアメリカにはトランプ氏以外には優れた専門家、政治家、事業家はおり、また優れた制度

   や機関もあるが、トランプ氏が独裁的な専横をする中で、残念ながら今のアメリカは”世界

   の反面教師”としての価値しかない。

 

 5. アジア:

  ーアジアで参考とすべき国は韓国、シンガポール、そして図示はしていないが台湾、香港

   であろう。

 

  ー韓国はSARSやMERSで大きな被害を受けた経験を生かし、感染対策の国家機構を編成

   しなおし、中央の指令で迅速な対応ができる体制が整備されていた。

  ・韓国は何よりも感染検査を迅速かつ大量に実施することに重点を置き、早い段階から多く

   のPCR検査を実施した。ドライブスルー型の検査方式を開発したのは韓国の医師団。

   アメリカはこれをいち早く導入。

  ・韓国の感染対策の主眼は、できるだけ多くの国民に検査をつうじて感染状態を確認し、

   感染者は厳格隔離して感染を早期に抑制する。韓国の累積感染者数が図3が示すように

   3月上旬まで世界で3番目という多さになっていたのは、大量PCR検査の反映とも考えら

   れる。この対策が奏功したことは同図が示すように感染者が100人を超えてほぼ2週間後

   という早期に感染拡大が収束段階に入ってことに反映している。

  ・また韓国は非感染者にはあるていど経済活動を認めるという感染対策と経済対策の合理的

   なバランスを追求することも重視しており、4月中旬以降は経済活動は全面再開している。

 

  ーシンガポールはやはりSARSやMERSの手痛い経験をふまえて、海外から多くの入国者の

   ある空港などで厳格な健康審査体制を敷き、またIT技術で感染経路を割り出すアプリを

   開発、活用するなど感染をしばらく最小に抑制することに成功したが、入国者からの

   感染がその後、急増したので、入国禁止と厳格隔離の対応を強化している。

  ・台湾や香港も韓国、シンガポールと同様、SARSなどの経験から感染管理体制を整備して

   感染拡大を抑制していた。

  ・台湾はとくに新型コロナウィルスが人から人に伝染することを中国当局に先駆けて世界に

   発表。これがかえって中台間の緊張を高めたとされている。

 

 6. 日本

  ー日本の感染拡大のパターンは、1.2億人の人口を抱える人口大国としては感染者の数

   も少なく、その増え方も緩やかで、とくに図4に明らかなように死者数が少ない。

  ・その傾向は1月末の大型クルーズ船の大量感染を含めても3月上旬まで続き、日本の

   伝統的な感染抑制策が一定の効果を挙げたと評価できる。

  ・しかし、感染がはじまって2ヶ月後の3月下旬頃から東京を中心に新規感染者数が急増

   の傾向を見せはじめ、その数字が3月初のNYの感染推移に酷似していたことから感染

   爆発(overshoot)になるのではないかとの危機感が東京を中心に高まった。図1に

   示されるように、4月に入って日本全体の累積感染者数は韓国を上回った。

  ・日本では20204.7.に緊急事態宣言が発令され、人々に外出自粛と商業施設などに休業

   を要請するなど懸命に感染増加の抑制への人々の協力を求めているが、この日本型の

   対策が、これからの感染抑制と経済活動の維持にどのような効果をもつかが注目

   される。

  ・欧米のような感染爆発を経験することになるのか、韓国やアジア諸国のように早期に

   抑制に成功できるのか、日本型のモデルの行方は、日本のみならず世界のウィルス対策

   のモデルケースになるか、興味ある社会実験でもある。

 

躍進するIT産業:インドの可能性と課題(3)

2)ガンディー王朝 I  インディラ・ガンディー

   インディラは妻を亡くした父ネルーのために首相官邸で公式ホステス、またシャーストり

  内閣の情報・放送相。1966、48歳。数年前に夫フィーローズ・ガンディを亡くした未亡人。

  二人の息子の母。

 

   着任早々、重大な危機。大旱魃で食糧不足。ネルーの重工業への重点投資政策を中止。

  あらゆる手段で農業増産をはかった。総合農業計画:新種開発、化学肥料投入、大規模な

  灌漑整備。「緑の革命」と呼ばれた。農業改革は一時的成果。農業生産も工業も増産。

  国民所得も上昇。しかしモンスーン効果だった。いまひとつの問題:新たな社会格差拡大。

   成果は大規模農場中心。貧しい農民は置き去りだったが、なぜか1970年代、インディラは

   これら貧困農民を支持基盤に勢力ふるった。

 

    インディラの首相就任は派閥の妥協の産物だった。インディラは自分の信念を貫く決意。

  それは父親ゆずりの政教分離と社会主義思想。1967、決意をためす選挙を敢行。結果は

  会議派が過半数を20議席上回るだけ。会議派の旧来のボスはインディラに不信感を強め

  インディラをインド大統領候補に指名。インディラは拒否。党から除名。インディラは

  「会議派内インディラ党」と結成。勢力基盤強化に着手。まず国内大銀行を国有化して

  国民の人気取り。タミル系のドラヴィダ進歩同盟と共産党と連合して政権強化。

  ここから15年にわたるインディラ時代はじまる。

 

    インディラは、会議派の組織をつうじて行動するのでなく、直接、民衆に訴えかけ。

   この戦略は1971選挙で見事は勝利。1967選挙で失った議席取り戻す以上に352席という

   圧倒的議席を下院で獲得。社会主義路線継続。1971ソ連と同盟条約。アメリカとの友好

   関係に終止符。外交での最大の勝利は、パキスタンとの戦争に圧勝したこと。

 

    パキスタンの領土は1000マイル及ぶインドの領土によって東西に分断されていた。

   1960年代以降、パキスタンはこの分断による利害関係の調整に苦慮。71頃、西の

   パンジャーブ人に支配される東のベンガル人の不満が暴動として爆発。パキスタン軍が

   武力で弾圧。インドはベンガル人に味方。はじめは地下運動。1971.12.直接インド軍介入。

   パキスタンはインド側に10万人捕虜残して降伏。東ベンガルでのパキスタンの威信は地に

   落ち、バングラデシュという新しい国が誕生。パキスタン領土半減。インド優位が決定的。

 

    パキスタンに圧勝、1971選挙圧勝。インディラ支配体制が確立。インディラポピュリズム

   専制政治。「インディラがつねに正しい」政権は専制者にまといつく追従者の集団。

   農村に利益もたらす計画発表。しかし富農階層と対立する勇気なし。富農、富裕層の

   脱税横行。貧困層は置き去り。食糧不足深刻化。失業者増大。1974世界エネルギー危機が

   事態をさらに悪化させた。インフレ高騰。野党が一斉に反政府運動。

 

    インディラに決定的打撃。1975.6.12. 最高裁判所が1971選挙でのインディラの選挙  

   違反認め、選挙結果無効判決。インディラは辞職せず、相手に先制攻撃。1975.6.26.

  「非常事態宣言」市民権利停止、報道管制、反政府政党非合法化。インディラの過去のいか

   なる違反も問えない法制化

 

    次男のサンジャイ主導でスラム街の撤去。人口増抑制のため二人以上の子供もつ父親は

   断種。これらの政策で政権は二大支持基盤、ムスリムと貧困層を敵に。インディラは

   それに気づかず。1977.3.非常事態宣言を正当化するため突然議会を解散、総選挙。

   総選挙で敗退。政権失ったのは当然。国民党(ジャナター党)主導の野党295席。

   会議派154のみ。モラルジー・デサーイが首相。会議派以外ではじめての首相。

 

   しかしデサーイは党派間闘争で1977政権を追われた。後任はチャラン・シン、非バラ

  モンジャート系政治家としてはじめての首相。シンは1ヶ月で崩壊。国民党連立体制崩壊。

  1980.1.総選挙。インディラ奇跡の復活。会議派は下院の2/3議席確保。会議派は国民の間

  に依然、隠然たる浸透力と影響力。権力を握ったインディラは再び政治に私情。次男の

  サンジャイを後継者として教育。自分に忠誠を誓う部下を公認候補に。

 

   サンジャイが1980.6.曲乗飛行中に事故死。悲嘆にくれるインディラは長男のラジーウ

 (1944~91)に政界名門の引き継ぎを命ず。インディラは少数民族や宗派問題を材料に国民の

  気を引く。政教分離という会議派の伝統を放棄したことが彼女の命取りに。

  スィク教徒が自治州を要求していた。伝道者ビーンドラワーレの過激主義。スィク教の総

  本山を占拠してスィク教国家承認を要求。インディラは彼らの運動の壊滅のため軍と突入、

  数千人のスィク教徒殺害。

 

  1984.10.31.インディラが住居を出て執務室に向かう庭園。護衛兵のスィク教徒が彼女を

 銃で暗殺。即死。この暗殺は国民の怒りを買い、全国でスィク教徒への攻撃↑。デリー

 だけでも1000人が犠牲。警察も会議派の政治家も黙認。

 

3) ガンディー王朝 II (ラジーウ・ガンディー)

  ラジーウ・ガンディーはハンサムで愛想が良くミスタークリーンの異名。インド大衆は彼が

 首相になることを期待。母の遺産を生かして首相になるべく1984.12、彼は総選挙要請。

 会議派は圧勝。下院8割415席。全有権者の45%。ラジーウの妻ソニアは1946イタリア北東部

 ルジアーナに生まれ。カトリック教徒として育つ。ケンブリッジ留学時18歳、ラジーウ・ガン 

 ディーと出会い4年後結婚。

 

  ラジーウは、会議派の伝統に反し、インドを世界の資本主義に開放しようとし、そのために

 民間企業重視。彼のもっとも意味ある決断は1980年代にはすでに50年間世界経済から孤立し

 ていたインド経済の解放だった。ラジーウはコンピューターと資本の移動が未来を左右するこ

 とを敏感に察知。近代的な若手経営者と親交。彼らは異口同音に旧来の許認可制がインド経済

 の足かせと主張。ラージうはインド自由化をいくらか前進。

 

  スリランカでは、仏教徒のシンハラ人多数派とヒンドゥー教徒のタミル人少数派が

 対立。ラジーウはこの問題に不用意に介入して双方の不信と怒りを買った。1991.5. 

 タミル・ナードゥ州一帯で選挙活動をしていたラジーウにタミル人テロ集団のメンバーと

 思しき女が近づいて自爆。ラジーウとともの多数の聴衆を爆死。この時、ラジーウはすでに

 政権を去って下野していた。ソニアは夫の不幸でファーストレディーになった。

 

  暗殺後の総選挙は弔い合戦。会議派勝利。だが、党勢は低迷。ラディブ、ソニアにはラフル

 ブリアンカの子供。まだ小さい。1998、ソニア自身が会議派の総裁。だがソニア総裁就任に

 党内の理解得られず。ソニアは総裁でも首相や候補にならない道。青いターバン、経済学者

 のマンモハン・シンが大番頭として首相。シンはシーク教徒。

 

 4.  非同盟主義から対米傾斜

 

   ネルーは中国との関係重視、1954周恩来と「平和五原則」平和共存の蜜月時代あった。

  1955、バンドン会議。第一回アジアアフリカ会議。ネルー、周恩来、スカルノ、ナセル

  が注目浴び、植民地主義の終焉と新時代の到来を予感させた。

 

   しかし、中国のチベット進攻と、インドのダライラマ14世亡命受け入れなど関係悪化

  1962. 中国人民解放軍がインド北部、現アルナチャル・ブラデシュ州とカシミール周辺

  に侵攻。国境めぐる軍事紛争に発展。インドは敗北、両前線で中国は実効支配拡大。

 

   ネルーとインド国民はこれを「裏切り」と受け取り、大きな衝撃。それ以降、中国は

  インドの最大の仮想敵。対中感情はいまも悪い。1964に中国が核実験成功。インドも核武装

  に舵。インドの核武装はもともと対中国戦略。

 

   ネルーの死後も、外交・軍事両面で長く非同盟主義。兵器をおもにソ連から購入して

  いたインドは冷戦終結とソ連の崩壊以降、徐々に軸足をUSとの連携に移す。USも

  インド洋やペルシャ湾の海洋権益保護でインドの協力必要。1992から米印合同の海上演習

  マラバール実施。2006ブッシュ政権が米印原子力協定合意。USはインドを核兵器保有国と

  認め、制裁対象でなく、経済・軍事両面でパートナーとする方針に転換。インドも対米傾斜

  を強めて今日にいたっている。

 

  5. 社会主義・計画経済から開放・自由経済へ

   

    1991経済危機。インドの保有外貨が底とつき、債務不履行寸前。1991.2.予算を通せな

  い事態。国際信用↓。きっかけは湾岸戦争で石油価格上昇がインド経済直撃。中東に出稼ぎ

  に行ったインド人労働者からの本国送金も急激に細り、国内に混乱。この経済危機は外貨を

  稼ぐ力がないという構造的なもの。

 

    財務大臣マンモハン・シンは、大胆な改革実施。産業や貿易の許認可制度を撤廃。

  民間の参入を大幅に拡大する自由化政策で国を開放。社会主義を建前とする国が、市場と

  競争の原理を重視する政策に転換。関税引き下げ、海外からの企業進出しやすくした。

 

   シンは外貨不足を補う資金調達のためIMFと世界銀行から融資取り付け。その条件が

  「新経済政策」と呼ばれた「構造調整プログラム」。条件として閉鎖的経済を開放する

  ことが迫られた。政府は国民を飢えから救うために条件を呑んだ。

 

   それまで植民地支配によるトラウマから欧米の干渉を強く拒否、独立以来、外交でも

  非同盟の看板をかかげてきたインドが、頑なな姿勢から大きく転換、外の力を借りること

  に。自国の産業を守るために続けられてきた輸入制限政策が緩和。貿易や投資が大幅に

  自由化された。そしてIT産業も急成長に。

 

   シンの経済改革は、インドがそれまで国を閉ざしていた期間が長い分だけ、効果は大。

  シンの路線はその後も引き継がれ、自由化政策によって先進諸国からの投資がすすみ、

  経済は順調に発展。1991に0.9%だったGDP成長率は、90年代半ばに年率6~7%の高い

  成長率をつづけるようになる。

 

     

Ⅷ.   大国インドの課題

 1 大国の潜在力と大国の資質

  1)経済規模

         ・インドの人口は現在13億人。GDPは約2兆ドルで中国の約10兆ドルの1/5。しかし人口

    構成が若いので、人口ボーナスが得られれば、15年後には現在の中国と同規模の経済

    になると予測されている。

 

   ・インドの若い人口が経済成長を促進する”人口ボーナス”になるかどうかは、インドが

    これから6億人にもおよぶ低賃金の若い人口(その大半は農業部門での不完全就業者)を

    製造業や付加価値の高いサービス部門に吸収できるかが鍵を握る。

   ・M首相の「Make in India」戦略はそれを実現することを意図しているが、日本が戦後の

    高度成長を”太平洋メガロポリス”構想によって進めたことも参考にしている模様。

 

   ・現在の中国はPPPで測ればアメリカより5割も大きい。インドが将来、現在の中国に匹敵

    する経済大国になれば、世界的な影響力は今よりはるかに大きく、世界をリードする大

    国としての役割が期待されることになるだろう。

    

  2)国内問題・民族問題

   ・インドは巨大な国土と膨大な人口を持つが、国内の地域、民族、宗教、言語など

    は多様で、多くの複雑な問題をかかえている。

   ・これらは簡単に解決できる問題ではなく、インドはこれからもこれらの複雑な問題

     に直面しつづけるだろう。

 

  3)国際信頼とリーダーシップ

   ・インドが世界の大国にふさわしいリーダーシップを発揮できるかは、国際的

    な信頼をどれだけ得られるかにかかっている。 

   ・将来、世界の大国としてそれなりの役割を果たすためには、いまから信頼される国

    となるための努力を重ねる必要があるだろう。

 

 2. Secularismとヒンドゥー至上主義

  ー国際社会とりわけ西欧のインドについての懸念のひとつは宗教対立問題ではないか。

   インドには十以上の主要な宗教があり、数千もの宗派がある。多様な宗教のなかで、

   ヒンドゥー教とイスラム教の対立は歴史的にも現在でも深刻な問題。

 

  ー英国の植民地支配からインドの独立を果たしたネルー首相らの国民会議派はこの宗教

   対立を政治にもちこまない知恵としてSecularism(世俗主義)を建国の理念にかかげ  

   憲法にも明記した。

 

  ーところが、M首相は、ヒンドゥー至上主義を掲げるRSS(民族奉仕団)出身という背景

   もあり、首相になってからもますますヒンドゥー至上主義を強調している。

  ・最近の国籍法改正問題でも、近隣諸国からインドに移住したイスラム教徒への差別を

   より明確にしようとしてモズレム社会の反発を招いている。

  

 3. インドーパキスタン対立の内外への影響

 1)インドーパキスタン対立の重大さ

  ・ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教上の対立は、インドと隣国パキスタンの対立の  

   根源だが、両国はそれぞれ核保有国であり、たびたび武力紛争をしてきているだけに

   対立は地域問題にとどまらず世界平和に影響する。

 

 2)根深いインドーパキスタンの対立

  ・対立の根源、インド、パキスタンの建国の歴史。1947独立の際、インドとパキスタン

   が分離独立したため、インド地域のイスラム教徒とパキスタン地域のヒンドゥー教徒が

   相互に大量移動。その過程で大量な殺戮。

 

  ・国境付近では対立の根が集積。インドは内部に1.8億人のイスラム教徒、しかも増大。

   政治にそうした宗教対立を持ち込まない知恵としてネルー首相は憲法にSecularism(世俗

   主義)を明記し政教分離を国是とした。

  ・しかしモディ首相はヒンドゥー至上主義をかざしてはばからない。

 

  3)インドーパキスタン対立に核の影

  ・1998インド、パキスタンが核実験。両国の核実験は国際社会に衝撃。最初に核実験したの

   は「強いインド」を標榜していたパジバイ首相。単なる宗教戦争は核戦争の脅威という

   世界の問題につながりかねない。

 

  ・2002、印ぱ戦争勃発の瀬戸際。パキスタンからの越境武装集団が2001暮、ニューデリー

   の国会議事堂を襲撃。核兵器の局地使用の危険ありうる。

 

 4)カシミール問題

  ・印パ対立の緊張焦点にあるのはカシミール。インド独立の際に最後まで所属が明確でなか

   った地域。1998印ぱ核実験の後、カシミール地方にインド軍30万に増強。偶発戦争の可

   能性もあった。現在でも両軍実効支配で睨み合い。

 

  ・カシミール地方で、2019.2. 両国の軍事行動がエスカレート。インドが実効支配する

   ジャム・カシミール州、インド兵治安部隊のバスに車がつっこんで40人死亡。車には

   350Kgの爆発物。カシミールのパキスタン領有を求める過激派組織「ジャイシュ=エ=

   ムハマド(ムハンマドの軍隊)」が犯行声明。この組織は2001インド国会議事堂襲撃事件

   の関与も疑われている。

  ・インド軍、Pakistan領内の武装組織の拠点爆撃。両軍空中戦にまで発展。核兵器保有国の

   危険な報復連鎖に米中など懸念表明。

 

  ・2019.5総選挙を受けて、インド政府は2019.8.イスラム教徒が多数を占めるジャム・カシ

   ミール州に特別な自治権を保証してきた憲法370条の規定を廃止。それは他のインドの州

   と同様な扱いになる。多数派のイスラム教徒には衝撃(パレスチナと同様に)。

   パキスタン政府は対抗措置。

 

  5)改正国籍法問題

  ・2019年12月、インド上院で可決された改正国籍法は、パキスタンなど3つの隣国

   出身でインド在住のイスラム教徒を国籍認定で差別する法律で、M政権の差別主義と

   して西欧など国際社会から批判されている。

 

 4. 超大国の役割と自覚をもてるか

  ー経済的に超大国になりうるインドが、世界政治の面でも世界を主導する国として信頼され 

   認知されるかは、将来のインドに問われる最大の課題だろう。

 

  ー第二次世界大戦後、世界を主導したのはアメリカ。大戦前の世界は2世紀にわたって帝国

   主義の時代であり、英仏などが植民地帝国として利権を欲しいままにしたが、1928年パリ

   で締結された「不戦条約」以降、世界は新たな時代に入った。

  ・大戦後、単独で世界GDPの過半を占めたアメリカは、戦災で疲弊した国々と地域の復興が

   アメリカ自身の発展のためにも不可欠と考え、経済と安全保障に関する国際協力の枠組み

   (Pax Americana)を構築し推進した。アメリカは冷戦時代、この体制下で多くの国々と

   同盟関係を結んで、世界のリーダー国としてそれなりの国際信頼を獲得した。

  ・そのアメリカの大統領に選ばれたトランプ氏がそうしたアメリカの国際的遺産を破壊して

   いるのは誠に残念。トランプ政権下で国際社会のアメリカへの信頼が低下するおそれ。

 

  ー中国は大戦後、毛沢東の指導下で低迷したが、鄧小平時代の改革開放政策で飛躍的に

   発展。鄧小平氏は「韜光養晦(才能を隠して内に力を蓄える)」で国際的には控えめな

   姿勢に徹したが、習近平主席は「中国夢」を唱えて国民を鼓舞し、大国主義を志向。

  ・国内的には民主主義を否定。情報統制の管理社会。コロナウィルス問題では国家権力に

   よる隠蔽的な体制が国民からも批判。

  ・1980年代以降の急速な経済発展、2000年以降の目覚ましい情報化などの成果は評価

   称賛されるが、事実上の独裁体制は国際社会の共感と信頼を得られていない。

 

  ーインドは近年、若い人口と優秀な人材群、欧米諸国の積極投資を生かして急速な発展を

   遂げているが、将来、現在の中国にならぶ世界の経済大国になる時、世界の信頼をいかに

   確保するかが大きな課題。

 

  ーインドは自他ともに認める世界最大の民主主義国。それは信頼醸成の重要要素。宗教

   対立による民族差別はこれから克服すべき大きな課題。

   

 

Ⅸ.   日印協力の可能性

 1. 戦後の日印関係

 ー日本とインドの正式な国交は、日本に対する寛大な内容の日印平和条約が結ばれた1952。

 

 ー独立したばかりの戦勝国インドは、SF講和会議で主権を回復した日本にアメリカ軍が駐留

   することに反対して会議を欠席。日本への請求権を放棄する友好的な姿勢をしめした。

 

  ・大戦中の主要な戦争犯罪人を裁いた東京裁判ではパル判事が日本人被告の無罪を主張。

  ・1949年、ネルー首相は友好の証に娘インディラの名をつけた象を上野動物園に送った。

  

  ー1958、日本はODAの第一号となる円借款を供与。インドの電力設備、船舶建造支援。

  ・1957、岸信介が首相としてはじめてインド訪問。つづいて池田首相。

   しかし1960sにはいってベトナム戦争が激化。アメリカは共産主義の拡大をふせぐため

   東南アジアを重視するようになり、日本も影響をうける。

 

  ー冷戦の時代、日本は日米同盟を基軸とする自由主義経済を進め、インドは非同盟外交の

   方針を貫き、閉鎖的な経済体制をとっていたため、日本との接点がなくなる。

 

  ・日印が再接近するきっかけは、1991のインドの経済危機。

   外貨準備が底をつきデフォルト直前まで追い込まれたインドに手を差し伸べたのが日本。

   2億ドルの緊急借款、アジア開発銀行からの1.5億ドルの協調融資でインドは危機を

   しのいだ。当時のシン首相は日本の支援に深く感謝。

 

  ー1998.3に政権に就いたBJPのパジバイ首相は、経済解放をさらに進める政策をとったが、

   1998.5.にパキスタンとの軍拡競争に触発される形で核実験。パキスタンも核実験で対抗。

   日本はインドに即座に抗議。駐インド大使を帰国させ、新規の円借款を中断。関係は

   冷却。

 

 2. 新たな日印パートナーシップ

  ー日印関係の雪解けは、2000の森喜朗首相の訪印。クリントンの訪問で米印関係が改善

   すると8月に訪問。パジバイと会談。核実験凍結、日本は経済措置を緩和。日印関係を

   「21世紀におけるglobal partnership」と位置づけ。森氏もそのあとに訪印した

   小泉首相も同時にパキスタン、バングラデシュなど訪問。当時の日本は印パのバランスを

   重視。

 

  ーそれが変わったのは2007の安倍訪印。パキスタンを訪ねず、インド重視の姿勢。

   インドはBRICSの一角として存在感。安倍は台頭する中国とのカウンターバランス

   のパートナーとしてインドを重視。シーレーン防衛など。安倍は「戦略的」を加えて

   戦略的グローバルパートナーシップとして歓迎された。

 

  ーインドも日本を必要としていた。M氏は宗教問題でアメリカから入国拒否された時、

   日本の支援と呼びかけ頼りとした。Mが2007来日、第一次政権の安倍と会談。

   2012に来日時、下野していた安倍と面会して関係を維持。Mが2014来日の際、

   安倍はTwitterの公式アカウントでフォローしていた3人の一人。個人的信頼関係

   強く。2014以降、日印関係ははるかに緊密。

 

 3. 安倍ーModi首相の緊密な関係

  ー2014.9. 新しい首相となったMが日本を訪れ、安倍首相と首脳会談。M首相はこれまで

  (2019.7)5回日本訪問。グジャラート州首相だった2007と2012にも訪日。

   共同宣言「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」

   2000年にはじまった日印連携に特別と戦略を付加。

 

  ・Mが最初に訪れたのは古都、京都。わざわざ安倍首相が京都まで出迎えるのは珍しい。

   これにはおもてなしの工夫。京都の東寺には、大日如来はじめインドに起源をもつ

   仏像多数祀られている。なかでも梵天はヒンドゥー教では三大神の一人で宇宙を創造

   したとされるブラフマー神。Mをヒンドゥー教神々が形をかえて祀られている東寺に

   案内。

 

  ー東京の各界代表者招いたセミナーは超満員。

   Mは「これまではLook Eastだったが、これからはLook at Indiaだ」と巧みなキャッチ

   コピー。「皆さんが成長のために探し求めてきた場所はインド。日本が10年で起こした奇

   跡はインドでなら2年で実現できる。民主主義、人材、需要のすべてが揃っているのはイン

   ドだけ」

 

  ーインド経済が人口増を吸収できる7%を超える成長を達成するには、製造業とサービス業

   で9%以上成長必要。それを土台に農業ば3~4%の成長を達成せねばならない。

   外国の投資家から見ると、インドの最大の弱点は基本となるインフラ。道路、鉄道、

   エネルギー、流通などの遅れ挽回が課題。それこそ日本が手を差し伸べられる分野。 

  

 4. メトロが象徴する日本の対印支援

  ーインドの首都デリーとその近郊を走る地下鉄「デリーメトロ」の総延長はすでに東京の

   地下鉄に迫る300km近い規模。メトロは、首都圏のほか、商業中心のムンバイ、南部の

   チェンマイなど各地で新規開業や延伸が相次ぐ。

 

  ・デリーメトロは2002、日本から円借款や技術協力で導入。その後、路線を急速に拡大。

   今、9路線で総延長278km。駅の数も300近い。通勤通学300万人の足。

   アーメダバード、ベンガルール、コルカタのメトロ建設もJICAが支援。

 

  ーインド政府は新幹線方式の高速鉄道について2023の開業めざす。

   日本政府は1.8兆円の事業費のうち、最大で1.46兆円の円借款を段階的に供与する予定。

 

   新幹線の導入は、2014モディ首相初訪日の際に話し合われた。首脳会談で、向こう5年間

   で3.5兆円規模の投融資がインドに向けられることに。インドに進出する日本企業を当時の

   1000社から2000社に。年間2000億円だった直接投資も2倍にする目標。その目玉が

   新幹線。

 

   新幹線は、ムンバイとモディ首相の地元のグジャラート州アーメダバードと結ぶ500km

   の区間を走る予定。所用時間は現在の8時間から2時間あまりに短縮の予定。

 

 2. 日印の接近と対照的な日本企業の乏しいインド投資

 

  1)相互補完で接近する日印両国

  ー上記したように、日本とインドは近年、相互補完の利益を追求して急速に接近。

  ・日本は人口減少で経済の潜在成長力は減退一方。インドは平均年齢25歳という若い人口

   構成で、経済の構造改革を実行できれば莫大な成長が可能。

  ・人口減少の日本にとっては夢の潜在市場。

  ・製造業やインフラ基盤強化が必要なインドにとっては日本は強力なパートナーの可能性

  ー中国への対抗力としてインドも日本も相互で協力できる地政学的関係。

  ・日本はアメリカの後ろ盾もふまえ、インドー太平洋協力構想を推進。

 

  2)乏しい日本企業のインド投資

  ー政府間の協力関係の進展にくらべ、日本企業のインド投資は極めて乏しい 

  ・日系インド進出企業数は中国の20分の1

   

  ー日本企業のインド進出、中国との比較

                 インド        中国

   GDP(10億ドル)      1871         9455

   人口(10万人)       1243         1368

   進出企業数(千社)       1.1         23.1

   在留邦人数(万人)       0.7                           15.0

  

・なぜ中国とくらべてこれほど少ないか。

・インドは遠い?飛行機で10時間以内。物理的には遠くない。

・異文化、商習慣の違い?

・スズキ自動車の活躍は見事。

  息子のサンジャイを飛行機事故で失って悲嘆にくれるインディラ・ガンディー首相にサン

  ジャイの忘形見「マルチモーターズ」の事業を受け継ぐとして果敢に飛び込んだスズキ社長

  の着眼、気迫と実行力。いまではマルチスズキはインド乗用車市場の半分。例外か?

・最近はインドへの関心も高まり企業進出も増加。

  この10年で企業進出も増加。事業拠点数は10倍。約5000ヶ所。

・それにしても中国にくらべまだ桁違いに少ない

 

 3. 不十分なインド理解

  1)インドは巨大、多様で複雑。

   ・地域、民族、宗教、言語

 

  2)対日感情の良さ

   ・仏教の伝統:2014のM首相訪問時の京都東寺のエピソード、

   ・インド独立運動の活動家スパス・チャンドラ・ボース、インド国民軍を率いてインパール

    作戦で日本帝国陸軍ととも対英戦闘

   ・SF講和会議に欠席、対日請求権放棄

   ・東京裁判でパル判事が日本被告の無罪主張

 

  3)必要なインド近現代史の理解

   ・世界最古の文明史:長い歴史。近代史だけでもムガール帝国、東インド会社支配の時代

    英国による植民地時代、ながく厳しい独立への闘争の時代

   ・独立時のパキスタンとの分割と大殺戮の悲劇

   ・分割統治の後遺症:宗教対立

 

 4. 次の超大国インド理解と協力のすすめ

  1)インドの膨大な可能性

   ・13億人の若い人口が生む限りない可能性

   ・欧米主要国や中国・韓国はインドの可能性を理解し進出。それに比べ日本企業の進出は

    少ない。

   ・インド経済のこれからの巨大な成長の可能性は、人口減少で潜在生聴力が伸び難い日本

    にとって貴重な大きな可能性を示唆する。

   

  2)インドの重要性

   ・インドと日本は相互補完生が高く、両国産業界の密接な協力によって、互いに大きな

    利益を得る可能性がある。

   ・現在のインド経済の最大の難点の一つはインフラの未整備。日本は交通をはじめとする

    インフラ基盤の整備ははるかに進んでおり、それを実現した技術や運営ノウハウがある

   ・他方、インドは進んだIT産業が象徴する、極めて能力の高い人材が膨大に存在する。

    彼らの人的能力が活用できれば、日本経済の成長可能性は大きく高まる可能性がある。

 

   ・日本企業のインドへの進出が中国にくらべて大きく遅れた理由のひとつは商慣習の

    違い、もっと具体的には彼らのビジネス交渉力に日本人が太刀打ちできないことが

    指摘されている。インド人ビジネスマンの交渉力やサバイバル能力は、インドという

    多様で厳しく容赦のない社会で鍛えられた特質といえる。

   ・日本のベンチャーや企業がインド社会の激しい競争の中で鍛えられることは、存続の

    ためにグローバルなビジネス展開が不可避なこれからの日本にとって貴重な修業の

    機会になるはず。

 

<<参考文献>>

 

江藤宗彦(株式会社ドリームインキュベータ DIインド社長)『インドのスタートアップについて』2019.10.3 島田村塾報告資料

Mishra Manish(株式会社Bridge&Sun 代表取締役)『The India-You Don’t Know』2020.島田村塾報告資料2019.12.2.

伊藤太(Market Drive Inc.社長)Musubi Management Pvt Ltd『ShareKart 事業計画書』2020

在インド日本大使館での懇談:安藤俊英公使、熊谷直樹公使、早川瑞穂参事官、青島参事官

L.K.Advani 『My Country My Life』2008 Rupa and Co.

Jawaharlal Nehru『Glimpses of World History』2004 Penguin Books

広瀬公巳『インドが変える世界地図:モディの衝撃』2019 文藝春秋社

貫道欣寛 『沸騰インド:超大国をめざす虚像と日本』2019 白水社

武鑓行雄 『インドシフト』2019 PHP

バーバラ・D・メットカーフ、トーマス・R・メットカーフ『インドの歴史』2006 創土社

平林博『最後の超大国インド』2017 日系BP社

笹井亮平『モディが変えるインド』2017 白水社

島田晴雄『インド研修訪問報告2020.1.26~2.3』

 

躍進するIT産業:インドの可能性と課題(2)

 3. Modi氏の出自と権力掌握

  ーナレンドラ・モディは1950.9.17. 生まれ。父:ダモダルダス、母 ヒラベン

   食料品店店主の3男。グジャラートのウッドナガル村。電気も引かれていなかった。

   3つの小部屋に両親と6人の子供。8人が暮らした。窓も水道もなく。照明は経由ランプ 

  ・父の副業。ヴァルドナガル駅でのチャイ売りを手伝う。

 

  ・植物油を絞ることを生業とするカースト「ガンチ」の出身?(あまり語らず)

   不可触民ほど差別はうけないが、政府により「その他後進階級」

 

  ーMがヒンドゥー教徒の政治家として人生を歩む最初のきっかけは8歳(1958)。はじめて

   民族奉仕団(RSS)の朝の団体訓練に参加。

  ・その後、ヒンドゥー教の瞑想の場アシュラムで修行。1969にグジャラートに戻り、

   叔父と食堂で働いたが、1971 第三次印パ戦争をきかいにRSSの活動を本格化

 

  ・RSSの活動が認められ、Mは1987BJP(インド人民党)に入党。選挙キャンペーンと担当

   アーメダバードの市長選挙でその働きが評価され、当時人民党のトップだったラル・

   キシャンチャンド・アドバニによりグジャラート地区の党代表。その後派閥争いを収拾

   するなどで昇進。インド人民党が勝利した1998総選挙の功績で党幹事長に。

 

  ー1990s後半で国民会議派を上回る勢力。1996選挙で第一党。パジパイが首相に就任。

   はじめてのBJP政権は連立工作に失敗して短命。

   1998の総選挙で再び第一党。「強いインド」を掲げて核実験を強行。会議派がはじめた

   IT振興や経済自由化政策を取り込んで安定政権めざす。

 

  ーそんなBJPの変化を体現する政治家がモディ首相。MはRSSの長い活動を経て党内の

   地位を高め、2001、BJPが政権をとってきたグジャラート州の首相に選出。

 

  ー2001.1.26.、グジャラート州カッチ県で地震発生。M7.7. 都市部直下で被害大。

   死者2万。負傷者16.6万ー政府発表

  ・地震の前年2000、大旱魃がグジャラートを襲い、農業用水と飲料水不足。

  ・危機からの回復をできる人物としてパジパイ首相がMを送り込んだ。

 

  ーところが、首相就任後2002.3,宗教暴動勃発。

   州政府が暴動を放置したとしてMの辞任求める声高まる。Mは辞任。議会は解散。 

  ・さらに苦境。パジパイがMにグジャラートから撤退を求めた。

  ・党中央から支援なく、暴動への対応が批判される中で2000年暮のグジャラート州議会選挙

   M率いるBJPは大勝。イスラム教徒によるテロを恐れる住民、避難民らが暗黙のうちにMを

   支持した?182席中127席の安定多数。Mは第二期目宣誓。

 

  ーグジャラートモデル誕生

   内外から投資を誘致すべくイヴェント「躍動するグジャラート」開催。M自身企業誘致に 

   奔走。Mの指導により大地震から3年で復興。スズキ、フォードなど大手外国企業誘致。

   西ベンガルで住民反対で用地買収が難航していたタタ自動車もグジャラート州に。

 

  ・電力事業改革で停電を大きく減らした。インドでは電力改革は容易でない。農業用電力

   無料の州も。補助金=一種のバラマキ。工業電力高く、農業電力安く→集票のため。

   農業電力の既得権は聖域。不払い者の電力供給停止措置。2003、グジャラート電力法整備

   し、料金体系整え。結果、農村でも電力行き渡り、停電が減った。 

 

  ・グジャラート州チャランカ村、アジア最大のソーラー発電所建設。2012に運用開始。

   発電能力345メガワット中規模の火力発電所なみ。

   

  ーグジャラートモデルの骨子

   1. 強い指導力

   2. 電力などインフラ整備

   3. 経済特区で規制緩和、外資導入

   4. 政治を見える化して改革断行

 

 ーMはこのグジャラートモデルをインド全土に広げようと訴え、総選挙で勝利。首相となった。

 ・M氏がグジャラート州の首相として上記モデルを推進している頃、私は島田塾の有志経営者

  とM氏を州首相の事務所に訪ねた。質素な執務室で熱心に語るM氏の鋭い眼光が印象的。

  

 4. Modi政治とヒンドゥー至上主義

 

 ーRSS(民族奉仕団)の原体験

  ・Mは低位カースト出身、貧しい家庭育ち。

  ・8歳でRSS活動に参加。軍隊式の団体訓練、ヒンドゥー至上主義精神での活動。

   Mの思想と人間形成を深く規定した可能性。

  ・RSSでの活動が認められBJP(インド人民党)入党を認められ、その後のMのキャリアと

   と出世街道が敷かれた。

  ・この原体験はMをヒンドゥー至上主義者として形成?

   

 ーアヨーディア大暴動(1992)

  ・ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の深い対立を象徴する暴動。

  ・アヨーディアはヒンドゥー7聖地のひとつ。16世紀にムガル帝国がモスクを建設する時、

   ヒンドゥー寺院を破壊。1949年、ヒンドゥ教徒の活動家がモスク内にラーマ王子像を設置

   したことにイスラム教徒反発。宗教紛争頻発していた。

  ・1992、20万人ヒンドゥー教徒が集まりモスク破壊。暴動は全国に波及。衝突に

   よる死者2000人。1992とはITが注目され、インド経済が改革にむかって前進開始の時期

   この時期、ヒンドゥーナショナリズムを追い風にBJPは党勢拡大。1998から6年政権。

 

 ー2002.3,宗教暴動

  ・発端は2002.2末、アーメダバード東方、ゴードラー駅、列車炎上事件。

   60人近いヒンドゥー教徒が列車内で死亡。イスラム教徒が放火の噂。それが暴動に発展

   イスラム教徒中心に2000人死者。

   州政府が暴動を放置したとしてMの辞任求める声が高まる。Mは辞任。議会は解散。

 

  ・アメリカ国務省、「宗教的自由に関する重大な違反」に責任のある外国当局者には

   ビザを発行しないという、1998に成立したばかりの国際宗教自由法条項適用しMへの

   発給を停止。

 

  ・暴動への対応が批判される中で2000年暮のグジャラート州議会選挙。

   M率いるBJPは大勝。イスラム教徒によるテロを恐れる住民、避難民らが暗黙のうちにMを

   支持した?182席中127席の安定多数。Mは第二期目宣誓。

  ・この勝利で、Mはインド国民の大多数を占めるヒンドゥーの支持を背景に、強い政治を

   実現できると確信?

 

 ー2019国籍法改正問題

  ・改正国籍法:

    2014末までにインドに不法入国したバングラデシュ、アフガニスタン、パキスタンの

   3ヵ国の出身者のうち、ヒンズー教、キリスト教、仏教など6宗教の信者にはインド国籍

   を与える。それら3ヵ国の多数派であるイスラム教徒は対象外。

  ・2019.12.11. 改正国籍法が上院で可決。

      12.12. 北東部アッサム州で大規模デモ

      12.15. インド全土に大規模でも拡大

      12.19. ニューデリーでネット遮断

      12.27. 少なくとも死者27人。

  ・M政権が昔からの居住者を証明する「国民登録名簿」の作成も全土で検討。  

   全体の8割を占めるヒンドゥー教以外の少数者をさらに排除するとの警戒感。

   モズレムの驚愕と怒り。「何世代も住んでいるのになぜ排除されねばならないのか」

 

Ⅵ.   多様なインドに伏在する問題

 

 1. 多様で複雑なインド

  1)民族的多様性

   ・インドは多くの人種から構成される他民族国家。古代アーリア系を受け継ぐインド人種

    のほかにも、中央アジア、アラブ、アフリカ、東南アジア、中国系など多様な民族が

    インドの人口を構成している。

 

  2)宗教的多様性と宗教対立

   ー多様な宗教と対立

   ・ヒンズー教徒が大半で約8割をしめる。同時に、イスラム教徒が約1.8億人。そのほか

    シーク教徒など数十の宗教の信者。

 

   ・多くの宗教が存在するだけでも、それらの平和的共存をはかるには政治的な知恵と

    指導力が必要だ。

 

   ・とりわけ、インドではヒンドゥー教とイスラム教の対立がはげしい。それは単なる宗教

    対立の問題を超えて、インドが英国の植民地から独立する際の悲惨な経験がトラウマに

    なっているからだ。

 

   ・マハトマ・ガンジーら独立運動の指導者は、インドが多くの宗教を包摂した国家として

    独立することをめざした。

 

   ーインド独立時の惨劇

   ・しかし結局、ヒンドゥー教とイスラム教という宗教の対立が、英国植民政策当局に政治

    的に利用され、イスラム教徒が比較的多く住む現在のパキスタンとバングラデシュ地域

    を分離して現在のインドが独立することとなった(ちなみに、現在のバングラデシュ

    は1971年にパキスタンから独立するまでは”東パキスタン”と呼ばれた)。

 

   ・独立に際してのパキスタン地域の分離が明らかになった時、パキスタン地域に住む多くの

    ヒンドゥー教徒が迫害を恐れてインドに脱出を試み、インドに居住するイスラム教徒が

    パキスタン地域に移動を試みたが、その際、彼らが異教の暴徒に襲われて数百万の犠牲

    者が出たという惨事がインド独立のトラウマになっている。

 

   ー国民会議派の知恵:”Secularism(政教分離)”

   ・パキスタンとはやむなく分かれて独立したインドは、ネルー首相率いる国民会議派

    政権の下に、憲法を制定し、独立国家として出発するが、憲法には宗教と政治の分離

    (Secularism)が明確に謳われた。それはヒンドゥー教とイスラム教の対立を政治に

    持ち込まないための”知恵”であり、上記の悲劇のトラウマを避けるための知恵だった。

 

   ・しかし、それでも現実の政治では、対立はつづき、一般民衆だけではなく、国の指導者

    達もが痛ましい犠牲者になった。

    マハトマ・ガンジーはヒンドゥー教徒に、インディラ・ガンディー首相はシーク教徒に、

    そしてラジブ・ガンディー首相はタミル教徒に暗殺されている。

 

   ーModi首相のヒンドゥー至上主義

   ・そうした深刻な宗教対立と闘争が繰り返されるインドという複雑な国家を、モディ首相

    は多数派のヒンドゥー教徒の支持を結集して指揮しようとしている。

 

  3)言語的多様性   

   ・第一言語としてヒンドゥー語を話す人々が41%、ベンガル語(東部コルカタなど)8%

    テルグ語(南部ハイデラバードなど)7%。さらに各州が公式に認めている言語が22種。

    公式に認められていないが実際に人々が話している言語は1800とも2000とも言われて

    おり極めて多様。

 

   ・インドは英語を話す社会と言われているが、政府の国勢調査(2011)では英語を第一

    言語とする人々は23万人(当時の総人口10億の0.02%)のみ。第二、第三言語として

    の英語をふくめても人口の12%、1.2億人ていど。

   ・一方、インド応用経済研究所NCAERの調査では、英語を流暢に話せるのは4%。一定

    レベル話せて意思疎通可能、20%ほど。4%は5000万人、20%は2億人を超える。

            

   ・インドは司法、立法、行政、ビジネスで、英語はエリート語、共通語として確固たる地位

    司法の世界では「最高裁判所の審理と判決は英語」と憲法で規定。

     

   ・官僚や富裕層の子弟が中心だった英語教育の学校に通わせるのがブーム。英語は子供の

    将来を広げると親は真剣。デリー教育計画行政大学の調査。初等、中等教育のうち英語

    で教える学校(SBS)に通う生徒数は2013年までの5年で2倍。約3000万人、デリー首都圏

    では49%が英語校に通う。しかし、SBSのような私立校で英語教育をうける3000万人は

    インド全体で初等中等教育をうける約2億人の15%にすぎない。

 

 2. 巨大な格差:階層、カースト、民族、地域

   (1)インドは極端な格差社会

    ームンバイの高級地区の一角に、リライアンス財閥の総帥Mukesh Anbaniの住宅が

     聳える。その大きさは六本木ヒルズとほぼ同じ。前衛建築の粋をこらした建物で世界

     最高額の住居。家族は4人。家族を支える従業員は90人。

    ・その地区は貧民地区の囲まれている。数ブロック歩くと貧民窟が並ぶ。

     この極端な対照がインドの格差構造の例示として紹介される。

 

    ・ところで、MukeshはReliance Industries Groupを率いる世界第二の富豪だが、

     Reliance ADA Groupを率いる弟のAnil Ambani氏は、最近、事業に失敗して

     無一文になったと報道された。激動するインド財界の一端を感ずる時件。

     ”The rapid decline of Indian Tycoon” Financial Times, March 18, 2020.

    

    ー私自身の経験:オールドデリーの貧民街。デリーの高級ホテルから車と人力車を

     乗り継いで貧民街をあるく。道路は狭く、家は崩壊寸前。狭い通りには電線が垂れ

     さがって危険。人々(老若男女)は精気なく入り口の階段にうずくまってうつろな

     視線。これらの人々の大半は貧民窟を出たことがなく生涯をそこで終わる人も多い。

 

    ・インド中部の高原の街、ウダイプール。中世に造られたという人造湖。中央に大理石

     づくりの超高級ホテル。岸辺に巨大な大理石づくりの多目的施設:結婚式、会議場。

     ここでの結婚式には数億円の予算をかけて、客を1000人、宴会は1週間、楽隊、象

     行列などをする富裕層の利用も少なくない。対岸にはマハラジャの巨大な宮殿と

     居住施設。

 

    ーインドには相続税がないので、数千億円の資産のある超富裕層の資産は専門コンサル

     の手で、幾何級数的に増殖する。世界の金融都市、ジュネーブ、シンガポール、香港

     などには、こうした超富裕層の資産運用を専門とするFamily officeやPrivate equity

      bankなどが活躍。欧米社会やインド、中国の格差構造を拡大している。

 

   (2)格差の形成要因

   ーカースト

   ・インドでは古来からカーストという身分制がある。カーストは古来からの職業に

     根ざしていることが多い。カーストは伝統的なインド社会の身分階層構造を象徴

     しており、カーストによって職業だけでなく社会的つながりや家族の地位などが

     限定される。結婚はカースト内で行われることが多い。インドの結婚は個人より家族

     が重要なので、異なるカーストに属する家族の結婚は容易でない。名前を聞くだけで

     もカーストがわかることが多い。

   

    ・現代のカーストには大別すると ブラフミン(司祭)、クシャトリア(武人)、

     バイシャ(庶民)シュードラ(隷属民)がある。この下に不可触選民と呼ばれた

     通称ダリットの階層がある。

    ・インド憲法はいかなる差別も禁止している。インド憲法を起草した中心人物は、

     独立インドの初代法相、憲法起草委長のビーム・ラオ・アンベードカル(1891~

     1956)。彼はダリットの家に生まれ、厳しい差別の中で苦学し英国の法曹となった

     だけに憲法にはカースト差別を許さない意志がにじむ。しかし、カーストは社会的慣習

     として牢固に残存。

    ・被差別カーストや社会的に不利は少数民族、貧困層には政府か公務員採用や大学進学

     での優遇措置がある。それに対する社会的不満も多い。

   

    ・IT業界は、このようなカーストによる差別構造を超越する特別な存在。

     カーストは古来から存在した職業別の社会階層構造に直結しているが、ITの歴史は

     20年ほどしかなく、古来の職業とは無関係。そこで、低位カーストの人々にとって

     社会差別や格差を超える唯一の突破口。多くの若者がITに強い憧れと希望をもって

     ITの専門家になろうと努力し、上記のようにその成果がおおきく現れている。

 

   ー地域、民族、宗教、言語要因。

    ・社会的・経済的格差は、地域、民族、宗教、言語などが複合して形成される。

    ・インドは広大な国土があり、西部のグジャラート州、ムンバイのあるマハラシュトラ

     州などは経済発展がすすんでいるが、東部のコルカタ(カルカッタ)のある西ベン

     ガル州や北部ビハール州などは貧困地域。南部のチェンナイ(マドラス)のあるタミル

     ナドウ州や南西部のバンガロールのあるカルナータカ州は商業地域の伝統がある。

    ・これらの地域は、民族的にも相違があり、それはまた彼らの歴史的な社会的経済的

     階層や地位を反映している。

 

    ・宗教も重要な格差要因。インドには多くの宗教があり複雑な社会差別構造につなが

     っているが、とくに、古くから現在までつづいているヒンドゥーとイスラムの対立

     は社会差別構造に深く関わっている。

 

    ・また言語も格差と密接に関連している。多くの言語種族間では多様な差別があるが、

     それらを超える言語として英語が特別な位置づけにある。英語は全国共通の公用語と

     いうよりエリートの必須の条件なので、上記のように教育力のある家族は子弟に

     英語教育を授けることに真剣になる。

  

 3. 人口ボーナスか人口オーナスか

 

  ・インドには現在13億人という巨大な人口があり、出生率が高いのほどなく現在14億人

   規模の中国の人口を上回ると予想されている。インドの特質はその人口の年齢構成が

   若く、平均年齢が25歳。すなわち6~7億人が25歳以下。

  ・彼らが60歳代まで働くとすると、これから平均40年間ほど労働人口が確保できるので、

   それは経済成長への巨大な力になる。これを人口ボーナスという。

 

  ・しかし若い人口が”ボーナス”になるのは、彼らが成長する経済を支えるそれなりの所得の

   ある仕事に就くことが前提。現在のインドは6億人の人口が生産性と所得の低い農業など

   の分野で不完全就業に従事しているので、そのまま人口が高齢化していくと、若い巨大な

   人口は”ボーナス”ではなく、”オーナス”という重荷になるおそれがある。

 

  ・M首相が熱心に”Make in India”を唱えるのは、彼らを生産性と所得がより高い製造業

   に吸収したいという戦略意図があるからだ。インドの工業化のためには、かつて世界が

   瞠目した工業化の実績がある日本が協力できる余地が大きい。

    

 

Ⅶ.   独立インドの発展と英統治の後遺症

 

1. インド独立とその背景

 1)インドの独立

ー1947.8.15深夜、ネルーは国会議事堂で「独立」を宣言。インド共和国憲法、憲法制定議会

 が1947から1949にかけて召集。白熱論戦の末、憲法制定。1949.1.26、共和国憲法記念日。

 憲法はインド政治の土台。

 

ーインド憲法:

 ・国名:インド。ヒンディーではバーラト:反植民地主義を意味。

 ・国家体制:社会主義:国家主導で経済や社会の運営をめざそうとするインド建国理念

 ・国家の立場:世俗主義(Secyuralism):宗教と政治には距離を置く、を憲法に明記。

   

2. 独立の背景:前史

 ・インドの独立には長く複雑で悲惨な前史

 

1)ガンジーの非抵抗、非協力運動

 ・イギリスの植民地支配から脱却をめざしたガンジーの運動。

  非抵抗、非協力運動(1915~1920s)として知られる。

 

 ・ガンディー、1869、グジャラート西端藩王国の商業カーストの家に生まれた。

  不器用、内気、野心家。18歳、追放のリスク犯して妻を残して英国留学、弁護士志望。

  少年時代、ジャイナ教信者の親と貿易商というカーストの影響下、非暴力的ヒンドゥー

  イズム育まれたか?イギリス人の男らしさに憧れるが、なじまず、菜食主義者。

 

 ・帰国後、弁護士界の競争について行けず、1893アフリカへ。南アフリカで現地インド人

  実業界のために活躍。1893~1914の南アフリカ時代が人間形成。西洋人の物質的欲望。

  その結果生じた競争社会の文化への激しい批判。ガンディーの理想は伝統的な農村社会の

  簡素な生活。理想は共和制による自給自足の農村からなる緩やかな連邦国家。

  倫理的にはサティヤーグラハ(真理を保つ力=非暴力)を求めた。

 

 ・腰巻き姿の「マハトマ(偉大な聖者)」として多くの人々を魅了。ガンディーの政治運動に

  多くの人々が注目。故郷のグジャラート州州都アフマダバードに修道場。ビハール州と

  連合州。などの人口稠密地域で、ネルー父と息子ジャワハルラル・ネルー(1889ー1964)

  などがガンディーに心服し、右腕になった。非協力運動で農民運動、労働運動を指導。

 ・「塩の行進」1930. 78人の弟子達と塩をもとめて200Kmを行進。世界が注目

 ・紡績職人を支援するため、カーディ(白の綿布)まとい、糸車を置く姿象徴的。

 

2) 第二次大戦、Quit India 運動と会議派幹部投獄

      Nerhu 「Glimps of World History」

 ・第二次大戦初期(1939~1942)イギリスはインド兵調達に注力。会議派は第一次大戦時

  のように無条件で協力はせず。ガンジーは戦争協力には反対。ネルーはファシズムとの

  戦いなら限定的に協力。イギリスは協力を取り付けるために、クリップス使節団を派遣し

  終戦時にインドに自治権を与えるという構想示して交渉。ただし、統合を希望しない地域に

  強制はしない条件。イギリスはインドの分割独立を含意?

 

 ・交渉決裂を危機感を募らせた会議派は、1942夏、大規模な大衆運動「Quit India(インドか

  ら出てゆけ)」を組織。イギリス軍は残忍に制圧。会議派幹部は終戦後まで3年間勾留。

  会議派の新たな離反」を前にして、イギリスはインドの戦争協力体制を確立するためには、

  会議派以外の勢力の利用を模索。ちなみに、ジャワハルラル・ネルー氏は勾留中の3年間、

  一人娘のインディラ宛に世界史について書簡を書き続け、それがその後、Glimpses of World 

  History 、Penguin Books として出版され、今でも世界史の不朽の名著とされている。

  インド指導者の桁違いの知性が垣間見られる。

 

 3)ジンナーのパキスタン構想とネルーの決断

 ・利用と権力移譲の最有力候補はムスリム連盟。ムスリム連盟はパキスタン構想という政治

  目標を1940に採択。構想は1933ケンブリッジ大学のムスリム留学生グループ。連盟は

  「ムスリムが多数を占める地域は独立諸国家として自治権と主権をもつべし」と主張。   

 ・イギリスは戦時中にムスリムの協力を得たいので、パキスタン構想に肩入れ。インド独立に

  際し、州は”不参加を選択する権利を有する”とのクリップス提案条項はその例。

 

 ・1945.6. ウェーヴェル総督はガンディー、ジンナー、刑務所から釈放されたばかりの会議

  リーダーたちを夏の首都シムラーに招集。総督はヒンドゥー、ムスリムから成るインド人の

  暫定政府創設を提案。ジンナーはムスリムメンバーは全員ムスリム連盟で指名されるべしと

  主張して譲らず、交渉は決裂。

 

 ・1945~1946冬の選挙。会議派は中央議会の一般(非ムスリム)議席の90%を確保して圧勝。

  一方、ムスリムは中央議会のムスリム留保議席数30を独占。地方議会のムスリム留保議席

  500のうち、442を確保。この結果を受け、ムスリム連盟こそ全国のムスリムの唯一の代弁者

  というジンナーの主張を正当とした。

 

 ・会議派とムスリム連盟が妥協できない状況をみて、イギリスは1946.3.閣僚使節団をインドに

  派遣。イギリス案で事態の打開を図ろうとした。それは3層構造の連邦制。その特徴は州の

  グループ分け。第一、第二グループはムスリムが多数を占める東西の諸州。第三グループは

  ヒンドゥーが多数を占める中央部と南部。これらには自治権。ジンナーへの配慮にじむ。

  ムスリムはイギリス案を受諾。

 

 ・今度は会議派が態度を決める。ネルーはイギリス案では中央政府の権限が弱すぎると結論。

  1944.7.10.ネルー演説。はジンナーの主張に近い強制的な州分け案を拒否。ムスリム連盟の

  主張で機能不全となる統一インドよりも、パキスタンを完全な独立国として切り離す方が

  ましというのが不本意ながら会議派の結論。

   

 3. パキスタン分離と大殺戮のトラウマ

 1)国土分割と大虐殺

   ・Adobani「My Country Myself」

 

 ・州分けパキスタン構想を覆されたジンナーは、ムスリム連盟の決意を会議派に思い知らせる

  ため武力行動に訴えた。

 

 ・1946.8.16~20.カルカッタの大虐殺。双方の暴徒により4000人殺害。数千が負傷。

  直後、ビハール州で7000人ムスリムが殺害。ベンガル、ノアカリ地域数千人ヒンドゥー殺害

  1947政争切っ掛けでパンジャーブ州の大虐殺。主役はスィク教徒。

 

 ・パンジャーブ州。独立が近づくにつれ、暴動は全州に拡大。8.16.国境線委員会から州の分割

  を知らされて激昂。激しい暴動。パンジャーブは軍人が多い。彼らは暴徒を組織化し計画的

  に農村、列車、難民の群れを攻撃。一晩に数回も、多くのムスリム居住地を攻撃。難民を乗

  せて国境を越える列車がとくに襲撃対象になった。列車が着くたびに死者と血がながれ、報

  復が繰り返された。

 

 ・死者は数十万人とも100万人とも。生き残った人々は恐怖のあまり自分の宗派集団に依拠。

  パキスタンはムスリムを救援することで、はじめて領土をもつ現実の国として認知された。

  恐怖は前例のない大量の移住者を生んだ。

 

 ・1947年後半の3~4ヶ月で約500万と推計されるヒンドゥーとスィク教徒がパンジャーブ州

   西部からインドに移動し、550万人のムスリムがその反対方向に移動。いわゆる「民族

   浄化」現象。インドの分離独立のために故郷を捨てたインド人は合計1250万人に達した。

 

 ・私は10年ほどまえに島田塾の有志とインドを訪ねたが、その際、BJP創設者の一人、

  L.K.Advani氏に面会する機会があった。Advani氏は私に986pの御大著”My Country, My

      Lifeをご自身の署名入りでくださった。この偉大な書物は、Advani氏の政治家としての

  人生を詳細に述べたものだが、冒頭に多くの紙数を割いてインド独立の際の悲劇、分割

     と殺戮について書いておられる。この悲劇を体験したことが、彼に政治家の道を歩ませること

  になったという。

 

 2)ガンディーの暗殺とヒンドゥーナショナリズム

 ・1948.1.30. マハトマ・ガンジーはデリーで祈祷会中に暗殺された。享年78歳。

  インド分割が避けられない情勢になるとガンディーはこれを深く悲しみ、分割案を検討

  する会議から遠ざかった。実際、ガンディーは、分割を避けるために、ジンナーを統一

  インドの首相にするという提案すらした。

 

 ・ガンディーの暗殺によって、ヒンドゥーナショナリズムの存在が明らかになった。この

  ナショナリズムはガンディーの暗殺者ナトゥラム・ゴードセーの凶悪な行為によって

  突然生まれたものではなかった。ヒンドゥーナショナリズムの淵源は1915「ヒンドゥー大

      教会」。闘争的なヒンドゥーナショナリズムの組織が、1925に創設された「民族方師団」

  RSS。上位カーストの組織された幹部集団。ガンディーが指導する会議派と対立。会員に制服

  を着せて民兵集団。やがて学生、難民、都市の中下流階層からも支持拡大。ガンディー暗殺

  後、彼らは一時、大衆の人気を失った。

 

 3. ネルー・ガンジー王朝の栄光と衰退

 

  1)ネルー王朝

   ネルーは政教分離と社会主義を明確に打ち出した。会議派の獲得票は45%。ただ、他の

  多くの党に票が分散したので、会議派は圧倒的多数。この状態がその後、数十年つづいた。 

  独立後20年(1964年の死まで)はネルーの時代。国民の圧倒的人気。世界にたいしても

  新しい独立国家インドの象徴。

 

   ネルーは新国家構想の中核に計画経済を掲げ、それを実施するため国家計画委員会を創設

  ネルーは1927年にソ連を訪問。その体制を見習って社会主義的国家建設めざした。重工業

  を強化、軍備を含む国の基盤強化めざした。インドは1947独立後、ソ連にならって国家計画

  委員会67年にわたり、国家主導の産業育成、富や資源の再配分、金融部門の公有化など混合

  経済体制を採用し、5ヵ年計画で運営。

 

   ネルーは米ソ対立の冷戦下、一貫して非同盟外交方針を堅持。毛沢東、スカルノとともに

  米ソ両大国の調停役を果たそうとした。しかしその理想は1959年、中国のチベット侵略と

  いう予想外の事態でもろくも崩れ去った。チベットの宗教指導者ダライ・ラマは数千人の

  難民とともにインドに亡命。インド政府から修道場を提供、今日まで亡命生活。

 

   さらにカシミール北部のアクサイチン地方も中印間の紛争地となった。ネルーは中国軍の

  撃退を試みるが失敗。1962、中国はインドを武力攻撃、アッサム高原一帯を占領。中国が

  その後、パキスタンに接近したため、インドは一時的にアメリカ寄りになった。1964.5. 

  社会主義的政策が多方面から批判される中でネルーは他界。

 

   ネルー首相の後を継いで、穏健派のL.B.シャースとリー(1904~1966)が首相に。

  1965、印パ関係が緊張。事実上、戦争状態に。1966.1. ソ連の仲介で停戦条約締結。その

  直後、シャーストリー首相死去。国内経済が危機的状況で後継は急を要したので、国民会議派

  はネルーの一人娘インディラを首相に推薦

 

躍進するIT産業:インドの可能性と課題(1)

以下、3回に亘って掲載します。

 

 

Ⅰ.  はじめに

 

  インドがモディ首相のリーダーシップの下で、IT産業を中心に近年めざましい発展を見せ、

  国際的な存在感も大きく高まっている。

 

 インドの人口構造は若く、これからの市場として日本にとっても巨大な可能性があり、

また地政学的にも日本にとって重要なパートナーとなる可能性がある。

 

 私は私が主催する若手事業家の勉強会「島田村塾」の有志と関係者とともに2020年1月

末から2月上旬にかけてインドを訪問した。私にとってインドは4回目の訪問だが、今回は

これまでとくらべてもインドはさらに一段と発展しており、米中に次ぐ超大国になる可能性を感じさせた。

 

 可能性と同時に、巨大で多様なインドには複雑な課題や旧植民地時代の歴史的後遺症が随所に色濃く残っており、

それをどう克服するかがインドが大国にふさわしいリーダーシップを世界で発揮するためには大きな宿題であることも否定できない。

 

 このエッセイでは、そうした論点に関する私の感想を記してみたいと思う。

 

 

Ⅱ.   躍進するIT産業とIT人材

 

    1. インドIT産業の発展

 

ーインドのIT産業が凄まじい発展を見せている。IT産業はインド南部の都市、バンガロールを

 中心に20年ほど前から急速な発展をみせていたが、近年ではインド全土に点在する主要都市に

 IT産業が集積しつつあり、インドのIT立国化ともいうべき現象が進展している。

 

ーたとえば、デリー近郊の新興都市グルがオン。ここはスズキなど日本企業の立地も多い。モディ

 首相の出身地グジャラート州の州都アーメダバード、中南部テランガナ州のハイデラバード、

 また東南部タミルダノウ州マドラスに近いチェンナイなどが急速な発展を見せている。

 

ーバンガロールはアメリカ西海岸のシリコンバレーが世界のIT産業の中核として急激に成長を 

 加速させた20年ほど前に、シリコンバレーのいわば下請け基地として発展した。シリコンバレ

 でIT産業の仕事量が膨大になるのをうけてソフトウェアなど下流の作業を、人材が豊富で賃金

 が安く、時差が13.5時間という条件を最大に活かしてシリコンバレーのオフショア投資の基地として発展した。

 

ーシリコンバレーの技術者がITシステムの設計などの業務を午後5時に終えると、彼らは   

 インドバンガロールの契約業者にそれを受けたソフトウェア製作などの下流業務を発注する。

 時差が13.5時間なので、翌朝シリコンバレーの技術者が出勤すると昨日注文した作業が

 出来上がってきているとういうわけだ。

 

ーいいかえればシリコンバレーとバンガロールはIT産業の上流と下流の分業と協業で24時間休

 みないフル回転稼働体制を世界規模で構築してめざましい発展を実現したといえる。インドの

 受注先はシリコンバレーに限らず、最近では世界のアウトソーシングの56%をインドが占める。

 

ーそれを反映してインドのIT産業は大量の雇用を実現している。IT業界は直接雇用だけでも 

 現在370万人。ちなみに日本は90万人。

インドは高度IT人材を大量に雇える唯一の国。理工系大学新卒が毎年100万以上。うち20万人 

 がIT業界に。ちなみに、日本の理工系大学卒業生はたった10万人。しかもIIT(インド工科大)

 やNIT(国立工科大)でコンピューターサイエンスを学んだ学生の学力は抜群。世界のトップクラス。

 

ーインドのIT産業はいわば米欧先進国の下請けとして発展してきたが、近年では、欧米IT産業 

 の受け皿として培った経験と学習を生かして、次々に上流の業務に取組み、独自のイノベー

 ションを実現している。そうしたイノベーションの中でも、インドは後発国の弱みをむしろ

 強みに変えて先進国を追い越す(リープフロッグ:カエル跳び)”リバースイノベーション”が

 得意技。貧困や環境汚染などの悪条件を克服する技術開発で先進国を追い抜く革新を実現。

 

ーさらにインドでは近年、スタートアップ企業の起業がめざましく増えている。2010年には

 480、2016年4700~4900、そして2020には1万を超えるというのが専門筋の見方。スタート

 アップ急増の背景:スマートフォンの急速な普及で、ネット経由で様々なビジネスの提供が可能に。

 

  2. インドIT関連人材の世界での大活躍 

 

ー今一つ注目すべきは、世界のIT業界はじめ学会や国際機関などで活躍するインド人材の存在感。

 

ーIT業界の例:

 サティア・ナデラ(Satya Nadella) 2014.2. マイクロソフト3代目CEO、就任。

 ラジーブ・スリ(Rajeev Suri) 2014.5. ノキアCEO、2015.8. GgCEOに、

 スンダー・ スンダー・ピチャイ(Sundar Pichai)2013 Google CEO

  ちなみにGg上級幹部には多数のインド人、

    Nikesh Arora, COO、 クロームOSとアンドロイド担当Sundar Pichai

    Amit Singhal、 サーチエンジン担当     

    Sridhar Ramaswamy、広告とeコマースプラットフォーム

    Vic Gundotra Gg +担当

   なお、2019.10にシリコンバレーのGoogle Campusを訪ねた時点では4万人の従業員

   のうち1万人がインド人だった。

 

 ーシリコンバレーで活躍するインド出身事業家(数字は時価総額:億ドル)

   Baiju Ghatt     Robin hood   株式売買サービスアプリ    60

   Apoorva Mehta  Instacart      食料品delivery service             40

         KR Sridhar     Bloomenergy  燃料電池の開発・販売    30

   Laks Srini          Zenefits     Social Mgt Platform運営   20

         Ragy Thomas   Sprinkly         Backup Appliance提供     20

 

 ー学会の例:

   Nitin Nohria 2010.7. ハーバードBスクール学長、

       Sunil Kumar  2010.1. シカゴ大学Bスクール→Johns Hopkinsに転出

   Madhav V.Rajan シカゴ大学Bスクール 2017.7から後任

   Dipak C.Jain 欧州最高峰BスクールINSEAD      

   Shankar Sastry カリフォルニア大学バークレー、  

   Anantha P. Chandrakasan MIT工学部長

 

 

 ーインド工科大学(IIT)

  ・1947 インド独立後、ネルー首相が訪米時にMITを訪問。MIT学長とインド人留学生と

   面談。アメリカの科学技術の高さに強い印象を持ったネルー首相はインドにも同様な教育

   機関を作ろうということでMITをモデルにしてIITが創設された。現在、IITの23校からは

   毎年約9,000人の最優秀の人材が輩出されている。

 

  ・IIT入試は、100万人以上が受験するJEF(選抜試験)を受け、その中からトップ20万人が

   JEE Advance(上級選抜)を受け、最終的には1万人が合格。その成績順に、希望する

   学校と学部を選べる方式。したがって競争率は100倍以上。世界でも最難関。

 

  ーIIT訪問:

  ・冒頭にふれた島田村塾の今回のインド研修旅行では、バンガロールを拠点に活躍している

   江藤宗彦様(株式会社ドリームインキュベータ DIインド社長)の紹介でIITムンバイを

   訪問した。ここは創設5校グループのひとつでインドの超名門大学。キャンパスは非常に広

   く、日本の神社の参道のような長い導入路の両側には大木がそそり立って、いかにも伝統

   の学府の雰囲気が漂っていた。

 

  ・指定された研究棟に行くと、数名の教授、助教授、助手たちが集まってくれた。彼らは

   いずれも最先端の材料工学、マイクロ3D、レーザー加工のような製造技術、またビッグ

   データのマシンラーニング、あるいはハイブリッドの製造技術など主として製造技術の最先

   端を専門とする人々。IIT側が私達訪問団の関心分野をふまえて対応してくれた模様。

 

  ・多様なテーマについて議論をしたが、インドと日本の共同研究に関心があり、ある教授が

   2x2 モデルすなわち両国で産業代表と学会代表を組み合わせた方式を提案したのが印象的

 

  ーインドとMITの深い関係

   インド独立前からMIT留学はじまっている。

   1882から2000の間、1300人がMIT留学。

   IT分野では、3人のMIT卒業生が初期インドITサービス企業を創業

 

  ー世界で活躍するインド人の強み:(武鑓行雄 『インドシフト』2019 PHP)

   ・論理的思考力

   ・英語によるディベート力、スピーチ力

   ・専門的知識(IT、数学ほか)

   ・マネージメント力やリーダーシップ

   ・多様性ある環境への適応力

 

  ー私見では、武鑓氏の指摘する多様性ある環境への適応力がとくに重要。

   ・インドは極めて多様な社会:多民族、多言語、多宗教、多様な地域特性、カースト

     格差など。

    ・この多様で複雑な社会の激しい選抜競争を生き抜かないと出世の道はない。

    ・インドは通常の一国というよりそれ自体複雑で容赦のない超国歌もしくは小世界。

    ・その競争を生き抜き勝ち抜くことはWorld Cupの世界予選を勝ち抜くのと同等。

    ・インド社会の選抜競争を生き抜いた人材は、世界競争では厳しい予選の勝者。

 

3.    インドの国際的存在感の増大

 

 ーインドは、IT産業などの急速な発展によって経済的に大きな可能性のある国として近年その

  存在感を高めてきた。

  

 ーインドの大きな可能性を求めて、世界の多くの企業がインドに生産や開発拠点を設ける

  動きが加速している。例えば:

  ・IBM、全世界従業員40万人のうち13万人をインドで雇用。10年前の2倍。

    アメリカ国内雇用を上回る。

  ・アクセンチュアは37.5万人のうち、14万以上(37%)をインドで雇用

  ・コグニサント(COGNIZANT)は世界25万の7割17万人をインドで雇用

 

  ・台湾の鴻海(ホンハイ)がインドに生産拠点設立。郭台銘(テリー・ゴウ)董事長、

   2020までにインドに10~12工場建設。100万人雇用発言。最大の生産拠点中国に匹敵。

 

 ーさらに国際政治面、宇宙・航空技術、軍事面でもその存在感を急速に高めている。

 

 ーインドの世界政治での存在感も近年、急速にたかまっている。

 ・それは独立以来1980年頃まで維持した”非同盟主義”から転換し、1990年代以降、経済開放

  を進めて開かれた国際経済競争に参加し、アメリカとも接近。とくに2014年以降のM政権下

  では政治的にも世界での存在感をたかめている。

 ・インドはG20では主要メンバーの役割を果たし、国連安保会議では、日本、ドイツ、

  ブラジルとともにG4として常任理事国拡充を主張。アラブ諸国に多くの出稼ぎ労働者

  を送っていることから慎重だったイスラエルとの接触にも意欲

 

 ー2013.インドは火星探査機「マンガルヤーン」の打ち上げに成功。2014には

   同機は火星の周回軌道にはいった。日本もまだできないことをインドは達成。

 ・2014. 5000~5800km射程のICBM「アグニV」の発射成功。広域攻撃能力の保持明白。  

 

   ー2015.10 インド海軍、新たな海洋安全保障戦略発表。インド洋全域、ペルシャ湾、紅海を

  海洋権益の最重要区域に指定。南シナ海、東シナ海は第二区域。

 ・背景:経済成長によるインド権益領域拡大。石油輸入のシーレン確保。中国との緊張関係

 ・2016、インド軍は初の国産原子力潜水艦アリハントを就役。核ミサイル能力は非公開。

 ・インドは130ないし140の核弾頭保持と推測。

 

 ートランプ大統領訪印:

 ・2020.2月末、トランプ大統領はM首相の招きでインド訪問。10万人の聴衆を前にして

  上機嫌で”America loves India, America respects India!” と持ち上げた。

 ・その後の首脳会談では、アメリカの武器輸出でほ合意したものの、高関税、5G問題

  では合意できず。インドはしたたか。

 

Ⅲ.   インドの可能性

 

   1.  インド成長の可能性

  ーインドの経済発展の可能性は膨大

  ・インドの経済発展の経緯を過去数十年にわったて通観すると、インドは中国より約15年

   遅れて中国の発展の奇跡を辿っている(江藤宗彦氏:株式会社ドリームインキュベータ 

   インド社長)。  

  ・中国の実質GDPは1960年頃には数十億ドルで微々たるものだったが、2002年には2兆ドル

   を越え、2010年には4兆ドルを超えて日本を上回った。

  ・これに対し、インドは1975年頃に中国の1960年頃の水準。2017年に2002年の中国に

   ならんだが、インドは人口が若いので、これがやがて生産力となることが見込まれ、

   15年後には現在の中国の水準となることが見込まれる。

      

 2. 人口ボーナス

  ーインドの突出した強みは人口が若いこと。

  ・現在平均年齢は約25歳。現在13億人の人口の約半数が25歳以下。

   つまり6億人以上の人口がこれから40年間は労働力として経済活動に貢献。

 

  ・国連は2022にはインド人口が中国を抜き、世界1となると予測。インドのTFRは2.4。

   こんごも人口は増える。インドの人口ボーナスはこれからで、2040頃までつづくと

   見られている。それは経済成長をささえる強力な力すなわち”人口ボーナス”になる。

 

  ・しかも、インドは現在まだ経済発展の途上にあって賃金水準が低い。

   インドの人材の一部は高度な教育によって訓練され、理数系の高い学力を

   もち、彼らが上記のようにIT産業などで活躍してインドの経済発展を牽引。

   

 3. 見え始めた成長戦略の実効性

  ーインドの経済はWWII後の独立以降も長期にわたって低迷状態だったが、

   20世紀末から成長率をたかめ、21世紀に入るとその成長が加速している。

 

  ・インド経済の成長を牽引しているのはIT産業。IT産業は伝統的な製造業と異なり、

   大規模な設備投資が不要。2010年以降はスマートフォン人口が増え、膨大な情報

   が蓄積され、それを活用した新事業が発展。

 

  ・スタートアップ企業による起業が増え、その中には数年で巨大企業に発展する

   ユニコーンも増えた。ユニコーンの成長は市場の大きさに依存する。インドには

   ユニコーンを増加させる基礎条件がある。

 

  ー2014年に政権を握ったモディ首相はこうしたインドの成長可能性を具現すると期待

   される。

 

Ⅳ.   IT基地バンガロールの驚異的発展

 

 1. 世界のIT基地バンガロールBg

  ーインドはバンガロールを中核にしてIT産業が発展し、それが全国に伝播している。

  ・バンガロールで急速に進んだIT産業の集積には海外企業の直接投資が大きく貢献。

  バンガロールに拠点を構える著名IT企業の例:

   ・ソフトウェア、Internet、IT機器:MS, Gg, アマゾン、オラクル、SAP、アドビシス

    テムズ、HP、Dell, EMC, ネットアップ。

   ・ITサービス、コンサルティング:IBM, アクセンチュア、キャップジェミニ

   ・半導体:TI,  Intel,  Qualcom, AMD, エヌビィデア、アーム、

   ・通信・ネットワーク機器: シスコシステムズ、ジュニパーネットワークス、ノキア

     エリクソン、Huaweiなど。

 

 2. Off Shore開発が発展の契機

 ーBgは1990sからインドIT産業中心地として発展した。

  ・それはとくにオフショアの開発拠点として世界的に注目された。

  ・とりわけ、シリコンバレーがBgを活用した。

   英語ができるので、アメリカ人と意思疎通しやすい。人件費が欧米より格段に安い。

  ・13.5時間の時差があるので「アメリカの夜中にインドで作業。翌朝には成果が仕上がる」

  Bgには多数の技術系大学があり、新卒エンジニアを毎年多数輩出。

      

  ー90sになると、MS,インテル、オラクル、シスコシステムズ、フィリップス、シーメンス

   など拠点を開設

  ・2000sになるとITテクノロジーの爆発的な普及で、IT業界は空前の好況。

   とくにY2K問題(2000を越えると世界中のシステムが誤作動するとされた)で膨大な

   ソフトウェアの修正作業が必要となり、それへの貢献で実力が評価された。

 

  ーBgで最先端研究が進む理由

  ・新しい分野の専門家を育てやすい。たとえばビッグデータの解析は歴史が浅いので、

   データサイエンティストは世界的に少ないが、インドは最先端のITを理解し、モチベー

   ションの高い若手IT人材がケタ違い。毎年、輩出される理工系学部卒業生は約100万人。

   その中から20万人がIT業界に採用。

 

  ー背景にラディブ・ガンディーの政策。 

  ・1984. コンピュータの輸入関税を大幅に引き下げるラジブガンディー政権の「新

   コンピューター政策」がインドのIT国家戦略の本格的推進の契機に。

 

  ・1986、ソフトウェア輸出促進の指針も。

   IT分野に海外から大型直接投資始まり、南部のバンガロールでは海外IT企業の拠点設立

   相次ぐ。ラジブガンディー首相は1991にテロで死亡。しかしインド政府は情報通信を

   専門とするIT省」を設立するなど政策的にIT産業の振興をはかってきた。

 

 3. Off Shoreから自主開発へ

 ー現在のBgは下流工程だけ請け負うオフショア開発拠点だけではない。

 ・最先端のテクノロジーを用いた研究開発など上流工程の戦略開発拠点に脱皮しつつある。

  今では、クライアントのニーズに合わせてシステムの機能などを決める「要件定義」など

  上流工程も請け負う。

 

 ・インド大手ITサービス企業は、戦略的にBuffa Resource(余剰人員)抱える。新しいPT

  を受注した時に対応できるため。人的余裕でRDチーム編成。時代先取り総合サービス可能。

  高度IT人材をこれほど雇える国は世界でインドだけ。

 

 ー近年、IT業界は、技術仕様やプログラムのソースコードなどを公開する「オープン化」が

  トレンド。リナックスやアンドロイドなどはソースコード公開。インドの優秀なエンジニア

  はすぐに理解し活用できる。インドの高度IT人材を大量に雇って鍛えれば、データサイエン

  ティストなど自前で育てられる。またIoTはブロックチェーンなど最新技術でもすぐキャッ

  チアップできる。

 

 ーBgのインフォシス社内研修施設「グローバル・Education Center」は世界最大の

  training center。専任講師600人。1万人以上を同時に訓練。

  インフォシス入社者は全員がこのキャンパスで4ヶ月から半年訓練。初心者が

  アメリカ大学のコンピューターサイエンス学部卒業レベルに到達する。

 

 4. 世界のinnovationセンター、スタートアップSU熱

  ー今やBgは世界的なSUハブとして脚光。インドSU急増。

  ・テクノロジーSU2016。US:52000~53000、UK:4900~5200、

   インド、4700~4900、イスラエル:4500~4600、中国:4200

 

  ・インド:2010:480、2016:4700~4900、2020:10500~11000?

   SUが増えた理由:スマートフォンの急速な普及で、ネット経由で様々なビジネス提供

   可能に。インド平均年齢25歳、ほとんどがデジタルネイティブ世代。スマートフォンの

   普及で膨大な潜在顧客層創出。

  ・またデータ通信費用が大きく低下したので、SU立ち上げの初期費用削減。

   PC、スマホ、クラウド環境あれば起業できる。通信費用低下にはReliance Jio社が

   大きく貢献。

 

  ーReliance Jio社訪問:

   インドのデータ通信コストの急削減にはReliance財閥兄弟の兄が立ち上げたJioが

   大きく貢献。通信が4Gのモバイル通信の時代にはいり、Jio社ではモバイル通信参入時

   にしばらくタダにして市場の通信価格を格段に下げた。そのおかげでインドのデータ通信

   価格は国際的にももっとも安価。Reliance財閥は、貧困階級の出身でグジャラート州の

   小学校の教師をしていたAnil Dhirubhai Ambani氏が創設。今では世界屈指の巨大企業

   グループ。村塾研修団はムンバイの隣市にあるJio社を訪ね、執行社長から懇切の講義を受けた。

     

  ーエコシステムの充実も重要

    VC180社、エンジェル・個人投資家350人、2016投資総額40億ドル

    US610億、中国480億、欧州120億に次ぐ。イスラエル22億、日本13.5億を上回る

 

  ー島田村塾研修グループは、上記の江藤宗彦氏の紹介で、バンガロール、グルがオン、ムン

   バイなどで多くのベンチャー企業を訪ねた。例えば一定期間、好きな車を所有できるカー

   シェアリングベンチャーのRevv社、心電図のAI解析ベンチャーTricog社オンラインの

   保険勧誘サービスベンチャーTurtlemint社など創設ほどない意欲的なベンチャー企業が

   印象的だった。

 

  ー同時に、日本からはるばるインドに来て、バンガロールでMarket Drive社というe-

   Commerce企業を起業した意欲満々のベンチャー経営者、伊藤太氏からインドの

   ベンチャー事情を身近に聞いたことは貴重な勉強になった。

 

  ・伊藤氏は数年前に日本でアプリで結婚紹介をする事業を起業したが、心に期するところが

   あって青雲の志に萌える若者が競いあっているインドに人生の夢をかけて飛び込んだと

   いう。彼はやがて10兆円規模のユニコーンを育てたいとしており、気宇壮大な若い日本

   の起業家の姿に明日への勇気が湧く思いだった。

 

Ⅴ.    Modiが変えるインド

 

 1. Modi政権が変えるインド

 

  1)2014選挙。BJP(インド人民党)の圧勝。

  ・下院545席中、BJPは282。単独で過半数。インドでは30年ぶり。

   2014.5.26 M政権正式発足

 

  2)M政権の基本方針

   ・MのBJP政権は、独立後長期にわたって政権を独占してきた国民会議派の憲法に明記され

    た思想と政治路線を否定。BJP型の思想と政治を打ち出す。

   ・「反植民地主義」:反英⇒繁栄のために機会の平等、競争による雇用と成長

   ・「社会主義:平等と計画経済⇒計画委員会廃止。M独自の官邸主導組織。

   ・「世俗主義」:宗教と政治の分離、多宗教容認⇒ヒンドゥー至上主義。

 

 2. Modi首相の経済戦略

  

  1)M式ガバナンスの特徴:

   ・国民会議派流の多数の合意を重視、5ヵ年計画など計画にもとづく政策決定の

    方式を廃止。官邸主導のトップダウンで政策打ち出し。

 

  2)華々しい政策提案

  ー「Make in India」製造業振興総合政策

    ・インドは製造業基盤が大国としては貧弱。

     インドは自動車生産では韓国抜き、粗鋼生産では中国、日本につぐ3位。

     しかしインド経済が人口増を吸収できる7%を超える成長を達成するには、雇用吸収力

     の高い製造業の拡充が不可欠。GDP総額のうち16%程度の製造業セクターを25%に拡

     大し、雇用吸収と経済成長達成。

    ・製造業を成長のエンジンとするため、日本の「太平洋ベルト地帯」をモデルにした

     産業ベルトの建設志向。

    ・デリー首都圏とムンバイ間、約1500kmを貨物専用鉄道で結び、沿線の両側150kmで

     産業開発を展開。デリーームンバイ間産業大動脈(DMIC)国家PT.

 

  ー「スキル・インディア」若者の職業能力開発政策。2015発表

     人材豊富。工学系の大卒150万人。中国一人当たりGDP1万ドル、インド2000ドル。

 

    ・「 Digital India 」「スタートアップ・インディア」IT育成政策

     インドの強みであるIT産業の一層の育成と発展を推進するための政策パッケージ。

      例えば 2016.1.開始された「スタートアップインディア」

       9項目のアクションアイテム発表。

         モバイルアプリで1日で法人設立

         コンプライアンス(法令遵守)監視の自己申告制

         低コストで迅速な特許審査

         失敗ケースの迅速な清算手続き

  

  ー「 Clean India」環境整備策

      2015,11に開催された環境保護国際協定Paris Accord.COP 21。

       先進国と途上国の利害が対立。途上国グループの代表格のインドは難しい立場

       M首相は開催ギリギリまで待って、パリ協定賛同を宣言。

       同時に、パリで太陽光発電を促進する国際ソーラー同盟創設を発表して国際

       リーダーシップをアピール。ちなみに発表の日はマハトマ・ガンディー生誕記念日

     

  ー高額紙幣廃止の爆弾宣言

  ・2016.11.8. TV演説。「腐敗やブラックマネーを根絶するため、今夜、午前零時に

   現行の1000rpと500rp札を無効とする。市民は10日から銀行で旧札を新札に交換

   せよ」当初は混乱と批判噴出

  ・数ヶ月後、痛みの記憶が遠ざかると、市民の高額紙幣廃止への評価が変わり始め

   次第に支持増えた。  

  ・高額紙幣廃止のいまひとつの効果。

   デビットカード、クレジットカードが一気に普及。携帯やスマホを使う電子決済が

   急速な広まり。高額紙幣廃止には、ブラックマネーのあぶり出しだけでない、現金決済

   からの社会の転換というねらい。

  ・高額紙幣廃止から3ヶ月後、2017.2.国内5州地方選挙「反汚職」「経済開発」をかかげた

   BJPが4州で政権。Mは勝った。

 

 ー「アーダール・ナンバー(基礎番号)」(インド式マイナンバー制度)。

  ・アーダール(ヒンディー語で基礎を意味)13億人情報をひとつのデータベースに集約  

  ・個人認証の方法が世界最先端。10本の指の指紋、目の虹彩の情報登録。

   カードや暗証番号なしに個人認証できる。

  ・既に12億人以上が参加、4億人分の銀行口座が固有識別番号にリンク。

   電子投票システムも。インドの識字率の低さや投票箱の盗難など選挙妨害にも対応。

  ・数年前まで遅れていた認証が世界最先端に。典型的はLeap flog戦略。

 

 ー間接税の一本化。会議派時代から検討。しかし税収減を警戒する地域政党の反対で実現

   しなかった。Mは、政権発足直後から改革の目玉。ねじれ国会で少数派の上院でも

   法案をとおし、品目ごとに全国一律税率(サービス、物品)の導入に成功。

 

 ー2019.5.23. インド下院総選挙。BJP圧勝。300議席以上を単独で確保。友党と

   合わせると350議席以上の大勝利。Mは2024まで5年政権担う。選挙直前まで2014選挙

   の総定数545の下院で獲得したの282を割り込むとの予測。結果は、前回より21議席上積

   み。ツナミと言われた。

«米中ハイテク覇権戦争:その経過と展望(3)